大 石 田
 ● おくのほそ道 本文
 最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。爰に古き俳諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角一声の心をやはらげ、此道にさぐりあしゝて、新古ふた道にふみまよふといへども、みちしるべする人しなければと、わりなき一巻残しぬ。このたびの風流、爰に至れり。
 最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の滝は青葉の隙々に落て、仙人堂、岸に臨て立。水みなぎつて舟あやうし。
   五月雨をあつめて早し最上川
 ● ぼくの細道
 山寺に立ち寄った後、芭蕉翁は山形から直接出羽三山に向かうつもりだったようだが、追いかけるように大石田の高野一栄から使いが来た。「ぜひ、おいで願いたい」と馬まで用意していた。これでは断るわけには行くまい・・・ というのはあたしの推測で、大石田は尾花沢の隣だから、ほとんど出発点に戻るようなコースは普通では採りにくいからだ。
 が、このコースを選んだのは正解だった。
 大石田には、「古き俳諧の種こぼれて」いて「道しるべする人」がなかったので、芭蕉翁は大いに歓待され「このたびの風流、爰に至れり」と感動させられた。大石田は港町で最上川水運の拠点。高野一栄は舟問屋の主。都の文化を大いに受け止めていたのだろう。
 いずれにせよ、この高野一栄が居て大石田に戻ることがなかったら、あの芭蕉翁の代表作
     五月雨をあつめて早し最上川
は生まれなかっただろう。
 もっとも、大石田で作った初作は  五月雨をあつめて涼し最上川  だった。高野一栄らと巻いた歌仙に納められており、のちに「おくのほそ道」出版の際に推敲改作されたものらしいが、涼しい最上川も傑作といえるだろう。
(写真は、高野一栄邸跡の句碑)
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