出 雲 崎 |
● おくのほそ道 本文 |
銀河ノ序 |
● ぼくの細道 |
「おくのほそ道」で、新潟をあまりにそっけなく扱ったことに悔いたのだろうか、芭蕉は、後に「銀河ノ序」として、上記の文章を付け加えている。 この一文に見る限り、かなりの強行軍で新潟を駆け抜けたが、芭蕉は新潟の海、佐渡島のある景色に感動し、心に刻んでいたといえる。 ただし、あくまでも後日の追加のためか、翁の記憶違いと思われることもある。その最大は、この「天の川」の句を作ったのは「出雲崎」としている点だ。 曾良の日記によれば、出雲崎に泊まった日の天候は、昼間こそ快晴だが夜は雨。それも相当強く降った模様で、とても「天の川」は見えなかったと思われる。 では、ここに描かれた佐渡島と天の川の景色はどこか。弥彦ではなかったかと私は思う。 だが、芭蕉翁の泊まった宝光院からでは佐渡島は見えない。弥彦山が視界をさえぎるからだが、その弥彦山に、芭蕉翁は登ったのではないか。私は弥彦神社の裏手からこの山に登り佐渡島を眼前にして、「絶対ここだ!」と感じた。 ただし「銀河の序」および「…天の川」の句は、かなり情緒的、観念的だ。旅行記として正確に書く必要はないので、この詩の天啓的ひらめきを受けたのが出雲崎としても一向に差し支えないと思う。 ![]() 良寛さんの句に、 新池や 蛙飛び込む 音もなし というのがある。誰でも気づくように、芭蕉翁の「古池や…」を下敷きにしたものだが、発想の豊かさが感じられる。 こんなのもある。 名月や 庭の芭蕉と 背くらべ |
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