医 王 寺
 ● おくのほそ道 本文
 月の輪のわたしを越て、瀬の上と云宿に出づ。佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半計に有。飯塚の里鯖野と聞て、尋たずね行に、丸山と云に尋あたる。是庄司が旧館也。麓に大手の跡など、人の教ゆるにまかせて泪を落し、又かたはらの古寺に一家の石碑を残す。中にも二人の嫁がしるし、先哀也。女なれどもかひがひしき名の世に聞えつる物かなと袂をぬらしぬ。堕涙の石碑も遠きにあらず。寺に入て茶を乞へば、爰に義経の太刀・弁慶が笈をとヾめて汁物とす。
   笈も太刀も五月にかざれ帋幟
 ● ぼくの細道 
 佐藤庄司が旧跡、とは、藤原秀衡の配下、佐藤基治の館ことで、大鳥城のこと。 「奥の細道」本文では、館あとを訪ね歩いたように書いているが、曾良の日記では佐藤家の菩提寺(医王寺)を訪れている。基治の子、忠信、継信兄弟は源義経にしたがってそれぞれ壮烈な戦死を遂げたことで知られている。
 芭蕉は、このあと平泉の段でもわかるが、大の義経ファンで、とくに佐藤兄弟の忠義には激しく感動していたようだ。

 とりわけ、兄弟の嫁が二人の甲冑を着て現れ、老いた母を勇気付けた、という逸話には涙を流したらしい。

写真は義経(中央)と佐藤兄弟の像

 その折、義経主従の笈や太刀を見せられた。
 「笈も太刀も…」の句、五月晴れの空に風を受けて翻るのぼりを描き、いかにも勇壮な絵が浮かび上がるが、なんとなく悲しみを感ずるのは義経の悲劇を思ってのことだろう。

医王寺

佐藤兄弟墓碑
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