塩  竃
 ● おくのほそ道 本文
 早朝、塩がまの明神に詣。国守再興せられて、宮柱ふとしく、彩椽きらびやかに、石の階九仞に重り、朝日あけの玉がきをかゝやかす。かゝる道の果、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそ、吾国の風俗なれと、いと貴けれ。神前に古き宝燈有。かねの戸びらの面に、「文治三年和泉三郎奇進」と有。五百年来の俤、今目の前にうかびて、そヾろに珍し。渠は勇義忠孝の士也。佳名今に至りて、したはずといふ事なし。誠「人能道を勤め、義を守るべし。名もまた是にしたがふ」と云り。
 日既午にちかし。船をかりて松島にわたる。其間二里余、雄島の磯につく。
 ● ぼくの細道
 塩竃神社を訪れるといやでも目に付くのがこの古ぼけた宝灯である。その宝灯に思いがけずよく知っている名前を見出して芭蕉翁は興奮した。
 「和泉三郎」。
 和泉三郎、とは奥州藤原氏三代秀衡の三男忠衡のことである。
 忠衡は、源頼朝の激しい圧力に屈して義経を襲った兄泰衡に対し、父秀衡の遺志を継いで最後まで忠義を尽くして義経を守った。が、義経自刃後、兄との戦いに敗れ、討ち死にした。
 芭蕉翁はこういう話が好きだったようだ。義経ばかりでなく、木曽義仲に対しても深い思い入れがあり、自分の死後は義仲と同じ寺に葬ってほしいと遺言したほどだ。
 戦というものは、勝敗どちら側にもそれなりの「理」があり「勇義忠孝」が存在するものだが、判官びいきというのだろう、負けた側が1点得をしているようだ。(^O^)
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