五智国分寺
 ● ぼくの細道
 「国分寺」は、聖武天皇の御世、奈良・東大寺を束ねとして全国の国府と併設して作られたが、その後、衰退し、生き残った寺もさまざまな宗派に帰属するようになった。
 寺名は、壮健当初からの引継ぎで、○○国分寺のように地名を冠するのが通例となっているが、ここだけは、古来「五智国分寺」と呼ばれている。
これは、別に越後国分寺が存在するので識別するため、本尊の五智如来の名をとってこう呼んでいるもの。
 創建の経緯から、どの国分寺も敷地は広大で、国宝、重要文化財級の寺宝を擁するが、無住に近い状態になった寺も多い。
 五智国分寺はまた、流罪となった親鸞が庵を結んだ地としても知られており、近くには、親鸞が新婚時代をすごした「国府別院」もある。

 芭蕉は七夕を挟んで5日間、直江津、高田に滞在し、8月25日、五智国分寺、居多神社などを参拝して、この地を離れた。
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