「おくのほそ道」中盤のクライマックスである。
芭蕉の、この旅の目的の一つは、敬愛する判官義経の最期の地を見ることだったと思えるフシがある。
古都平泉に入り、真っ先に高館・義経堂に参った芭蕉の目に映じたものは……
奥州藤原氏4代の栄華はすでになく、あの義経主従の悲劇を伝えるものは生い茂る夏草だけだった。
義経の自刃、弁慶の立ち往生、佐藤兄弟の討死のすべて見てきたはずの北上川、衣川、金鶏山、束稲山も何も語ってくれなかった……
旅の疲れがどっと出て、翁は地面に座り込み、しばし湧き上がる滂沱の涙は流れるにまかせた。

夏草や 兵どもが 夢の跡
高館・義経堂。かつてはもっと広く、義経の居館があったとする説もあるが、北上川に浸食されて現在のように狭くなったのだそうだ。
義経堂周辺には、義経主従供養塔と源義経木像がある。像は、新しく見えるが、堂と同じ1680年代の作(仙台藩主第4代伊達綱村建立)。
下の写真は、卯の花清水。
かつては清水が湧き出ていたが、現在は涸れてしまって水道水が流されている。もちろん飲める。うまいという人もいるが、所詮水道水である。

ここには、曽良の句碑がある。
卯の花に 兼房みゆる 白毛かな
兼房とは、義経の妻の世話係だった老人増尾十郎兼房。姫のため、義経の奥州下りに同行したが、妻子とともに自害した義経の最後を見届けたあと、屋敷に火を放ち、寄せ手の大将・長崎太郎兄弟を道連れに炎に身を投じたと伝えられる。
芭蕉一行がこの地を訪れた折、咲いていた卯の花を兼房の白髪に見立てたものか。
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