封人の家
 ● おくのほそ道 本文
 南部道遙にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎・みづの小島を過て、なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。大山をのぼつて日既暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。
    蚤虱馬の尿する枕もと
 ● ぼくの細道
 出羽の山中のとある「封人の家」に2泊したのは、ただ単に雨に降り込められたせいだった。なあんにもない山の中、さぞや退屈だったろう。だからってわけじゃないが、ほかにすることもないので芭蕉翁、商売の詩作にふけった。そこで生まれたのが名句
    蚤虱馬の尿する枕もと
 この句、蚤や虱に悩まされ、それに馬の尿する音まで加わって夢うつつ、これも旅ならではのひと時だ、と解釈するのが一般的だ。そうなのだろう。
 が、違う解釈も成り立つのではないか。
 雨に閉じ込められた一日、旅人はもとよりこの家の主まで、何をなすでもなくただじっと寝転んで雨のやむのを待ち続ける。さらに蚤や虱といった小物から、馬のような大物まで、一つ屋根の下でひたすら時の過ぎ行くのを待っている。時折響き渡る、馬の尿の音だけが生きている証か・・・・
 ・・・・なんてね。

 ところで、この句の「尿」の字、どう読む? 私は「尿前の関」と同様に、「しと」と読んでいた。はっきり記憶にはないが、そう教えられたように思う。ところが最近読んだ本では、わざわざ「ばり」とルビを振ってあった。
 ドキッとした。すごい。「馬のシトする」と「馬のバリする」では迫力が違う。ご存知のように、馬のオシッコはすさまじい。「ばしゃっ」というような音が響く。それを表すには、ここは「バリ」でなければならない。芭蕉翁もきっとそう謳ったのだと思う。
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