曾良との別れ
 ● おくのほそ道 本文
 曾良は腹を病て、伊勢の国長島と云所にゆかりあれば、先立て行に、
   行行てたふれ伏とも萩の原  曾良
と書置たり。行ものゝ悲しみ、残るものゝうらみ、隻鳧のわかれて雲にまよふがごとし。予も又、
   今日よりや書付消さん笠の露
 ● ぼくの細道
 山中温泉の湯で、芭蕉翁の長旅の疲れはすっかり流れ去ったようだが、金沢から続く曾良の体調不良は治らなかった。
 「先生。どうにも腹痛が治まりませんので、伊勢の国長島の親戚の家で養生してまいりたいと存じます。いえ大丈夫でございます。よしんば途中で倒れ伏したとしても、萩の花がしっかりと抱きしめてくれるでしょう。風流の道に一生をささげた身には本望です」
 「そうか。行ってしまうか。お前が居なくなるとこれから先の旅が心許なくなるが、やむを得まい。お前を頼りにし、弘法大師とも頼んで笠の内に書いた、同行二人、の文字は消して、雲をつかむような旅を続けよう」
 ・・・と芭蕉翁は不安をつづっているが、どうもこの「別れ」には裏がありそうだ、というのが「芭蕉忍者説」をはじめ、さまざまな憶測の根拠になっている。
 いちいちは取り上げないが、確かにこの「別れ」には疑問が多い。このあと伊勢へ急ぐはずの曾良は、芭蕉翁の先遣隊のように福井、敦賀をまわっているし、翁の宿賃の先払いまでしているのだ。それよりも芭蕉翁はこのあと小松へ戻って2泊もしているのに、曾良は1日の距離の全昌寺で、まるで翁の到着を待っていたかのようなすれ違い劇を演じている。
 曾良さんよう、本当に具合が悪かったのかい? 腹痛とか頭痛っていうのは、あたしたちにとっちゃズル休みの言い訳の典型なんだけどなあ。(^O^)
 いやいや責めてるんじゃないよ。どんなに信頼しあった間柄でも、いい歳のジイサン二人、二六時中、半年近くも顔を突き合わせていれば、いろいろ感情の行き違いもでるもんだって。まして芭蕉翁、ずいぶん気難しかったって、ね。
旅程索引 碑めぐり  那谷寺→