2002 ラン

幸手さくらマラソン(10マイル)

2002.04.14: 5,400名参加

毎年、権現堂堤の満開のさくらの花のトンネルを目指して
全国から多くのランナーが集い走るのであるが
残念ながら今年は”葉桜マラソン”になってしまった
例年になく桜の開花が早く、3週間も早く満開を迎えてしまった

今年は、そのさくらマラソンの”選手宣誓”の役割を仰せつかってしまった。
最初は辞退して、もっと若々しい人を推薦したのだが、
このような経験は中々望んでできるものでもなし
結局引き受けざるを得なくなってしまった。

1.満開時の幸手権現堂の桜土手(1Km)    2.友人の増田市長と浅井えり子招待選手
 
3.北海道別海町から参加の中村さん(右と浅井さん、江森さん)    4.光栄な選手宣誓を仰せつかって



 5.今日から改名:”ヤマシタ”から”ジャマシタ”へ

 6Km付近で、中村会長の奥さんが沿道でカメラを構えて待っててくれた?写真はそれに手を上げて応える私。しかし、この直後に後から来た荒川君(会長の娘婿:私の直ぐ後ろに写っている方)が私を追い抜いていった。「オッと、さっきの奥さんのシャッター・チャンスは、私でなくて、荒川君だったのか?」
 そして出来上がった写真がこれ。結局、奥さんはこの写真をとる羽目になった。応援の旗と私がが邪魔して、このポーズしか取れなかったそうである。
 「今日から、山下でなくて、ジャマシタに改名せざるを得ないでしょうか?」



荒川マラソン(フル)

2002.03.25

今年は16,000名が参加して、昨年よりも更に盛大な大会となった
天気もうす曇、微風で15度ぐらいの気温であるので絶好のマラソン日より
なのに今年もまた不本意な記録に終わってしまった。
女性陣が皆自己記録を更新する中で足を引きずりながらのゴール
「又、来年があるじゃない」と慰めながら落込みを最小限に

 1.スタート前は皆元気:                    2.13,000名がスタートラインに向かう




3.浅井えり子選手と走友会メンバー
 

羽生マラソン(ハーフ)

2002.03.10

今年は走友会からの参加が少なく盛り上がりにに欠けたが、
竹崎さんが7位入賞で表彰される
私も自己ベストのペースで19Kmまで走ったのに、
何故か2分ほど余計予想よりオーバーしてしまった
同考えても、19〜20km間の距離が300mぐらい長かったみたいだが
真相は藪の中

 1.開会式:                           2.表彰式: 竹崎さん入賞











 


青梅マラソン(30km)

2002.02.17

昨年の”尚子”に続いてビッグネーム”長嶋元監督”がスターターとして参加
スタートの号砲が鳴ったがスタート地点で彼を一目見ようと、
多くのランナーが立ち止まって手を振っているため、
「ランナーの皆さん、立ち止まらずに走ってください!」とのアナウンス
苦手のアップダウンの青梅でやっと自己ベストの2時間台で走れ満足


100kmメモリアル・ラン
100kmメモリアル・ランのゴール(10月19日)



宮古島100Kmマラソン完走:


幸手走友会の江森さん、宮古島100kmマラソン完走の快挙!
「うれしかったのは、残り5kmの地点まで来て、もう少しで走ることから開放される。
それに今年は11時間を切れるゾ!と思った事です。
ゴール100M手前で自分のゼッケン番号がアナウンスされ、
拍手の中をゴールできた時ほど、感動した事はありません。
やった!という達成感と満足感で一杯でした。」
昨年に続き、2年連続での完走の偉業に、エールを送ります。
Time: 10:48'47"
2002.01.13


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青梅2002