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「慰安婦はみな合意契約…」における資料参照誤り

2022/1/2

このレポートは、先のレポート「ラムザイヤ論文への批判と反論」を作成するにあたって読んだ有馬哲夫著「慰安婦はみな合意契約をしていた」(2021年8月2日 ワック社)における、資料参照などに関する誤りをリストアップしたものです。

有馬氏のこの著作は、ラムザイヤー論文に対する批判への反論を目的としたものですが、その内容は批判に対して実証的、合理的に反論する部分よりも、先入観をもとにした感情的非難の部分の方が多いように感じます。その中に資料をもとに反論する部分を取り混ぜることにより、反論の信ぴょう性を高めようとしているようにも見えますが、その実証的に反論しようとしている部分に誤りが散見されます。

ここでご紹介させていただく誤りは、上記のレポートを作成する過程で検出したものだけなので、これがすべてというわけではないことをご承知おきください。

1.朴裕河氏著書からの引用誤り

《有馬氏の主張》

{ 騙されたり、脅されたりして慰安婦にされた女性はいたと思われるが、そのようなことをしたのは朴裕河の「帝国の慰安婦」によれば、日本軍ではなく、ほとんどの場合、朝鮮人周旋業者の仕業だった。慰安所でも、朝鮮人慰安婦に暴行を加えたり、性労働を強制したりしたのは、朴が指摘しているように、ほとんどが朝鮮人周旋業者だった。 … つまり、日本および日本人は無実なのだ。}(有馬,P8-P9 引用元 朴裕河 P105-P110)

《原典の内容と問題点》

「慰安所で慰安婦に暴力を加えたり、性労働を強制したりした」者を朴氏は単に「業者」と言っています。これらは慰安所内でのことであり、「周旋業者」の仕業ではありません。有馬氏の言葉の使い方は粗雑です。

それはさておき、朴氏は有馬氏が引用した部分のすぐあとで、こう言っているのです。{ 慰安婦までが軍隊化している慰安所の実態を、業者の責任にのみ帰するわけにもいかない。軍隊化された慰安婦の姿が、戦争への国民総動員のもうひとつの姿である以上、業者もまた、その構造の下に動いていたことも確かだからである。}(朴裕河「帝国の慰安婦」,P111)

これは自論に都合の良い部分だけを取り上げて不都合な部分を無視する手法で、有馬氏によれば“チェリー・ピッキング”というそうで、ラムザイヤ論文の批判者に対してこれをよく使っている、と指摘していますが、ご自身もその例にもれないようです。

2.永井和氏論稿の曲解

《有馬氏の主張》

{ 京都橘大学文学部教授の永井和は、上海総領事館から依頼を受けたものの、自身は周旋業者の免許を持っていない者が、和歌山県の田辺で慰安婦募集をして逮捕されながらも、すぐに釈放された例を挙げ、日本の官憲が取締りに手心を加えたとしている。だが、この場合も、集められた女性たちが、5種類の書類のチェックを受けなかったとは書いていない。当然、彼女たちはチェックを受けていただろう。}(有馬,P86)

{ 田辺で逮捕された周旋業者が、上海総領事館から依頼を受けていたものの、周旋業の免許を持っていなかった点も、上海では公娼が廃止されていたので、周旋業者が見つけられなかったのだろう。このため、特例措置として、免許を持たない者に依頼したので、内務省や地方警察署にその旨を通知し、内務省や警察も、通知があったので、それを黙認したのだ。(有馬,P86-P87)

※永井氏の論稿は、こちら(http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html)

《原典の内容と問題点》

上記に関連する永井氏の論文の要旨は次の通りです。

・上海で軍・総領事館から慰安婦徴募の依頼を受けた業者は何らかの手づるを使って内務省高官から徴募や渡航に便宜供与をはかってもらうことの諒解を得た。

・大阪、兵庫の県警にはその旨、連絡が行ったので、営業許可を持たない業者であることには目をつぶって、集められた女性の渡航を許可した。

・和歌山にはその通知が行かなかったので、1938年1月6日、田辺警察署は挙動不審の男3人を婦女誘拐容疑で任意同行を求めた。大阪や長崎に照会して事情をある程度理解した田辺署は、彼らを釈放した。

・そして永井氏は次のように述べて締めくくっています。

{ 陸軍慰安所が軍の設置した公認の性欲処理施設であり、通常の民間売春施設とは異なるものであることが確認された時点で、警察は慰安婦の募集と渡航を合法的なものと認定したのである。}(永井論稿,Ⅲ1)

このような状況なので、「5種類の書類チェック」も「業者の免許の有無」も大した意味はなく、やったとしても形式的なもの、と考えて良いでしょう。したがって、有馬氏の言う「当然 … チェックを受けていただろう」とか、「特例措置として…黙認」などは、根拠のない憶測に過ぎません。

有馬氏は永井氏の論稿をすべて読まれたかどうかわかりませんが、結果的にこれもチェリー・ピッキングになっているのです。

3.米軍資料の引用誤り(1)

《有馬氏の主張》

有馬氏は米軍のビルマでの「捕虜尋問報告」(U.S Office of War Information,1944.Interrogation Report No.49,Oct.1.Josei(1997:5-203))から次のように引用しています。(下線は筆者)

{ 1942年5月、日本の周旋業者が朝鮮半島に赴き、東南アジアにおける「軍慰安業務」のためとして女性を募集した。高収入、家族の借金返済のための好機、軽労働等の宣伝に応じて多くの女子が勤務に応募し、2~300円の前払報酬を受領した。彼女たちの大半は無知、無学の者であった。自ら署名した契約により、前借金の額に応じ半年から1年の仕事に従事させられた。}(有馬,P109)

《原典の内容と問題点》

有馬氏は要約して引用していますが、同じ原文を「従軍慰安婦資料集」では次のように訳しています。(下線は筆者)

{ 1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、… 東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的にいえば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いの言葉は、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに楽な仕事と新天地――シンガポール――における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2,3百円の前渡金を受け取った。}(従軍慰安婦資料集,P441)

有馬氏は「偽りの説明」に関連する部分を外して引用しています。典型的なチェリー・ピッキングです。

4.米軍資料の引用誤り(2)

《有馬氏の主張》

{ (米軍作成の資料にはこうある) … <生活及び労働条件> ミッチーナー(日本軍の占領地)においては、通常2階建ての大きな建物に住んでおり、一人一部屋を与えられていた。… 食事は経営者が用意したものであった。食事や生活用品はそれほど切り詰められていたわけではなく、彼女らは金を多く持っていたので、欲しいものを買うことができた。… 彼女らは蓄音機を持っており、町に買い物にでることを許されていた。 …
<収入および生活条件> 慰安所経営者は、契約時の負債額に応じて、慰安婦の売上の50乃至60%を受け取っていた。多くの経営者は、食料その他の品物に高価格を課すことによって慰安婦の生活を困窮させていた。 … }(有馬、P109-P110)

{ アメリカ軍が調査したミッチナーの慰安所の慰安婦の平均月収は300~1500円(チップも結構もらっていた)だった。}(有馬,P113)

{ 経営者は … 決して女性を過度に搾取したり、年季を勝手に延ばしたりしなかった。そのようにすれば、女性がやる気を失って、お客にサービスしようとしなくなったり、収入をあげようと思わなくなったり、極端な場合は逃げてしまうことがあった。}(有馬、P51)

《原典の内容と問題点》

まず、平均月収「300~1500円」は慰安婦一人の稼ぎ(売上額)であり、このうち50乃至60%は慰安所の取り分になるので、慰安婦の収入(月収)はその半分以下です。有馬氏自身が引用した部分に明記されているにもかかわらず、このような誤りを犯しているのは、粗雑な言葉の使い方が影響しているのかもしれません。

補足ですが、チップについて吉見氏は次のように述べています。

{ (文玉珠さんは多額のチップをもらったというが、戦争末期に軍票の価値は著しく下落したので)、軍人・軍属は軍票を所持していても使用価値がほとんどないので、チップとして文さんに渡したのだと考えられる。}(吉見義明「ラムザイヤー論文の何が問題か」,雑誌「世界」2021/5月号,P133-P134)

また、有馬氏は「経営者は女性を過度に搾取しなかった」と言っていますが、少なくとも米軍報告書からはそのようには読めません。「多くの経営者は、食料その他の品物に高価格を課すことによって慰安婦の生活を困窮させていた」と有馬氏が引用した部分に書いてあるだけでなく、別の箇所では次のようにも書いてあるのです。

{ 経営者は、衣服、必需品、奢侈品を法外な値段で慰安婦に売ることによって余禄を得た。}(従軍慰安婦資料集,P460)

確かに、この米軍報告書では慰安婦の生活状況について、正反対のことが書かれているように見えます。しかし、有馬氏は次の文章を引用していません。{ ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。}(「従軍慰安婦資料集」,P443)

またしても、チェリー・ピッキングです。

5.政府見解の曲解

《有馬氏の主張》

{ 軍が騙したことなどを示す証拠は現在までない無いというのが日本政府の公式見解である。}(有馬P124)

《政府の見解》

{ これまでに日本政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった。} https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/rp/page25_001910.html

これが日本政府の見解であり、「騙し」は含まれていません。それとも有馬氏は政府の言う「強制連行」には、「騙して連れていく」ことも含まれる、と解釈しているのでしょうか。

6.史料標題の書き換え

《有馬氏の主張》

{ 韓国人研究者の朱益鐘氏は、「皇軍慰安婦女渡来につき」(1937年12月21日在上海総領事館警察署)という当時の公文書をもとに、上海総領事館警察が、このような指定周旋業者が朝鮮で慰安婦を募集する際にも契約書と5種類の書類の提出を求めていたことを明らかにしている。}(有馬,P179) (下線は筆者)

《原典の内容と問題点》

この文書の標題は、「皇軍将兵慰安婦女渡来につき便宜供与方依頼の件(日本軍「慰安婦」関係資料集成<上>,P136) であり、有馬氏は後半部(赤い字の部分)をなぜか省略しています。標題にはその文書の主旨が含まれている場合が多いので修正せずにそのまま記述すべきです。この文書は和歌山県知事が内務省警保局長に発信した「時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件」という文書に添付されているもので、上海領事警察が長崎県水上警察署に対して慰安婦渡航の便宜を図って欲しい、という主旨の文書です。

7.ラムザイヤー論文の翻訳ミス

有馬氏は巻末にラムザイヤー論文の全文をご自身で日本語に翻訳していますが、次のような翻訳誤りがあります。なお、下記にリストしたものは、私のレポート「ラムザイヤ論文への批判と反論」を作成中に検出したものだけなので、これ以外にも誤りがある可能性はあります。

(注) <原文>の行は、対象となる部分のセクション名、対象文、原文のページの順に記載しています。なお、原文は、ここ(http://chwe.net/ramseyer/ramseyer.pdf)にあります。

(1)最長期間→最長期間の短縮

<原文> ABSTRACT … they demanded a relatively short maximum term. (P1)

<翻訳> 彼女たちは最長の勤務時間を望む (有馬P211)

<正>  彼女たちは最長期間の短縮を望む

(2)私娼→私的な売春宿

<原文> 2.1 Introduction … to the private brothels in Japan … (P2)

<翻訳> 私娼 (有馬P215)

<正>  私的な売春宿

(3) 1.契約→1.日本

<原文> 2.4 … 1.Japan  (P5)

<翻訳> 2.4 … 1.契約 (有馬P232)

<正>  2.4 … 1.日本

(4)黙認→認許

<原文> 2.4 … 1. (a) For women traveling for the purpose of prostitution, approval shall be granted only to those women heading to North and Central China who are currently working as licensed or effective prostitutes, who are 21 years old or older, and who are free of venereal and other infectious diseases  (P5)

<翻訳> 醜業を目的とする婦女の渡航は現在内地に於いて娼妓其の他事実上醜業を営み満21歳以上且花柳病其の他伝染性疾患なき者にして北支、中支方面に向かう者に限り当分の間、これを黙認する … (有馬P233)

<正>  売春を目的とする婦女の渡航は、現在認許された又は事実上売春婦として働いている満21歳以上で性感染症その他伝染性疾患のない者が北支、中支方面に向かう者に限り認許される

この部分は内務省警保局長通牒を英語で書いている部分ですが、有馬氏はその原文とほぼ同じ文章に訳しています。しかし、"prostitution"を「醜業」と訳すのは不自然だし、「当分の間」はラムザイヤー氏の原文にはありません。"granted"は辞書をひけば「承諾する、認める」と言った意味で、これに黙認に相当する意味があるのか私には判断できません。こうした論文はできるだけ、英文の表現に近い方法で訳すべきではないでしょうか。

(5)慰安婦→売春婦

<原文> 3.6 … Between the general austerity in the air and the loss of prostitutes to the factories, brothels steadily went out of business  (P7)

<翻訳> 3.6 … 全体の空気が厳しくなったことと、慰安婦が工場に取られてしまったことから、売春宿は着実に商売にならなくなっていった。 (有馬P243)

<正>  3.6 … 全体の空気が厳しくなったことと、売春婦が工場に取られてしまったことから、売春宿は着実に商売にならなくなっていった。