飯坂温泉
 ● おくのほそ道 本文
 五月朔日の事也。
 其夜飯塚にとまる。温泉あれば、湯に入て宿をかるに、土坐に筵を敷て、あやしき貧家也。灯もなければ、ゐろりの火かげに寝所をまうけて臥す。夜に入て、雷鳴雨しきりに降て、臥る上よりもり、蚤・蚊にせゝられて眠らず 。持病さへおこりて、消入計になん。短夜の空もやうやう明れば、又旅立ぬ。猶夜の余波心すすまず、馬かりて桑折の駅に出る。遥なる行末をかかえて、斯る病覚束なしといえど、
羇旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路にしなん是天の命なりと、気力聊とり直し、路縦横に踏で、伊達の大木戸をこす。
 ● ぼくの細道
 いやあ、芭蕉翁、ひどい目にあったようだ。
 せっかく温泉に浸かっていい気分になったのに、あとがよくない。土間にむしろ? 蚤や蚊が出て? 持病まで起こった? そりゃ辛かったろう。飯坂温泉てのはひどいところだ。……と解釈しないほうがよさそうだ。
 だいたい芭蕉翁、これまでにも無住の荒れ寺にもぐりこんだり、安宿と思えるところに泊まったり、野宿に近いことをしてきたではないか。なぜことさらにそれを言い立てるのか。
 実は、この旅の同行者であり、冷静かつ客観的な旅の記録者でもあった曾良は、この事件については何も記録していない。ということはつまり、そんな事件はなかったか、この旅においては日常的なことで特筆すべきことではなかったといえる。
 また、ある研究者は言う。芭蕉翁が泊まったのは湯番小屋ではなかったか、と。
 さらに、このときより前、藩主より「田地を開作せず、商いもいたさず、むざとこれあるもの
其村に置べからず、宿かすまじき事」という厳しい通達が出たことがある。芭蕉が訪れたときは、その禁令はすでに解かれていたが、庶民の恐怖心はそう簡単には解けない。いまでこそ俳聖芭蕉といっても、当時の人にとってはただのこじき坊主である。雨露がしのげただけでもありがたいと思わねばならなかったかも。
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