尾 花 沢
 ● おくのほそ道 本文
 尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども志いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。
   涼しさを我宿にしてねまる也
   這出よかひやが下のひきの声
   まゆはきを俤にして紅粉の花
   蚕飼する人は古代のすがた哉 曾良
 ● ぼくの細道
 封人の家で蚤虱や馬のオシッコに悩まされ、山刀伐峠では山賊話に脅かされるなど、散々な目にあいながらも芭蕉翁が尾花沢をめざしたのは、俳人鈴木清風に会うためだった。
 鈴木清風。紅花大尽とあだ名されるこの人物は、この地方きっての豪商で、主に紅花を扱って江戸や京都にも足を運んでおり、芭蕉翁とはその際に面識があった。
 「かれは富るものなれども志いやしからず」とその好ましい人物像が紹介されている。
 当時の豪商といえば、紀文こと紀伊国屋文左衛門が知られているが、紀文が、三日三晩吉原を買いきって小判の雨を降らせてのドンチャン騒ぎ、という逸話が残っているのに対し、清風は、同じく三日三晩吉原を買いきったが花魁たちを休養させて、財力と人品の違いを見せ付けた、といわれている。
 芭蕉翁の来訪を喜んだ清風は、商家のあわただしさの中では旅の疲れも取れまいと、初日こそ自邸に泊めたが、翌日からは多くの俳人たちが訪問しやすいようにとの配慮から近くの養泉寺に宿を取った。
 その心配りにいたく満足したのか、芭蕉翁は尾花沢に10日間も滞在した。これは、黒羽に次いで2番目の長期滞在の記録だ。
 天国のような日々に長旅の疲れを癒した芭蕉翁は、再び旅の人となったが、ここで芭蕉翁は「奥の細道」最高の絶景に出会い、自作ベストテンにランキングされる句を生み出すことになる。
(写真は、清風芭蕉歴史資料館=右、と紅花=左)
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