Spanish Harlem Orchestra &Jose Alberto El Canario Live in Hiroshima & Osaka
2003.12.25 & 27/28



  レイ・デ・ラ・パスと。
智ちゃん、さと ちゃん、瞳さん

 
 真ん中オスカール・ヘルナンデスと

 
 チャーリー・クルース(左)とヘンリー・
ノーレス(右)。そして、智ちゃん、瞳さん

 

【12月25日広島】
▼12月25日についに、広島でのライブが実現しました。
これだけの大物を広島に呼んでいただいたプロモーターの大阪のアレックスに大感謝です。
▼会場は、クラブのチャイナ・タウン。狭いながらも熱気に包まれていました。日本ツアーの初日とあって緊張気味にスタートしましたが、さすがに出てくる音は、完璧、切れもあり、一つの狂いもありません。
▼ファシナシオン・ラティーナのメンバーにとって、2003年8月のニューヨーク・サルサコングレスのライブでスパニッシュ・ハーレム・オーケストラのメンバーは、すでにおなじみ。NYでは、最前列に陣取り、特製のうちわをもって声援し、そのうちわも差し上げて大変喜ばれました。特に、レイ・デ・ラ・パスは、2003年3月にジョニー・ポランコのライブで来日。福岡で筆者は会い、少しの時間でしたが話をすることができました。
▼このような縁もあり、私たちのことをとても覚えてくれて、広島のライブは何故か暖かく、会場と一体となったライブとなりました。

【12月27日と28日大阪】
▼大阪は、梅田スカイビルのステラホール。会場はとても広くて、ステージ・音響・装飾ともすばらし環境でした。運営スタッフの多くは、大阪在住のペルー人ら。とてもよく仕事をし、日本語も堪能でした。日本人ではなく、多くのラティーノによって組織されていることに、多少の驚きを感じました。
▼大阪でのイベントは、ゲストダンサーのワークショップやショー、日本や韓国のダンスパフォーマンスがあり、広島とは違って大イベントでした。
▼パフォーマンスでは、大阪のグループが最も多かったが、特にトリを勤めた大阪の旬のダンサー、アレックス、ウィルソン、ペドロの3人の男性によるコラボレーションは、新しい日本の動きを感じさせる素晴らしいものでした。まさに、アメリカのLAのようでした。
▼広島からは、おなじみサンライズが、「ママ・ウェラ」でステージを動きまわり、観客にアピールするノリノリのダンスを繰り広げました。ヒデキ&エリは、サンバも取り入れながら、ダイナミックで、コミカルなストーリー展開の楽しいパフォーマンスでした。そして、大阪のバリエンテスのメンバーとして、小丸氏らが参加。広島と大阪で離れているにも関わらず、一体となったパフォーマンスを繰り広げました。
▼海外ゲストダンサーでは、何といっても、フランキー・マルティネスとロリー。タンゴのテイストを取り入れた闘牛士のようなパフォーマンス。音楽を体に染込ませるように踊るその動きは、フランキーならではのもの。多くの観客の目を釘付けにさせました。カナダのオリヴェとアナは、力強く、攻撃的で、迫力のあるものでしたが、回転などはとてもしなやかで、流れるようなパフォーマンス。このほかにも、ロヘーリオ、リズの参加がありました。
▼ライブの間に、これらのダンサーたちが登場し、ステージで踊ってくれました。また、DJも、NYのNO1ヘンリー・ノーレスや大阪のペルー人ミルトン、福岡のモモ太郎と多彩。最高のライブと素晴らしいゲストダンサー。十分な音響やステージ。このようなことは日本のこれまでのサルサイベントでは、なかったのでは。今回の大阪のイベントは、とても素晴らしく。これまでの日本のサルサイベントにはなかった理想的なものとして、私たちの記憶に刻まれました。

【スパニッシュ・ハーレム・オーケストラ】
▼レイ・デ・ラ・パスに、サルサロマンティカの大ヒット「オトラ・ノーチェ・カリエンテ」のことを聞くと、「もうそれは過去のもの。今は歌うことはない。NYではハードなサルサが復活している。」とのことでした。スパニッシュ・ハーレム・オーケストラとしては、2004年の1月下旬に2枚目のレコーディングに入り、4月か5月ごろにリリースされる予定。ルーベン・ブラデスの参加もあるようです。 今から楽しみです。2004年の5月には、LAのサルサコングレスのライブも決定しています。
▼フランキー・バスケスが、事情により来日しませんでしたが、そのかわり、チャーリー・クルースがいるではありませんか。ビリ・ビリ・ビリ・ボン・ボンでヒットを放ち、この曲を広島のパーティでもよく掛けていたので、うれしくなってしまいました。ただ、急遽の参加だったせいか、まだ、メンバーに溶け込めていなくて、緊張気味でした。
▼ボーカルのウィリー・トレスは、NYでの縁もあって、大阪のステージの途中で、広島のファシナシオン・ラティーナやメンバーのサトちゃんの名前を呼び上げてくれました。レイも同様に、呼び上げてくれました。ウィリーは、演奏の途中でステージから降りてきて、私たちのところに挨拶に来たのにはびっくり!とても広島びいきでした。
▼トロンボーンのジミー・ボッシュは、マニー・オケンドのリブレでおなじみで、NYでは人気の奏者です。今度は自分のバンドで日本に来たいと語っていまいた。演奏の前には、ダンスも踊ってくれました。
▼ティンバレスのパブロ・チノは、ホセ・アルベルトのCDによく登場するので、おなじみですが、彼の力強いティンバレスと、笑顔は、観客を引き込ませます。
▼オスカール・エルナンデスは、バンドリーダーとして、長年のキャリアを誇ります。今回も冷静に バンドをリードしていました。
▼ベースのマキシモ・ロドリゲスは、奥さんが日本人ということもあって、日本語も上手。ベースの腕前も最高。


 サイン中のホセ・アルベルト

【ホセ・アルベルト・エル・カナリオ】
▼2003NYのクラブ「ババルー」で会ったことを覚えてくれ、再会を喜びました。ホセ・アルベルトの曲は、よく聞き、大ヒットも多いので、おなじみのナンバーを歌ってくれたので、一気に盛り上がりました。
▼1曲目が、「ア・ラ・オラ・ケ・メ・ヤンメン・ボイ」。2003年広島のゆかた祭りのパレードに使った曲でおなじみ。広島のライブではみんなで踊りました。
▼2曲目は、「ディスクルパ・メ・セニョーラ」。プロモーションビデオでおなじみ。筆者はサルサを紹介するときに、いつもこのビデオを上映します。クラブでのシーンであること、女性を誘ってホセ・アルベルトが踊るシーンがあること、そして、エディ・トレスらのダンサーがフロアで踊っているからです。
▼ 3曲は、マチートに捧げる「ウナ・パエジャ」。この曲はファシナシオン・ラティーナとして、1999年のパフォーマンスに使った曲で、とてもなじみがありました。 ホセのフルートに見せた口笛と、本物のフルートとの掛けあいは、見ごたえ、聞き応えがあり、会場は多いに盛り上がりました。
▼このほか、ペルーに捧げる「ラ・フロール・デ・ラ・カネラ」。チンプン-カヤオと掛け声でもりあがりました。「メ・デホ・ピカオ」もノリノリ。

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