最 上 川
 ● おくのほそ道 本文
 最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。爰に古き俳諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角一声の心をやはらげ、此道にさぐりあしゝて、新古ふた道にふみまよふといへども、みちしるべする人しなければと、わりなき一巻残しぬ。このたびの風流、爰に至れり。
 最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の滝は青葉の隙々に落て、仙人堂、岸に臨て立。水みなぎつて舟あやうし。
   五月雨をあつめて早し最上川
 ● ぼくの細道
 山形県南部、福島県境の吾妻山付近を源流とし、
北の端酒田で日本海に注ぐ、単一県内だけで完結する河川では日本最長の最上川。日本三大急流の一つとしても知られる。(ちなみに残り二つは、球磨川、富士川。実際にはこれらより富山の常願寺川のほうが急流であるが、知名度で減点された)
 だが実際に芭蕉翁が見たと思われる付近の最上川は、大河らしくゆったりと流れていて、とても急流とは呼べない。
 急流というのは違う箇所で、大石田よりも更に上流の、現在の村山市付近らしい。当時の舟運はこれを避けてこの間を陸運に頼ったため、大石田がターミナルとして栄えた。
 ところで芭蕉翁は、大石田で最上川くだりの舟に乗ろうと「日和を待」ったように書いているがこれは作文で、大石田での3泊は、俳諧指導の商売に専念していたようだ。その後新庄で2泊し、ようやく船に乗り込んでいる。
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