国 見 峠
 ● ぼくの細道
 蚤や蚊にたかられた上、持病まで起こして苦しめられた翁は、ぼやきながらも陸奥をさらに深く分け入った。とはいうものの、曾良は、この師匠のご不快については何も書き残していない。ということは、眠れなかったの持病を起こしたのというのは、文章上の修飾ということもありうる。
 「おくのほそ道」は、約半年にも及ぶ長旅だ。蚤や蚊に苦しめられたこともあろうし、病気にも罹ったろう。だがそれが飯坂温泉だったとする根拠はない。
 あえて、飯坂温泉の味方になり、翁の持病なんて放っておいて、脚を先に進めよう。翁は馬に乗ったので先に行くかもしれないが、どうせこの先には伊達藩の越河の番所がある。伊達藩の出入国管理は厳しいそうだから、そこで合流できるよ。(^0^)

 現在の福島県と宮城県の県境、国見峠は、古戦場だ。古くは、源頼朝軍と奥州藤原軍が戦い、奥州藤原軍は滅亡にいたる。これにより鎌倉幕府が成立し、頼朝は天下に号令を発することになる。
 時代は下って、戊辰戦争の折には、この付近に官軍の砲台が築かれるなど、天下分け目の戦いが繰り広げられ「北の関が原」とも呼ばれている。
 またこのあたりには、芭蕉翁の敬愛する源義経にかかわる言い伝えも多い。右写真は、義経が金売り吉次の案内で奥州へ赴いた折に腰掛けたとされる「義経の腰掛松」。この近くには「弁慶の硯石」というのもある。(^0^)もっとも、芭蕉翁は、こういう怪しげな話には興味を示さなかった。当然だろうけど、それを見に行ったあたしは、いったい何なんだ。
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