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  Chapter2 レイン
  1 前兆
 ゴウは不意に目を覚ました。
 感情の抜け落ちた瞳が、いつも通りの冷えきったコンクリート剥き出しの天井を見つめる。同じようにコンクリートで囲まれた部屋には、限られた家具や電化製品しかない。
 週に二度、ゴウの外出している間に来る、一度も顔を会わせたことのない家政婦のおかげで、床には塵ひとつもないが、こぎれいと言うには殺風景すぎた。
 ゆっくりと瞬きしたのをきっかけに、ゴウは気だるい体を起こした。部屋は、ブラインドの隙間から漏れる光で薄明るい。金属製の近代的な時計は、銀色の針を十時近くに光らせている。時計をちらりと見ると、ゴウはまとめていない髪をかきあげて、キッチンへ足を踏み入れた。フローリングの床は、ひんやりとした感触を足に伝えてくる。
 昨日、田中秀征の家全体を取り囲む結界を目の当たりにした後、ゴウは新宿に戻った。一日ぶりの新宿は、思いの外騒がしくなっていた。…もちろん、目に見える表社会のことではない。裏の世界、…闇の者達の世界のことだ。
 ビルの合間のそこかしこを、猫程の大きさの鬼火のような異界の者が飛び交い、あちこちで人々の間に争いを起こしていた。
 普通、一日だけでこれほどの異界の者が溢れることはない。異界の者の増殖は、何らかの原因があるはずだった。その原因として考えられるのは、小さな小競り合いから大きな事故まで様々だが、圧迫された人の心が引き起こすのは共通している。
 圧迫された人の心。すなわち、人の心身の根源、霊だ。霊とは、人の死後昇天できずにさまよう霊を指すのではなく、人のエネルギーそのものを指す。
 霊のぶつかり合いは邪悪な霊を作りだし、更に異界の者を引き寄せる。引き寄せられた異界の者は霊をぶつけ合わせ…、と、どうどう巡りが続くのだ。
 絶対的に人の密度が濃く、霊のぶつかり合いが激しい新宿では、ゴウの異界の者を狩る仕事が終わることは永遠にない。
 ゴウは、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、そのまま口をつけ喉に流し込んだ。ひんやりとした潤いが体に染み込んでいく。
 冷蔵庫には、皿に盛られた料理がラップでくるまれている。家政婦が作ったものだ。仕事の関係とゴウの食事に対する関心のなさからか、家で食事をとることが少ないので、雇った当初より料理の数が減っている。今冷蔵庫に入っている皿も、二つだけだ。何か手の込んだ洋風と中華風のものらしいが、ゴウにはその料理の名前が記憶になかった。しかし、味は悪くないはずだ。今までの家政婦の料理の味をゴウは知っている。
 ゴウは、皿に手をつけないまま冷蔵庫を閉めると、リビングに戻り、テレビのリモコンを手に取った。
 他愛のないワイドショーが画面を埋めるが、テロップの文字を脳に形にする前に、ゴウはチャンネルを変えた。税金で養われている放送局は、当たりさわりのない旅行番組を垂れ流していた。ゴウは短い溜め息をつく。次々とチャンネルを変え、一通り確認すると、あっさりと電源を消す。
 どのチャンネルも、ゴウの望むものを放送していない。
 新宿の異変はどこから起こったのか。深刻な表情をしたアナウンサーが並ぶ特別番組がないとなると、ニュースになるような事件は起こらなかったということになる。
 てっきり、新宿で何か大きな事件があり、それに引き寄せられて異界の者が街を埋め尽くしているのだと、そう思っていた。が、違うのだろうか。
 それなら、何が原因だ?
 ふう。
 ゴウは、深く溜め息をつくと、静かに呟いた。
「メタルに聞いた方が早そうだ」
 いつもと殆ど変わらない、黒が基調の暗い色の服で身支度を始めた。
 メガ・メタルの店は、新宿の歌舞伎町にある。


to be continued


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