大 石 田 |
● おくのほそ道 本文 |
最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。爰に古き俳諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角一声の心をやはらげ、此道にさぐりあしゝて、新古ふた道にふみまよふといへども、みちしるべする人しなければと、わりなき一巻残しぬ。このたびの風流、爰に至れり。 |
● ぼくの細道 | |
![]() が、このコースを選んだのは正解だった。 大石田には、「古き俳諧の種こぼれて」いて「道しるべする人」がなかったので、芭蕉翁は大いに歓待され「このたびの風流、爰に至れり」と感動させられた。大石田は港町で最上川水運の拠点。高野一栄は舟問屋の主。都の文化を大いに受け止めていたのだろう。 いずれにせよ、この高野一栄が居て大石田に戻ることがなかったら、あの芭蕉翁の代表作 五月雨をあつめて早し最上川 は生まれなかっただろう。 もっとも、大石田で作った初作は 五月雨をあつめて涼し最上川 だった。高野一栄らと巻いた歌仙に納められており、のちに「おくのほそ道」出版の際に推敲改作されたものらしいが、涼しい最上川も傑作といえるだろう。(写真は、高野一栄邸跡の句碑) |
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