文字摺石
 ● おくのほそ道 本文
 あくれば、しのぶもぢ摺りの石を尋て、忍ぶのさとに行。遥山陰の小里に石半土に埋てあり。里の童部の来りて教ける、「昔は此山の上に侍しを、往来の人の麦草をあらして、此石を試侍をにくみて、此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたり」と云。さもあるべき事にや。
    早苗とる手もとや昔しのぶ摺
 ● ぼくの細道
 福島の町を歩くと、やけに「もぢずり」という言葉に出会う。もぢずり観音にもぢずり橋、はてはもぢずりせんべいまで、要するに、もぢずりは福島の象徴なのだ。それはいいとして、浅学の身、もぢずりってなんだか知らなかった。(^_^;

  みちのくの 忍ぶもぢずり 誰ゆえに 
     みだれそめにし われならなくに

 うん、この歌は知ってる。百人一首の歌だけど、なるほど、もぢずりが出てくるね。河原左大臣源融、嵯峨天皇の皇子で、「源氏物語」光源氏のモデルと目されている人の作だ。
 で、それがどうした?
 というわけで今回それを調べてみた。

 「忍草の葉を布帛に摺りつけて、もじれ乱れたような模様を染め出したもの。また、ねじれ 乱れたような模様のある石に布をあてて摺りこんで染めものともいう。古来、陸奥国(福島県)信夫郡から産出する絹織物の模様として和歌・俳諧に多く歌われている。しのぶもじずり。しのぶずり。」(小学館:日本国語大辞典)

 要するに、染物の文様の一種だろう? それがどうした?

 その源融が陸奥出羽按察使としてこの国に赴任した際、虎姫という美女に出会った。二人は愛し合うようになったが、融は都へ帰らねばならなかった。「便りを出す」といって別れたが、いつまで待っても便りは届かない。ついに虎姫は思い焦がれて病気になってしまう。そして死の前日、文知摺石の鏡のような表面に、上記の歌が浮かんだ、というのだ。
 虎姫は、結局死んでしまうのだが、その後にようやく融の便りが届いた、という。
 つまり悲恋物語でした。
 
(写真右上は、文知摺石、左上は、河原左大臣源融の墓。隣に寄り添うように虎姫の石塔がある)
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