雄 島 |
● おくのほそ道 本文 |
雄島が磯は地つヾきて海に出たる島也。雲居禅師の別室の跡、坐禅石など有。将、松の木陰に世をいとふ人も稀々見え侍りて、落穂・松笠など打けふりたる草の菴閑に住なし、いかなる人とはしられずながら、先なつかしく立寄ほどに、月海にうつりて、昼のながめ又あらたむ。江上に帰りて宿を求れば、窓をひらき二階を作て、風雲の中に旅寐するこそ、あやしきまで妙なる心地はせらるれ。 |
● ぼくの細道 |
![]() 芭蕉翁はここで、「雄島が磯は地続きで海に出たる島」つまり半島だ、と書いている。が、今日われわれは写真のような朱塗りの橋を渡って雄島に入る。潮の干満により砂嘴が現れる様子もなく、岩盤が浸食されるほどの波が打ち寄せているわけでもない。紛れもなく雄島は独立した島なのだ。 これをどう読み解くか。 この疑問には、「芭蕉の錯誤だ」、今日、ほとんどの研究者がそう答え、公式にもそう切り捨てられている。だが、果たしてそう決め付けてしまってよいものだろうか。 「おくのほそ道」には事実と異なる記載がいくつもみられる。が、そのほとんどは、文芸としての構成上のレトリックとみられており、単純に「錯誤」と思えるような記載はない。 では、何か意図があって、翁はこのように書いたのか。然り。へそ曲がりのあたしは、ここであえて翁の筆の側に立つ。 雄島が磯は地続きで海に出たる島、だったのだ! 雄島は、陸奥の高野山、と呼ばれた瑞巌寺の「奥の院」である。雲居禅師はじめ名だたる法力を持った聖たちの修行の場、霊地である。芭蕉翁は、霊の力に導かれて雄島に渡った。まるで地続きの道を歩むように。 雄島の段の本文の流れをよく見てほしい。翁は霊の島で、修行にいそしむ霊と交わり、宿に帰ってからも「あやしきまでたえなる心地」に浸っているのだ。幽玄の境地だったのであろう。 芭蕉翁は、己の未熟さを悟り、この松島で多くの感動を受けながら、俳句はひとつも作らなかった。「おくのほそ道」に登載しなかったのではない、作れなかったのだ。高みに立ったものだけが知る「悟り」の境地だったのであろう。 |
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