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スマイス報告には便衣兵が含まれる!?

2020/6/28

はじめに

このレポートは、弊サイト「南京事件」(6.6.2項)にあった丹羽春喜氏の論稿批判を加筆して切り出したものです。ここで対象とする論稿は下記2点ですが、内容はほぼ同じなので、ここでは2001年の論稿を主として参照しました。

「"スマイス調査"が内包する真実を探る」、雑誌「自由」,2001年4月、P43-P55

「スマイス報告書について」、大阪学院大学経済論集9巻2号,1995年8月刊,P39-P66

※以下、雑誌「自由」の論稿は"2001年論稿"、大阪学院大学の論稿は"1995年論稿"と略称します。

丹羽春喜氏は1930年生まれの経済学者で、2005年まで大阪学院大学の教授をつとめ、現在は同大学の名誉教授になられています。2012年9月に行われた自民党総裁選では「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」発起人に名を連ねています。(以上、Wikipedia「丹羽春喜」より)

また、丹羽氏の論稿については、「日中戦争 小さな資料集」というサイトを運営している”ゆう”さんが、詳しく分析されており、このレポートもそれを参考にさせていただきました。

1.北村稔氏の賛辞

歴史学者の北村稔氏は次のように述べています。

{ 南京市内の人的被害の調査結果に対しては、統計学的見地からの詳細な分析がある。… 大阪学院大学経済学部の丹羽春喜教授は、被害者となった成年男子中の44.3%という異常に高い"独身・単身者"の比率に注目する。この現象は、多くの若者が便衣兵の疑いにより連行された結果である、と考えれば説明がつく。丹羽教授は … 1938年春の南京市男子総人口中の「独身・単身者」の比率を5.2%と推算する。その結果、… これらの被害者の中に本来の南京市民ではない多数の便衣兵が含まれていたからだという判断がくだされる。 … スマイス報告に対する新たな議論として注目される。}(北村稔:「南京事件の探求」、P169<要約>)

2.丹羽氏の論旨概要

丹羽氏の論稿は、細かいところまでていねいに配慮して書かれているのですが、結論が見えずにいろいろな数字が出てきて、とても理解しにくいので、論旨の概要と結論をザックリ記します。論稿はおよそ次の3つのステップになります。

(1) 被害者の独身・単身比率

スマイス報告(都市部)における死亡者と拉致された者、合わせて7600人のなかにいる独身・単身者(以下、単身者と略す)の比率は、スマイス報告本文に記載された「妻全体の6.5%は夫が死亡又は拉致された者」という情報や同じくスマイス報告の家族構成情報などから推計すると、44.3%になる。

→ この推計には特に問題はありません。

(2) 単身者はすべて便衣兵

南京市の定常状態の単身比率を1932年の家族構成から求めると5.2%になり、44.3%は異常に高い。これら単身者はすべて便衣兵であるとすれば説明がつく。また、単身者でない男性についてもその4~6割は便衣兵だと推定する。

→ ここには、重大な誤りが2件あり、この主張は完全な間違いです。

(3) 日本軍が殺害した市民は600~700名

日本兵の暴行で殺害された者の中には、中国兵によるものや便衣兵だったものも含まれ、日本軍が殺害した純粋の「市民」は600~700名である。

→ この推定には明確な根拠がなく、丹羽氏の憶測によるものです。

3.被害者の単身比率の計算

「被害者」の範囲

下記のスマイス報告第5表に掲載の死亡者と拉致された者7600人がこの論稿の対象になりますが、単身比率はこのうち15歳以上の男性の数を母数としています。なお、14歳以下を"子ども"としています。

図表1.スマイス報告 第5表改

スマイス報告 第5表改

※1 出典:洞富雄編「南京大残虐事件資料集Ⅱ」,P254 … 以下、「大残虐事件資料集」と略す。

※2 スマイス報告第5表はパーセンテージだけだが、上表では人数を表示した。負傷者についても同様の表示があるがここでは割愛した。

単身者の定義

丹羽氏によれば、ここでいう単身者とは、子どもと妻又は子どもがいた男性以外の男性をさします。

単身者 = 男性全員 - 子ども - 妻又は子どもがいた男性

単身者数を求めるために、妻がいた男性と妻はいないが子どもがいた男性の数を求めます。

妻のいた男性の推計

スマイス報告本文には次のような記載があります。

{ 4400人の妻、つまり妻全体の8.9%は、夫が殺されたか、負傷を負ったか、あるいは拉致されたものである。これらの夫のうち3分の2、すなわち6.5%が殺されたか拉致されたものである。}(「大残虐事件資料集Ⅱ」,P222)

丹羽氏は、ここから夫が殺されたか拉致された妻、すなわち妻のいた夫の数は、4400 × 6.5%/8.9% = 3213人 と計算します。

<参考>

8.9%の2/3は6.5%ではなく、5.9%になりますが、3分の2という数字はおおよその割合として使う場合も多いので、6.5%を信じることは妥当だと思います。ちなみに、スマイスは50倍する前の標本の実数をもとに計算していると思われます。4400人としているのは調査した家族のなかに該当する女性が88人いたからで、同様に殺されたか拉致された妻の標本数を計算すると、64又は65人になります。64人ならば88人の72.7%、64人ならば73.9%になります。72~73%を3分の2と言うことはあるでしょう。精度を出すのであればこの標本数をもとに計算すべきですが、さほどの精度は要求されないので丹羽氏の計算で問題はないと思います。

子どもがいた男性の推計

次に、妻はいないが子どもがいた男性の数を、スマイス報告第3表にある1932年の家族構成の比率を使って推計しています。すなわち、妻はいないが子どもがいた男性の世帯数(下表のタイプCとK)の、妻がいた世帯数(同A,B,G,H)に対する割合、(c+k)/(A+B+G+H)= 6.9/72.4=0.095 から、妻がいた世帯数(=3213人)の9.5%(=305人)が、子どものいた男性とはじきます。計算上の端数を考慮して、3213+305=3517人となります。

図表2.スマイス報告 第3表改

スマイス報告 第3表改

※1 出典:「大残虐事件資料集Ⅱ」,P253

※2 スマイス報告第3表のうち家族形態の比率部分のみを取り出した。

単身率の算出

単身者数は、男性の被害者総数から子どもの数と妻又は子どもがいた男性数をひいた数、すなわち、6600-156-3517人= 2927人になります。これを、男性被害者総数6600人で割ると、2927/6600=44.3%となります。

4.単身者はすべて便衣兵?

定常状態での単身率との比較

丹羽氏は1932年の家族構成から、定常時の単身率を計算します。つまり、図表2の1932年の単身世帯(タイプEとK)比率5.3+7.1=12.4%を1938年の世帯数47,450※1に掛けて、5,884人が単身者で、これは1938年の男子人口112,423人※2の5.2%になる、とします。そして、44.3%は5.2%に比べて異常に大きい、というのです。

しかし、ここには2つの大きな誤りがあります。1つは、5,884人という単身者数の算出方法です。この数字は単身の世帯主の数であって、家族の中には、例えば世帯主の息子の17歳の独身男性や世帯主の兄弟で独身の男性などがいますが、これらの単身者が除かれています。

もうひとつは、単身率を計算するときの母数です。44.3%も5.2%も男の子どもを含めた率として計算していますが、前者では子ども(156人)は全体(6,600人)のわずか2.4%しかいません。一方、5.2%の計算の場合、子どもは全体の33%もいるのです。これでは、単身率が高く出るのは当たり前で、同列で比較するのであれば、少なくとも子どもを除いた率で比較すべきです。

※1 世帯数は、スマイス報告第1表に表示されている。

※2 男子人口は、1938年の男女比103.4:100(同第2表)と人口総数221,150(同第1表)より求めている。

正しい単身率の計算

図表3に正しい計算結果を示します。丹羽氏の計算と大きく違うところは、世帯主かどうかはまったく考えずに計算しているところです。

前述の「4400人は妻全体の8.9%」から、妻全体の人数=妻のいた夫の数 を求めます。さらに、妻はいないが子どもがいた男性数を3項で求めたのと同じ方法で計算します。男子人口からこれらの数と子どもの数をひいたものが単身者数になります。

1932年の数字を出すために、大人の女性に占める妻の割合(婚姻率)を使って、妻の数を求め、あとは同様の方法で単身者数を算出します。1932年は人口の絶対数がわからなかったので、女子人口を100とした比率で計算しています。

単身率は、母数を男子全体の人口にした場合と成人男性だけの場合について算出しました。なお、「定常状態」を殺害・拉致される前の状態とするならば、殺害・拉致された人数も母数と単身者数に加えるべきですが、大きな差はないので、そのままにしました。丹羽氏の計算もそのような補正は行っていないので、同じ条件での比較になります。

図表3.正しい単身率の計算

正しい単身率の計算

被害者における単身率44.3%は母数に子どもを含んでいますが、これを除くと45.4%になります。
1938年と比べると19.5%、1932年と比べると7.5%多いですが、次のような事情を考慮すれば、単身率が極端に高い、とは言えません。

・拉致された者には、単身率が高いと思われる15~29歳の男性が55%もいる。

・女性を100とした男性人口が、1932年の114.5に対して1938年は103.4まで下がっている。

1938年は避難した家族が多数いたり、殺害・拉致された単身者は数字に表れてこないなど、定常状態とはいえないので、1932年と比較すべきでしょう。

単身者はみな便衣兵か?

丹羽氏は妻の数49,438人が、家族構成から算出した妻の数――妻のいる世帯数――35,967人よりはるかに多くなることに気がつきました。1995年の論稿ではこれを指摘し、その差は{ 妻を代表すべき調査カードがなんらかの理由で外されたものと考える、… 要するに調査対象家族ないし調査対象者が死亡してしまっていたり、南京に居住していることがはっきりしない調査カードが存在し、それでは人口構成の推計ができないので集計操作からはずされた」(1995年論稿,P41) と推定しています。そしてこの調査対象外カードには{ 中国兵・便衣兵の人数もかなり数多く含まれる… }(同,P41) といいます。

2001年の論稿では「調査対象外カード」はなくなり、{ 同居人や隣人から調査員に報告されたのだろう。 }(2001年論稿,P49) に変わっています。また、図表2の家族構成から{ 1938年の単身世帯は5,884戸に対して、死亡・拉致された単身の被害者数2,927人は相対的に非常に大きな数で、人口構成に影響が出ているはずなのにその形跡はみえない、これは、2,927人の単身者たちのほとんど全部が南京の一般市民社会の本来的構成員ではなく、大部分が潜伏中の中国兵・便衣兵であったにちがいない。}(同,P48) と推測します。

丹羽氏のさらなる誤り

ここにも大きな誤りが2つあります。ひとつは、世帯主でない夫がたくさんいることです。妻の数49.438人が妻のいる世帯数35,967よりはるかに多いのは、例えば、若夫婦が世帯主である親や兄弟などと同居している場合です。核家族化した現代と違ってこのようなケースはざらにあったはずです。図表3の単身率の計算はそれを考慮した計算式になっています。

もうひとつは、家族が世帯主だけの一人世帯でその世帯主が殺害されたり、拉致されたりした世帯は、調査対象外になることです。スマイス報告は家族を対象とした調査ですから、このように家族が誰もいなくなった世帯は調査できないのです。これもおそらく丹羽氏は知っていて、調査対象外のカード、とか、同居人や隣人から報告されたはず、など苦し紛れの説明をしていますが、そのようなスマイス報告の根幹をゆるがすような不正が行われていたのだとしたら、報告自体が信じられない、ということになり、丹羽氏の論稿自体が成立しないのです。

実証的な評価ができるのはここまでで、このあとは丹羽氏の推測だけに基づく主張になります。ここで批評をやめてもいいのですが、丹羽氏が言いたいことは、ここから先にあるようなので、このまま続けます。

妻又は子どものいる男性の4~6割は便衣兵か?

丹羽氏は、死亡又は拉致された被害者のうち、妻又は子どものいる男性についても、その4~6割は便衣兵のはず、といいますがその理由としては、{ 南京の日本軍は便衣兵の摘出を緊急措置的な拙速のうちに、一定の査問手続きを行っていたから }(2001年論稿,P53) と述べるだけで、{ 仮に、この便衣兵が含まれていた比率をかなり控えめに半分以下の4割であったとすれば … }(同上,P54) と4割の根拠も述べずに割合を設定し、最終的に便衣兵が混入した割合は4~6割、と結論づけています。

スマイスは、「戦争行為による死傷」という段落の冒頭で次のように述べています。

{ ここに報告されている数字は一般市民についてのもので、敗残兵がまぎれこんでいる可能性はほとんどないといってよい。}(「大残虐事件資料集Ⅱ」,P222)

理由については何も言っていませんが、現地の住民や調査員に接してきた経験知から断言しているのでしょう。とは言っても、敗残兵が紛れ込んでいる可能性は否定できませんが、仮にあったとしても、戦闘兵ではなく陣地建設などを行った雑兵や、戦闘兵だとしても戦闘意欲を失って市民に戻ろうとしている者たちでしょう。そして、そのような元兵士(便衣兵)であった場合でも、捕えた者を裁判なしで処刑することは不法行為なのです。

5.日本軍が殺害したのは600~700人?

中国人に殺害された人が25%いる!

丹羽氏は、日本軍兵士の暴行により殺害されたとする人たちのうち25%は中国人によるものだった、と主張します。建物の掠奪等による家屋家財の被害額のうちおよそ25%が中国人のしわざだとみられるので、殺人も同じ比率だろう、と推定しているのです。(2001年論稿,P51-P52)

そして中国人の犯行がスマイス報告に出てこない理由として、調査カードの不備を指摘します。

{ 調査カードには死傷原因を記入する欄があって、「事故(アクシデント)」又は「戦闘(ウォーフェアー)」のいずれかにチェックするようになっていた。「事故」は、戦闘に巻き込まれたような場合、「戦闘」は日本軍兵士の暴行による場合、とされていたが、中国軍兵士の暴行によるケースは記入欄がなかった。そのため、中国軍兵士や中国人の"ならず者"による犯行の場合も「戦闘」に記入されている場合が数多くあるにちがいない。}(同上,P50-P51)

スマイスは、{ 調査当初、拉致という項目はなく、死傷者の欄にその旨書き込まれていた。}(「大残虐事件資料集Ⅱ」,P223) と述べています。中国人による犯行があったとしても、調査票のどこかにその旨、記入すればいいだけの話だし、もしそうした報告が上がってきていれば、報告書に書かないということはないでしょう。建物被害ではちゃんと中国人のしわざであることを明言しているのですから。

図表4.調査カードの様式

調査カードの様式

出典:「大残虐事件資料集Ⅱ」,P247

犠牲者内訳

図表5が、これまで丹羽氏が推定してきた殺害又は拉致された人たちの内訳です。丹羽氏はいわゆる"細かい人"のようで、とてもわかりにくいのですが、赤い字で示した部分、つまり日本軍に殺害された市民は600~700人、これがこの論稿の結論のようです。ざっと、まとめると次のようになります。

・拉致された人4,200人のうち、少なくとも2,000人(=兵民分離の犠牲者数)は佐々木到一少将の私記を根拠に収容された、としていますが、他の2,200人はうやむやのままです。そしてなぜかこの2,000人はすべて単身者で残りは妻又は子どものいた男性、だそうです。

・兵士の暴行で殺害された者のうち、25%の613人は中国兵によるもの、また被害者のおよそ半分弱、1,117~1,231人は便衣兵、残りの606~720人が日本兵の暴行によるものになっています。幅があるのは、被害者に含まれる便衣兵の割合を4~6割と幅を持たせているからです。

すでに述べてきたように、中国兵によるもの、ならびに被害者に含まれる便衣兵は、すべて丹羽氏の推定(憶測)によるものです。

仮に便衣兵が大量に混ざっていたとしても、裁判なしで殺害することは不法行為ですが、日本軍がそうした裁判を行った形跡はまったくないので、便衣兵であっても不法殺害であることに変わりはありません。

図表5.犠牲者数内訳(丹羽氏推定)

犠牲者数内訳(丹羽氏推定)

6.まとめ

最後にスマイスの評価を引用して終わりにします。

{ 暴行と拉致にあった者の性別と年齢を分析すれば、死傷者のうち男子の割合は全年齢を通じて64%で、30歳ないし44歳の者では76%という高い数字に達した。身体強健な男子は元兵士という疑いをかけられた。多くの者が手のひらにタコがあったのを銃をかついでいた証拠だとして殺された。女性の傷害のうち、65%が15歳から29歳のものであった。しかし、この傷害についての調査の質問には、強姦そのものによる傷害は除外してある。…
拉致された男子は少なくとも形式的に元中国兵であったという罪状をきせられた。さもなければ、彼らは荷役と労務に使われた。そういうわけで、拉致された者のうち55%が15歳から29歳の者であったことを知っても驚くに当たらない。その他の36%は30歳から44歳の者であった。}(「大残虐事件資料集Ⅱ」,P224)

以上