大  垣
 ● おくのほそ道 本文
 露通も此みなとまで出むかひて、みのゝ国へと伴ふ。駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。前川子・荊口父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び、且いたはる。旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて、
   蛤のふたみにわかれ行秋ぞ
 ● ぼくの細道
 行春や鳥啼き魚の目は泪、で始まった「奥の細道」の旅は、蛤のふたみに別行秋ぞ、で終わった。・・・ことになっているが、なんか変だな。(°°? 
 って、おいおい、本はもう完結してるんだぜ、何へそを曲げてるんだい? 150日600里を歩いてきた芭蕉翁にまだ歩けって言うのかい?
 うん、そのとおり。だってね、芭蕉翁は、大垣へ帰ってきたわけじゃない。旅はまだ続いているんだぜ。
 たしかに大垣は、仲間や弟子がたくさん居て、いわゆる蕉風俳諧の拠点みたいになっているが、芭蕉翁は大垣に住んでいたわけじゃない。旅の途次、大垣に立ち寄っただけだ。「おくのほそ道」にはこの後が書いてないからといってこの旅が終わったとは言い切れないと思う。
 現に、芭蕉翁は大垣には何日も滞在せず「又舟にのりて」旅を続けているじゃないか。だいいち「奥の細道」の旅というけれど、越後から大垣は「みちのく」じゃない。言ってみれば「北陸の細道」じゃない?
 そういうことを整理して言うと、「おくのほそ道」という本の旅は江戸から大垣まで。このうち「奥の細道」は平泉か象潟まで。芭蕉翁の旅はまだ続いている、ってことになるかな。
 拙文の冒頭で述べたように、旅というものは帰り着く家があって成り立つもの。その家を売り払ってしまったのだから、芭蕉翁には帰るところがない。したがって翁の旅は終わることがないと。
旅程索引 碑めぐり