事件と裁判 追悼

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追悼

貴女を決して忘れない

弔辞
高橋 暁子、 村田 茜、 五井 ますみ、 今 記代子
千尋へ
「お姉ちゃんへ」 前田 清香
「安心してねチーちゃん」亀田 美紀子
「チーちゃんへの約束」 亀田 純平

誕生

1978年5月12日、午後3時53分、待望の長子として稚内市立病院で産声をあげました。5日目、いろいろ悩んだ末に「千尋」と名づけました。アルバムには命名の由来を、次のように記してあります。

「ちひろ」について

1974年8月この世を去った、いわさきちひろさん。
童画家として沢山の絵を残し、子どものしあわせを願う母親として生き抜きました。いわさきさんの絵は、現在も私たちの心を暖かく包み、清しく生きることに力強い励ましを与えてくれています。いわさきさんの絵に描かれているような、優しく純真な女の子になって欲しいと願い“ちひろ”と名づけました。

「千尋」について

限りなく深い人間の一生を、より豊かに、より美しく生きるための道を、どこまでも尋ね求めて欲しいと願い、この字を選びました。
1978.5.17. 千尋のお父さんとお母さん

弔辞

弔辞 / 1995年10月27日 生徒代表:高橋暁子/村田茜

千尋は今どんなことを思いながら眠っていますか。
私は、千尋ともう話が出来ないなんて、会えないなんて信じたくありません。
学校のトイレで千尋が私に言ってくれた
「部活がんばってね」の言葉が最後だったなんて・・・。
もっとたくさんたくさん話をすればよかったね。

千尋は幼稚園時代からつづいていた唯一の友だちでした。
お互い転校して、去年10年振りに再会できたのに。
千尋と一緒にいた期間は3年間もないけど
数えきれないほどの思いでがあります。
一緒におままごとしたり、二人で怒られたこと。
今年の冬、一緒に富良野に2泊3日でスキーに行ったこと。
どれを思い出しても、二人でいた時間はとても楽しかったね。
二人でおそろいのスキーウエア買ったよね。私は黄色、千尋はピンクで
「また来年スキー行こうね。絶対行こうね。」って言ってたのに
もうスキーどころか会えなくなっちゃうんだね。

すごく明るい性格で、いつも私を笑わせてくれたよね。
その反面、すごく意志が強くて負けず嫌いだったよね
あまり体育が好きじゃなかったのに
バスケットボールになったら急に走り回ったり
「次のテスト、絶対ちひろがんばるから」ってよく言ってたよね
一緒に行くはずだった、修学旅行、ちひろすごく楽しみにしていたよね
11月4日一緒に買い物行くって言ってたのに
残念で、悲しくて、言葉にならないよ
まだまだ話したいこと、やまほどあるんだよ
やらなきゃいけない事、たくさんあるんだよ

でもね、ちひろは17年間という短い間だったけど
勉強も恋もいろんな事、すべてに精一杯生きてきたよね
私は、そんなちひろが、とてもうらやましかったよ
だから、私はこのちひろの命を決して無駄にはしない
私も、私たちも、ちひろの分までしっかり生きようって決めました
昨日も、今日も、明日も、これからずうっと
ちひろは私のかけがえのない友達の一人として、
心の中にしまっておくつもりです

ちいーちゃん ありがとう

1995年10月27日
生徒代表
高橋 暁子
村田  茜

弔辞 / 1995年10月27日 五井ますみ/今記代子

ちひろちゃん
突然の悲報に、稚内の私達は只々驚き、信ずることが出来ませんでした
千歳に来て2年目、17才のあなたは
母の背丈をはるかに越し、少しおしゃれで友達を大切にする
思いやりの深い、やさしい高校生でした

あなたの歩んで来た17年間は
お父さん、お母さんの二人の歴史でもありました
お父さん、お母さんは遠別で結婚し、9ケ月のお腹で稚内に転勤して来ました

1978年5月12日、元気に誕生しました
とてもすてきな名前、“ちひろ”とお父さんが名づけてくれました
2~3才のあなたは、お口の達者なオシャマさんで
おばちゃん達の方がタジタジとなる場面も数々あったんですよ
小中学校の頃のあなたは、少しはにかみやさんで
急に口数の少ない子になってきましたが・・・

家族の時間を大切にしていたお父さんお母さんは
まだ1才になったばかりの頃から、あなたと毎夏、キャンプに出かけていました
昨年の洞爺湖でのキャンプが最後になってしまいましたね
大きくなってからは、妹のさやかちゃんと4人で、沖縄へ、広島、長崎へと
お父さん、お母さんの平和への思いをしっかり受けつぐ子に成長しました
私達は、ちひろちゃんが手抜きをせずに一生懸命にとりくんだ
旅行記念の大きな壁新聞を、今も覚えていますよ
6家族18人で行った利尻富士登山も本当に楽しかったですね
バテてしまいそうになるお母さんを励ましながら、とうとう頂上に立った時の充実感!
覚えていますよね
稚内ですごした11年間は
私たち、お母さんの仲間のなかに、沢山の思い出として残っています

お父さんの転勤と、高校受験が重なった大変な時期をのりこえて
学校生活に楽しみが見えて来たこの時
アルバイトでためたお金をお小使いにすると、待っていた修学旅行
思春期特有の不安や焦燥感にゆれ動く心にも、少し落ち着きをとりもどしてきて
これからが素直な気持で、お父さんお母さんと大人同士のしっくりした関係が
出来あがっていく時
ちひろちゃん!
どうしてこんなに早くお別れしなければならなかったのでしょう

ダンベル体操で更にスマートになったお父さん
美人のちひろちゃんを誇らしげにあちこち連れ歩きたかったことでしょう
真紀子さん
同じ女性同士として、これからの人生を語り合いたかったことでしょう
さやかちゃん
先輩として、お姉ちゃんにいろいろ教えて欲しい
話し合いたい思いが一杯あることでしょう

洗濯で少し縮んだお父さんのセーターを
高校1年生の時から制服の上に着ていたというちひろちゃん
そのセーターを着て旅立っていかれました
いつもお父さんが一緒です
安らかにおねむり下さい

ちひろちゃんが身をもって私達に知らせてくれた事を教訓に
本当に一人一人の命が大切にされる世の中を作るため
ちひろちゃんの分まで多くの人達と手をたずさえ頑張ってゆきます

おじいちゃん、おばあちゃん
お父さん、お母さん、さやかちゃん達を、いつも見守っていて下さいね
ちひろちゃん、楽しい思い出をありがとう
安らかにおねむり下さい
合掌 

1995年10月27日
五井 ますみ
今  記代子

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千尋へ


従妹のひとみちゃん(左)と

「お姉ちゃんへ」

お誕生日おめでとう
プレゼント買ってこなくてゴメンネ。 修学旅行でなんか買ってくるからまってて
また一緒に買い物に行きたかった。 誕生日のプレゼントも選んでもらいたかった。
でも、清香はまだ信じられません
何日も会っていないだけで、いつか 帰ってきてくれるような気がするよ
だから、仏さんを拝んでも、おきょうを聞いても 涙はでてこない
清香はお姉ちゃんが 好きなのに、なんで泣かないのだろうと思ったりした
でも、夜寝る時とか、 悲しいことがあったら、お姉ちゃんに すごく会いたくなって
思い出して泣いて しまいます
だから、いつまでも清香のこと見守って 助けてください

かわいい妹 さやかより

1996年5月12日

「安心してね、チ-ちゃん」 亀田 美紀子

「チーちゃん」お誕生 日おめでとう。5月12日はあなたの21回目のお誕生日ですね。あなたが生まれた日の幸せな気持を思い出しています。あなたがいなくなってから今年で4回 目の誕生日を迎えました。花を手向けることしか出来なくなった今でも、生前と同じように、両親は花とケーキを用意し、妹のさやちゃんからも、あなた宛に自 分の小遣いから用意したのでしょう、かわいいアレンジメントが届けられていました。いつもと変わらぬ、あなたを祝う思いが伝わって胸が痛くなります。
朝、いってらっしゃいと送り出した娘が夕方には冷たくなって帰宅することなど、誰が想像したでしょう。平成7年10月25日「当時高校2年生で、学校からの帰宅途中、前方不注視の車にひかれ、貴方は二度と元気な姿では帰って来ませんでした。
あの日の悲しみを生涯忘れることは出来ません。冷たく冷たくなったあの白い唇にお母さんが紅をさす。その姿が頭から離れないのです。

「お母さん 二度と呼ばない唇に 母は紅さす ふるえる指で」

あの日から4年、今もあの日を想い出すと、涙がポロポロこぼれてきます。いろいろな行事がある度毎に、辛く悲しい時間を過ごしてきました。あなたの成人式の晴れ着、さやちゃんが代わりとなって着てみせてくれました。一瞬あなたが帰って来たような気がするほどに似てくるんですよね、姉妹は・・・。

「妹に 重ね合わせし晴れ姿 今日は千尋の 成人の時」

辛い想いを引きずりながらも、懸命に生活しているあなたの家族の姿を伝えることが、そして悲劇を繰り返さないでと訴えることが、叔母の私があなたにしてあげられるたった一つのことのような気がします。あなたが亡くなった場所に、今年も沢山の花が咲くでしょう。お父さんが、あなたの寂しくないようにと、その場所に花を植えているのです。

「愛し子の 終の場所にと花植える 父の想いの コスモスゆれて」

クルマ社会となった昨今、全ての人々が交通安全を心がけ、辛く悲しい想いをする人が一人でも減ってくれますことを祈ってやみません。どうか、どうか、悲劇を繰り返さないよう、突然、死に追いやられた人間の無念さ、その家族、周囲の人々の悲しみをハンドルを握る時、どうぞ心の片隅に思い起こして下さい。
チーちゃん。あなたの存在が大きすぎて、あなたの空白を埋めてやることなどできない自分たちであるけれど、あなたの家族を微力ながら支え続けて行こうと思います。安心してね、チーちゃん。

(1999年6月道警交通部編集「癒されぬ輪禍」掲載)

「チーちゃんへの約束」 亀田純平 (中学2年) 

昨年、僕のいとこが交通事故で亡くなり、今年10月25日に一周忌を迎えます。この1年、何をしていても大好きだったいとこのチーちゃんを思い出します。5歳年上のチーちゃんは小さいころから僕を弟のようにかわいがってくれ、色々と面倒を見てくれました。僕にとっては実の姉のような存在でした。

そんなチーちゃんが亡くなったのは、大雨の降る10月25日の夕方、5時50分ごろでした。チーちゃんは学校からの下校途 中、自宅から5分とかからない道路で、ワゴン車にはねられ即死状態で亡くなりました。 その道路には歩道がなく、車道のわきは舗装もされておらず、雨が降れば大きな水たまりとどろでぬかるんでしまうような場所でした。左側にしか歩行者の通る 所がなく、またそこには街路灯もほとんどありませんでした。悪条件が重なっていたとはいえ、事故の原因はいとこの後方から来たワゴン車のドライバーが、ラ ジオの操作をしていて前を見ていなかったことでした。とても悲しい事故でした「そのドライバーさえ前を見て運転していれば・・・」、だれもが思いました。 修学旅行を二週間後に控え、一番楽しい時期を一瞬にして奪い去られてしまったのです。事故後、車道脇にはアスファルトの歩行者用道路が整備され、防護柵も 取り付けられました。チーちゃんの尊い命の犠牲があってこそ歩道ができたのです。

その日以来僕は、絶対に交通ルールを守ろうと心に決めました。学校への登下校時、友達と歩いていても僕はもちろんのこと、 友達にも信号無視をしないように言いました。それは、僕や周りの人々、その他たくさんの人々が交通安全を心掛け、事故にあわないこと、事故を起こさないこ とこそが、大好きなチーちゃんへの供養になると考えたからです。そしてもっとたくさんの人々に事故のことを知ってもらい、交通事故に充分注意するととも に、一人一人の命がたくさんの人に支えてもらっている命だということを、忘れないでいてほしいのです。

一周忌を間近に控え、僕がチーちゃんにしてあげられる、たった一つの事のような気がしてこの作文を書きました。書いている うちに何度も辛くなって涙がこぼれ、文章がとぎれてしまいます。チーちゃんを思い出すことがとても悲しいのです。こんな辛い思いをする人が一人でも少なく なってほしい一心で書きました。チーちゃんの家族はもちろん、僕達身内のもの達の心の叫びをどうぞ受け止めて下さい。チーちゃんのような事故を二度と起こ さないことがチーちゃんが尊い命をかけて教えてくれたことなのですから。

大好きなチーちゃん、どうぞ安からかにお眠り下さい。これから先も交通安全を心掛けます。チーちゃんに約束するよ。

平成8年度札幌市PTA安全互助会編 「第7回 交通安全作文コンクール作品集」(1996年12月)より

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