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  2 異変
 メガ・メタルの店は、夕方に開き深夜に閉まるバーである。あまり目立つ場所にはなく、むしろ見つけることが難しいその場所に集まる客と言えば、常連が主だった。
 狭い路地に入ると、埃臭い匂いがする。この新宿ではめずらしい乾いた匂い。高層ビルに陽を遮られた道は薄暗く、そこかしこに得体の知れない闇を作り出していた。
 そんな中、ゴウは革靴の重い足音をたてて路地を進んで行く。突き当たりに、照明の消えた小さな看板が置かれていた。
 ―――MEGA―――
 見なれたそれをチラリと見ると、ゴウは地下に続く階段を降りていった。「CLOSE」のふだを無視し、シックな造りのドアを押す。ドアに付いていた鐘のカランカランという音で、カウンターでグラスを磨いていた男が振り向いた。
「…あ、ゴウ」
 すらりとした体は、ゴウでさえ見上げるほどだ。が、人を威圧するような感は全くなく、小さな丸いサングラスから覗く瞳には、人の良い笑みが浮かんでいた。軽くウェーブのかかった金髪はゆるくひとつにまとめられ、耳には金色のピアスが光っている。
「今日は早いんですね。いつもは店を開く直前なのに」
「状況が分からないからな。先におまえのところに来た方がいいと思った」
「…というと、昨日は新宿にいなかったんですね」
 丁寧な言葉で応対しながらも、メタルの手は忙しく動き始めた。手に取っていたグラスはすでに背後の棚に並べられ、グラスの代わりにナイフを握り、野菜などを刻み、鍋を火にかける。
 ゴウはとりあえず、いつも通りのカウンターの席に腰を落ち着けると、何ともなしに店内を見まわした。
 照明を抑えた少し暗めの小さな空間。両手の指で事足りるカウンター席の他には、5つ程の丸テーブルがあるだけだ。店を開けていない今は、丸テーブルの上に4つの椅子が乗せられている。ダークブラウンの木製の家具に華美な装飾はなく、そこにたたずむ者にゆっくりとした休息を与えるだろう。壁には、所々に印象派を思わせる小さな絵画が飾られていた。
 全体的に落ち着いた感じの店内は、全てメタルの趣味による。それだけで、メタルのセンスが優れていることがうかがえた。
「今日は、どんなことをお話すればいいんですか?」
 メタルは、手元から目を離さずに問うた。
 下手な前置きはいらない。率直に核心をついた問いだった。何度目だろう、この問いは。慣れたものだった。
 ゴウも、用意していた問いを口に出す。
「昨日起こったことで、普段と少しでも違ったことがあれば、それから聞きたい」
「普段とは違ったこと、ですか?」
「そうだ。昨日一日だけにしては、異界の者の増え方が尋常じゃない。関係しそうなことで、メタルの思いつく範囲でいい」
 「尋常じゃない」の言葉で、サングラスで半分隠れたメタルの瞳がすっと細くなった。手を休め、ゴウを真っ直ぐに見ると、温和な表情は影を潜める。
 そんなとき、ゴウはメタルがただのバーのマスターでないことを思い出す。忘れるはずもないのだが、普段の温和な表情に慣れていると、尚更その思いは強い。
 この東京近辺には、ゴウの協力者が数人住んでいる。メガ・メタルもその一人だ。
 メタルは一見、ただバーを経営しているだけのように見えるが、裏世界ではかなり名の通った情報収集屋である。情報収集屋は、情報屋そのものではなく、情報屋からの情報を売買することが主な生業となる。
 メタルの抱えている情報屋は腕利きが多く、質の良い情報がいつも溢れている。そして、店においての他愛ない会話からも、メタルの情報収集能力にかかると、大事な商品に変わっていった。
 当然、質の良い情報には、高い値がつく。ゴウにとって、その値打ちは理解できないものだったが、全て忍の組織から賄われるので、値に文句をつけたことはない。
 協力者を作れと言って、メガ・メタルを紹介したのも忍だが、正直、異界のものでない情報がどれだけ役に立つか、ゴウは懐疑的だった。が、実際メタルの情報は現実世界においてのものであっても、しっかりとゴウをサポートしている。なにか、素直に喜べない気がするが、忍の助言は的をついていたわけだ。
 メタルの情報がゴウに利を与えるということは、異界と現実世界の関係は、全くの皆無ではないということになる。むしろ、表裏一体の世界と思ってもいい。
「そうですね…」
 メタルは、元の温和な表情に戻ると、再び手元に目を落とした。
「今まで、ぎりぎりのところで均衡を保っていた組織同士が、本格的に抗争に入るそうです。それと、とある大企業の内部崩壊が決定的ですね。そして、内閣の不信任案が可決されます」
 メタルは、固有名詞を一切出さず、言葉を選びながら応えた。ひとつひとつの詳しい情報は、メタルの大事な商品だ。ゴウの欲しがっている情報が定かでない限り、余計な情報を漏らすことはなかった。そのあたりに抜かりはない。
「そうか…」
 ゴウは、無表情のまま呟いた。やはり、現実社会の事件は、現実世界だけのものでしかないのだろうか。
「ですが…」
 落胆したゴウの声音に気付いたのか、メタルは言葉を続けた。
「普通、これ程のことは一日のうちに起こりません。それに、今言った事柄に連なる事件が起こることは必至です」
「連なる事件?」
「巨大な組織や企業には、常識では考えられないレベルのネットワークがあります。その複雑なネットワークが、あおりを受けて混乱すること、これは避けられません。そんな混乱した組織や企業が介入するんです。政治も泥沼化するでしょう」
 それは、ゴウにも想像がついた。ただ、一片の哀れみもさけずみもなく淡々とした口調のメタルからは、その程度が判断できなかった。メタルの口から出た「常識では考えられない」という言葉。確かに、想像や判断などで測れないのかもしれなかった。
「それと、Rが気になることを言っていました」
「Rが?」
 Rとは、メタルが抱える情報屋の中でも、特に質の良い情報を集める腕利きである。東京を拠点として、あらゆる情報を仕入れていた。その情報に、ジャンルの境界線はない。
 ゴウも、二、三度会ったことがあるが、お世辞にも頭がきれるようには見えない、小柄な中年の男だった。不精髭をはやし、豪快な笑みを絶やさない。
 ゴウは最初、レッドと同類の人間と思い、嫌悪感を持ったが、Rと話すうち、その気持ちはいつのまにかすっかり消えてしまっていた。
 それが、Rという人物の特長なのかもしれない。
 が、人々から巧みに情報を聞き出す情報屋というのは、そうでないと成り立たない職業でもある。
「Rは、永田町付近の空気が変わったと言うんです。私は、内閣解体のせいじゃないかと言ったんですが、Rはがんとして自分の意見を変えようとはしませんでした。実際、小さいながらも、事故や事件が多発しているようですからね」
「…Rの勘は当たっているかもしれないな」
「え?」
 ゴウの言葉に、メタルは小首を傾げる。
 やはり、特定の場所に居続ける人間は、その場所の変化を肌で感じるらしい。それは、立派な人間の第六感である。無意識に拾う、非常に微かな変化。降り積もれば、無意識も意識へと変わる。そして初めて、人は変化を感じ取る。
 Rは、情報屋なだけあって、変化には敏感らしい。多分、まだ永田町の人間は勘付いていないのだろう。その、変化に。
「とりあえず、どうぞ」
 メタルは、作り立てのパスタを、ゴウの前に置いた。ナスとベーコンの入ったトマトソースから、白い湯気が上がっている。バジルの香りがふわふわと漂った。
「お食事、まだなんでしょう?」
「…ああ、すまない」
 気の利いたメタルの行動には、いつも感心させられる。ゴウのどこをどう見て、食事をとっていないと分かったのだろう。
 フォークでパスタを絡め取ると、それを口に運びながら、ゴウは考えにふけった。
 Rの言う通り、永田町では大量の異界の者が徘徊しているのだろう。それが、ここ、新宿まで溢れているのだ。そして、それを実行しているのは田中に違いない。田中の背後で糸を引いているのは礼門だ。
 忍でさえ想像のつかない礼門の行動を、予測する気はゴウにない。ただ、一日で永田町から新宿に広がったとなると、そのスピードは速い。ゴウにとっての大事な場所に辿りつくのは時間の問題だ。
 急がなければならない。


to be continued


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