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管理人:貞庵

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久保田城 くぼたじょう

別名
窪田城、秋田城、矢留城、葛根城
時代
江戸時代
分類
近世平山城
規模
面積:東西620m×南北1050m、標高:40m、比高:約30m
現状
市指定史跡/千秋公園・学校・住宅地
場所
秋田県秋田市千秋公園
最終訪城日
2010年11月6日

江戸時代に佐竹義宣によって築かれた久保田藩の藩庁。建物こそ残っていないが、城跡の堀や土塁、郭の跡が良く残されている。石垣の無い城とよく言われるが、土塁の土止めや門周りに部分的に石垣が用いられている。現在は公園として整備されているが、学校などの公共施設の敷地になっている箇所も多い。

城史

年代 出来事
1603年5月 秋田転封後、湊城を居城とした佐竹義宣だったが、城があまりにも手狭なため新しい城を築くことにした。築城にあたっては父・義重が内陸の横手を勧めたが、義宣は経済的観点から土崎湊に近い神明山を選び、城と城下町の整備に取り掛かったという。
1604年8月 築城は突貫工事で進められ、わずか1年で城はあらかた完成した。そして、義宣は湊城から居城を移し、以後はこの場所が藩庁となった。
1604年 久保田城を築いて居城とした佐竹義宣の元に、ある日1匹の大きな狐が現れた。狐が言うには自分は齢300の狐で神明山に住んでいたが、城が築かれたせいで住処を失ったのだという。そして、住処を与えてくれたら義宣の役に立つと約束したため、義宣は茶園に住処を与えて茶園の与次郎と呼んだ。与次郎狐は飛脚として江戸との間を6日で往復して活躍したが、これが他の飛脚の恨みを買うことになり、出羽街道の途中の東根で襲われて殺されてしまったという。義宣はこれを悲しみ、城内に神社を建てて与次郎を祀ったのが与次郎稲荷神社の始まりだという。 『与次郎稲荷神社縁起』
1868年 「戊辰戦争」では久保田藩は奥羽越列藩同盟を脱退して新政府軍へ参加し、これにより列藩同盟軍の庄内藩に領内へと攻め込まれる事態となった。庄内藩は7月~8月に矢島藩、亀田藩、本荘藩を降して久保田藩の城下まで迫るが、9月の「椿台の戦い」の最中に米沢藩と仙台藩が降伏したことで庄内藩は撤退を開始し、久保田城下が戦火に巻き込まれるのは避けられた。
1871年 廃藩置県により城としての役目は終わり、城跡には県庁が置かれることになった。しかし、その県庁も翌年には土手長町へと移転し、城跡は軍用地となった。
1880年7月21日 久保田城内より出火した炎は瞬く間に城内を燃やしつくし、番所と門の一つを残して全て灰燼と化したという。久保田城はこの時に事実上廃城となったとされている。

縄張り

城は雄物川右岸の平地に接する神明山(三森山)の上に築かれており、山の頂上に本丸、中腹に二の丸があり、三の丸はそれらを半月状に囲むように北の丘陵部から南の低地部まで続いている。そしてさらに北側の丘の上に北の丸が築かれている。本丸から三の丸までは梯郭式の縄張りだが、本丸から丘陵伝いに北の丸までは連郭式のようにも見え、単純には言い表せない構造になっている。

【本丸】
神明山の頂上を削平して造られた本丸だが、かつて御殿があっただけにかなり広い。現在の本丸跡には1888年にこの場所へ移転された秋田八幡神社(2005年焼失/2007年再建)と、元から御殿の庭にあったという与次郎稲荷神社があり、本丸中央には最後の藩主の佐竹義堯の銅像が建っている。本丸北西隅の新兵具櫓跡には「久保田城御隅櫓」という内部が資料館の模擬櫓が建てられている。

【本丸表門(一の門)】(復元)
本丸南東部の大手口には表門が復元されており、門は瓦葺で高さ12.5mの二階建ての櫓門となっている。坂下門(1880年焼失)とセットで枡形を形成しており、表門が一の門、坂下門が二の門と呼ばれていた。2001年に市制施行100周年の記念事業の一環として復元された。

【御物頭御番所】(現存)
本丸表門の正面の枡形には番所が残されており、1880年の久保田城大火で唯一燃えずに残った文化財である。番所には物頭が詰めており、坂下門(二の門)の開閉などの管理をしていた。1988年に一度修理を行っている

【外堀】
城跡には三の丸を囲んでいた外堀の一部と二の丸を囲んでいた内堀の一部が残されており、三の丸の外堀は特に幅が広く、火縄銃の射程を考慮した造りとなっている。かつては多くの蓮の花が咲いていたが、堀の地下にトンネルを通した工事の際に激減してしまった。

【堀切(内堀)】
二の丸の内堀の延長線上にあり、神明山の鞍部に堀切を造って土橋で二の丸と三の丸北部を接続していた。絵図ではこの部分は水堀のように描かれており、堀切はかなり深かったことになる。現在は東側がバイパス道となって消失しており、土橋の下をトンネルが貫通している。西側は明徳小学校のグランドになっており、堀切は埋め立てられている。三の丸と北の丸の間にもここと同様の構造の堀切がある。

関連施設

【久保田城御隅櫓】
久保田城の歴史資料を展示している資料館。「御隅櫓」と名前が付いているが、模擬建造物である。本来の櫓は二階建て。
<開館時間>9:00~16:30
<休館日>12月~3月
<入館料>100円(高校生:50円、中学生以下無料)
<駐車場>千秋公園駐車場:30分100円
<場所>秋田県秋田市千秋公園1-39

【佐竹史料館】
久保田藩の歴史資料を展示している資料館で、佐竹氏関連の書状や具足などが展示されている。
<開館時間>9:00~16:30
<休館日>12月29日~1月3日
<入館料>100円(高校生:50円)
<駐車場>千秋公園駐車場:30分100円
<場所>秋田県秋田市千秋公園1-4

アクセス

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