弁慶の墓
 ● ぼくの細道
 俳聖松尾芭蕉の「おくのほそ道」をたどり、平泉に達すると、人は否が応でも悲劇のヒーロー源義経の生涯に思いをはせることになる。
 そして同時に、いやそれ以上に、常に膝下にあってこの英雄を支え守り続けた一人の家来の悲劇を思わざるを得ない。
 武蔵坊弁慶。
 豪傑中の豪傑である。知力、体力ともに人に優れ、深く深く人を愛する心をあわせ持った稀代の武将であった。

 左は、弁慶の墓。
 衣川中の瀬で、死してもなお立ちはだかって主君を守り続けた弁慶。その死は人の心を揺さぶり、中尊寺門前に葬られた。人々は墓所に四季折々の花を植え、屈指の豪傑の墓碑をやさしく飾る。

 その昔、京都五条の橋の上、夜な夜な化け物が出て貴人、武人を叩きのめしてはその腰の太刀を奪い取っていた。
 化け物の名は武蔵坊弁慶。同僚の姦計により、天台の本山、比叡の中堂を焼き払った極悪人として寺を追われた僧侶だった。天帝のおわす都の安寧を騒がすものとして役人に追われる存在で、腕に覚えの武士たちが次々に化け物退治に乗り出したが、すべて大事な太刀を奪い取られる結果となった。

 ある夜のことだった。
 化け物を恐れて誰も近づかなくなった五条の大橋に、折からの名月に誘われるようにやってきた貴公子。笛を吹きながらのそぞろ歩きは女かと思えたが、見るとその腰には由緒ありげな黄金の太刀。
 「待てよ、そこな小僧!」
 立ちはだかる化け物。だが、衣を被った貴公子のそぞろ歩きは止まらず、笛の旋律にはいささかの乱れもない。
 「小僧、その腰のものを置いてゆけ!」
 叫んで掴みかかる化け物を軽くかわしてなお続く笛の音。何度も捕えようと試み、どう脅しても止まぬ笛の音に業を煮やした化け物は、ついに手にした大薙刀を振るう。さしもの貴公子もこれまでと思えたが…… 消えた。
 「ぬ?」
 が、相変わらず止まぬ笛の音。振り返ると、何事もなかったかのようにそぞろ歩きを続ける貴公子。
 「ぬぬぬぬ…!」
 頭にきた化け物め、秘術を尽くして薙刀を振るうが、ひらりひらりとかわされて、ついには額を蹴飛ばされる始末。
 「ま〜ひ〜った…」
 と言ったかどうかは知らないが、ついに化け物は貴公子に退治されてしまった……

 牛若丸にひれ伏した武蔵坊弁慶。都の外の茅屋には、今まで奪い貯めた999本の太刀が隠してあった。これを差し出して弁慶は、以後、牛若丸を生涯の主と仰ぐ。

 歌舞伎十八番、勧進帳。安宅関の段。
 「ええい、この軟弱者めが!」
 弁慶は不忠者の汚名を涙とともに胸に押し込め、手にした錫杖で、主君義経を殴り倒した。その心を感じ取った関所役人富樫は、若者を幕府お手配の源義経と知りつつも、一行の関所通過を許した。武士の誠のぶつかり合いと情をあらわしたこのエピソードは、以後、日本人の心として語り継がれるものとなった。
   色かへぬ 松のあるじや 武蔵坊
 江戸中期の俳人、素鳥(中尊寺僧侶)の句。自然石に刻まれて、弁慶の墓の隣でその心を永遠にたたえ続けている。

 なお、中尊寺杞愛宕宮(通称、弁慶堂)には義経主従が逃避行に使った勧進帳や笈などが保存されている。

 好きだなあ、弁慶。
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