瑞 巌 寺
 ● おくのほそ道 本文
 十一日、瑞岩寺に詣。当寺三十二世の昔、真壁の平四郎出家して入唐、帰朝の後開山す。其後に、雲居禅師の徳化に依て、七堂甍改りて、金壁荘厳光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。彼見仏聖の寺はいづくにやとしたはる。
 ● ぼくの細道
 芭蕉って人はよくわからない人だ。というより、素直に考えると、実にわかりやすい人、なのかもしれない。
 この日(日付が書いてあるが、いい加減?だから無視しよう)芭蕉翁一行は、まず塩竃神社に詣でたのち、松島に向けて船に乗ったのが昼近く。現代の塩釜、松島間のルートと同じと仮定すると、この間約50分。今日の機動船ほどのスピードは出まいから、これより短時間は考えにくい。松島海岸に着い他のが午後1時半くらいか。まず瑞巌寺に詣でたあと、つづいて雄島、五大堂その他を見て回り、宿に入った。翌日は、出立してすぐさま石巻へと向かう・・・
 なぜこんなことを長々と書いたかというと、今日、われら野次馬観光でも同じくらいの時間がかかる、つまり稀代の芸術家芭蕉といえども、通り一遍の観光客とたいして変わらない観光旅行をしたのだ、といいたかったわけだ。
 言い方を変えれば、見仏上人の寺を探すという、野次馬観光以上の知識を瑞巌寺に対して持ち合わせていたとしても、全体の流れをみると同じだったといえる。
 ということは、だよ、見るもの、聞くもの、観光に要する時間も現代のわれわれとそう変わらない、ってことだ。ただちょっと、芸術家の目には映るものが違うってことだろう。瑞巌寺が如何に壮麗でも、多くの修行僧が雨露をしのいだ多くの岩屋のほうに魂の叫びを聞いて、翁は感動していたのだろう。

 芭蕉翁は、松島の宿で月を愛でながら一泊し、翌日はさっさと次の予定地に向けて旅を続けた。松島の風光明媚も翁の脚を縛ることはない。しかるべき後援者がいて、句会を開いて商売ができるところ以外は、長逗留の必要はなかった。
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