可 伸 |
● おくのほそ道 本文 |
此宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有。橡ひろふ太山もかくやと閧ノ覚られて、ものに書付侍る。其詞、栗といふ文字は西の木と書て、西方浄土に便ありと、行基菩薩の一生杖にも柱にも此木を用給ふとかや。 |
● ぼくの細道 |
![]() 背を丸め、ひたすら時の過ぎ行くのを待ち続けている。時が過ぎれば人は死ぬ。西方へと旅立たねばならないのだ。その時が来るまで、大きな栗の木、人の情けにすがって、生きねばならない。人の情けがなければ生きてゆくこともできない。 芭蕉翁の胸は震えた。世捨て人可伸の背に自分の人生を見たからだ。 風流の道に身をささげたとは言うものの、その道は、ただ時の過ぎ行くのを待つ人生とどれほどの差があるのか。結局等窮のような栗の木の支えがなければ成り立たないではないか。これまでも、これからも、この旅の一歩一歩が栗の木を探して歩く旅ではないか。 風雅の道は、この栗の花のように、精一杯咲いてみても世の人の目にはなかなか映らぬもの。だが、その花を見出すものもいよう。丸くこごめた可伸の背に花を見つけるものもあろう。行基菩薩のように、栗の木の杖を一生頼りにしよう。 そんな芭蕉翁のつぶやきが聞こえる。 |
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