1/17(日)

【ジプシーコーブへ】

マルビナ・ハウス・ホテルでは、69.5ポンドも取られた。日本円で約1万4千円!!別に何と言うことはないホテルなのに..。後日僕をペンギンツアーに案内してくれた人は、「スキャンダラス!!」とその法外な宿泊料を非難していた。

さて、とにかくインフォメーションへ直行である。それは入り江に面して突き出た桟橋の上に建てられたプレハブであった。9時オープンのはずがなかなか開かず、しばらく桟橋の上に立って待っていた。それにしてもものすごい風の強さ。ホテルでもらったガイドマップをその風に飛ばされ、慌てて取りに走ったほど。そんな風の中で飛んでいる鳥が、風上に向かって羽を広げてはいるものの風力のせいで全く前に進めず、空中の同じ位置にじっと静止していた。ちょうど止まった位置で凧をあげているのと同じで、何とも面白い光景だった。

しばらくしてインフォメーションが開き、やや神経質そうな顔付きのおじさんと話した結果、まずキングペンギンの繁殖地であるボランティア・ポイントへのツアーを扱っている人の連絡先を教えてもらった。しかし、この日に出発するようなツアーはもうないということで、とりあえずホテルの確保に歩いた。ところが、いくつか歩いて尋ねてみたが、なかなか空きがない。小さな町にかなり多くの旅行客が訪れているのだろう、それでも何とか「スコティア・ハウス(Scotia House)」という、部屋が2つしかない民宿のようなところを見つけた。部屋を見せてもらい、念のため電源コンセントを確認したが、やはり昨日と同じ。ここではシェーバー用のコンセントもなかった。しかし他でも結果は同じだろうと推測し、ここに泊まることにする。民宿とはいっても綺麗な家で、スタンレーではここを含めて3カ所に泊まったが、ここが一番気に入った。しかも値段も安く、B&Bで26ポンド。

再度インフォメーションへ行き、ここから別の島へ渡る方法についても聞いてみた。やはり神経質そうな顔つきで、「ここは別にツアーの予約を行っている訳じゃない。そういう用事なら、ツアー会社を紹介してあげよう。」とおじさんは言い、教えてもらったのは「インターナショナル・ツアーズ&トラベル(International Tours & Travel.以下、ITTと略)」という会社で、そこに待ち受けていたのは、やはり神経質そうな顔をしたジェニー・フォレストさんという女性だった。本当は日曜日なので休みのところ、たまたま休日出勤していたのだった。

ボランティア・ポイント(Volunteer Point)と、あといくつかペンギンがいる場所に行きたいという希望を告げると、紹介してくれたのが、ペブル・アイランド(Pebble Island)とシーライオン・アイランド(Sealion Island)だった。どちらもガイドブックを見て知っていたが、それによれば野生動物をみるならシーライオン・アイランドと書いてあった。念のためどちらがいいか聞いてみると、やはりシーライオン・アイランドだという。ただ、出発は2日後の火曜日になるとのことで、1週間しかない時間をできるだけ有効に使おうと考えていた僕は、今いるイーストフォークランド島内を巡った方がいいのかもといろいろ考えを巡らせた。しかし結局、シーライオン・アイランドに火曜日から2泊3日で行き、金曜日に日帰りでボランティア・ポイントに行くことに決めた。ボランティア・ポイントではぜひ1泊したかったが、スケジュールが組めない以上仕方がない。ただし、まだ確約はできないらしく、明日もう一度来ることにしてとりあえずそこを出た。

午後2時半になっていた。本によるとここから6kmほどのところにマゼランペンギンの繁殖地「ジプシーコーブ(Gypsy Cove)」があるので、今から歩いて行ってみることにする。ITTのジェニーさんに教わった道をひたすら歩き続けた。陽炎が見えそうな、果てしなく続く1本道。そして道ばたには無数のタンポポが咲いていた。しかし、遠い。行けども行けどもそれらしい場所は見えて来ない。途中で道を尋ねたおじさんが軍関係の人で、一緒に行ってやるというので連れていってもらうことにした。途中で道をそれ、荒れ地の中をまたさらに歩いた。道すがら、おじさんがいろいろ話しかけてくるのだが、歩き疲れているのもあって、半分ほどもわからない。日本から来たことを告げると、「そおかー、日本も今は大変だねー。」と、何の大変さを言っているのかよくわからないまま、ただもうふんふんとうなづくよりなかった。

道を尋ねた時点で、もう近くまでは来ているという意識があったのだが、そこからまた遙か遠くに見える丘を越え、2人して1時間以上歩いたところでようやく砂浜が見えてきた。そしてそこに豆粒のようなものが点在しているのが見えた。双眼鏡で確認すると、まさしくペンギン!!しかし、その浜には柵がしてあり、「DANGER MINE」の立て札がある。MINEとは地雷のこと、すなわち、1982年に勃発したアルゼンチンとの戦争の時に埋められた地雷がまだ撤去されずにあるのだ。従ってその浜には人間は入ることはできない。ペンギンや鳥などは体重が軽いので地雷に乗っても大丈夫なのだ。

進入禁止の浜を柵づたいに歩いていくと、柵の向こうに、かなり近くにペンギン達の姿が見えて来た。そこら一体はブッシュ(草の繁み)になっていて、マゼランペンギンはそこに穴を掘り巣を作る。そして行く手にもペンギン達の横切る姿が見えてくる。夢中で写真を撮り始めた僕を残し、おじさんは去っていった。ありがとう、橋爪功似のおじさん!!

もう見渡すといたる所でちょこまかと歩いているペンギン達の姿が見える。頭がおかしくなりそうな位いっぱいいる。これが初めて見る野生のペンギン。思ったより近づける。一通り撮影した後、ブッシュを抜けると、さっきの浜よりは狭いがやはり白砂のきれいな海岸に出た。そしてその砂浜で戯れているペンギン達の姿。何とも素晴らしい光景だった。ホテル探しやツアー探しでいろいろ苦労したが、今日はこれでマル、そう思った。

砂浜に腰をおろし、持ってきた昼食を食べ、しばらくぼんやり過ごした。今、日本の裏側で、日本ではあり得ない景色を前にしているという意識で胸は一杯だった。これだけで旅の目的は達成されたとさえ思えた。しかしペンギン達はそんな僕の感傷とはまるで関係なく、巣から浜へ出、海に入り、また上がって巣に戻っていく。人の姿はもう見えず、風がぶんぶんとうなる音だけが聞こえる。

午後六時半、町までの時間を考えて、そろそろ戻ることにする。少したそがれた陽のもと、海岸へ続くなだらかな坂のあちこちで顔を覗かせているペンギン達に別れを告げた。同じ道をたどって帰ったが、疲れた足には少々きつかった。3分の2ぐらいは歩いたかというところでクラクションを鳴らす車があった。スタンレーに行くなら乗せていってくれるということで、もう迷わずお世話になることにする。泊まっている民宿まで運んでくれたその人に、感謝の嵐を降り注ぐ。よし、明日は車を借りてもう一度あの浜を訪れよう。


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