山 中 温 泉
 ● おくのほそ道 本文
 温泉に浴す。其功有明に次と云。
       山中や菊はたおらぬ湯の匂
 あるじとする物は、久米之助とて、いまだ小童也。かれが父俳諧を好み、洛の貞室、若輩のむかし、爰に来りし比、風雅に辱しめられて、洛に帰て貞徳の門人となって世にしらる。功名の後、此一村判詞の料を請ずと云。今更むかし語とはなりぬ。
 ● ぼくの細道
 オレってダメだなあ・・・・ つくづく思う。
 山中温泉の句といえば、当然「おくのほそ道」に登載された「山中や・・・・」だろう。ところがあたしは
    湯の名残今宵は肌の寒からむ
のほうをとる。なんとなくイロっぽさ、艶かしさを感じるからだ。名残、肌、の語感によるものだろうが、さらに不倫っぽい匂いまでして・・・・

 バッカモン! 薫り高い文学作品を目の前にして、なんてことを言うんだ。これだから品性卑しい人間とは付き合えない。(^^;
 当時の山中温泉は、というより温泉はどこでも同じだが、純粋に湯治場だった。心身を病んだ人々が集まり、大地の恵みに浸って癒しを求めたいわば聖地なのだ。温泉は自然湧出、もちろん源泉かけ流しで、文字通り大地の恵みだった。人々はこれを神仏からの授かりものと考え、寺を建てあるいは神社を祀って感謝の念を表した。だから古くからの温泉地には必ずといっていいほど「温泉寺」ないし「温泉神社」がある。また、寺や神社の建てられないところでは、浴槽の近くに仏像を刻み、「薬師の湯」などと名づけた。

 山中温泉にも寺がある。医王寺と称し、町一番の高台にあって病んだ人々の癒しを見守っている。信仰の有無は関係ない。こういう寺や神社には、大自然への感謝の気持ちを持って訪れたいものだ。
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