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日本軍の失敗と失敗学

2023/9/11改 2020/1/30

1.「失敗の本質」と「失敗学のすすめ」

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大平洋戦争で日本は、開戦直後こそ破竹の勢いで進撃しましたが、相手が態勢を整えて来るにしたがって敗戦を重ね、ついには無条件降伏というかたちで終戦を迎えました。失敗の定義を参照するまでもなく、あの戦争を失敗とみることに異議を唱える人はいないのではないでしょうか。

このレポートでは、日本軍がなぜ失敗したのかを、敗北した戦闘の結果を組織論的に分析した「失敗の本質」をもとに整理し、それを失敗学の観点から見ようとしたものです。

参考にした主たる文献は上図に掲げた2つの文献です。「失敗の本質」は1984年に出版され2016年時点で何と72回も重版を重ね、新書版は70万冊も売れたロングセラー、ベストセラーの本です。著者は歴史や軍事の専門家ではなく、組織論や経営学の専門家です。
一方、「失敗学のすすめ」は機械工学の専門家が2005年に刊行したもので、失敗をネガティブにとらえずに、それを新たな創造に活用しよう、と立ち上げた「失敗学」の基盤となる考え方をまとめたものです。

2.日本軍失敗の原因分析

「失敗の本質」では、日本軍が敗北した6つの戦闘を分析してその原因を特定しています。以下の2枚のスライドはその要旨を私なりにまとめたものです。

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①ノモンハン事件; モンゴル/満州の国境紛争ですが、現地の師団長と参謀たちがしかけ、関東軍司令部や陸軍中央は黙認しました。おそらく明治維新後、初めて大きく負けた戦いであり、近代兵器と近代的戦術をくりだしたソ連軍に肉弾戦で挑み、敵側に大きな損害を与えたものの日本側も大きな打撃を被り、休戦協定で国境線はソ連側の主張通りに変更せざるをえませんでした。
この敗北を受けて装備や戦闘方法の改善に取り組もうとする姿勢はほとんどなく、従来型の奇襲攻撃、白兵突撃戦に固執し続けました。

②ミッドウエー海戦; 山本五十六は米空母群の撃滅を目的にしていたようですが、現地司令官の南雲忠一はミッドウェー島の攻略にこだわったようです。それが空母甲板上でのドタバタにつながり、結局海軍戦力を大きく減退させることになりました。目的相違の原因は日本軍全体としてのグランド戦略があいまいだったことに起因するでしょう。つまり守備範囲を限定して資源供給線を確保するか、占領地をひろげて米国本土にせまるか。どのように終戦させるかが不明確なまま戦争に突入したのが根本原因だと思います。

③ガダルカナル作戦; ミッドウェー海戦が優勢から劣勢への海軍の転換点とするとガダルカナルは陸軍の転換点でした。それまでの勝利に酔って相手を甘く見過ぎただけでなく、米軍がこの戦闘を反転攻勢の起点にすべく全力投入するという意図を見きわめずに軍を小出しにしたことや、陸軍と海軍の連携不足が敗戦の直接的原因ですが、その裏には陸海双方の思惑の違い、つまり日本軍全体としてのグランド戦略があいまいだったこともあります。

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④インパール作戦; 現地軍司令官(牟田口中将)の計画は無謀な作戦と参謀たちが反対する中で、ビルマ方面軍司令官(河辺中将)が「牟田口のカオをつぶすな」と実行を認め、陸軍中央も同意しました。犠牲者のほとんどは戦死ではなく餓死、病死だったという「悲惨な戦争」になりました。兵士たちの退路は白骨街道と呼ばれたそうです。
牟田口中将はこういう言葉を残しています。「不成功を考えるのは成功に疑念を持つのと同じ」。これは、事前にリスクを想定し、それに対して打つべき手を考える、というリスク管理の基本を無視するもので、これでは弱い相手には勝てても、強い敵に勝つのは不可能といってよいでしょう。

⑤レイテ海戦; 海軍の総力をあげて米軍のフィリピン上陸を阻止しようとしましたが、複数の艦隊を連携させる作戦が通信の不備や目的のあいまいさなどにより失敗。この敗戦で海軍の戦力で残ったのは戦艦大和だけになり、海軍の戦闘能力はなくなりました。

⑥沖縄戦; もともと勝つことを期待されなかった作戦でしたが、大本営は敵の航空機をできるだけ減らしたいと考えたのに対して、現地軍は本土防衛のための時間稼ぎを狙いました。結局、どちらにしても大差はなかったかもしれません。

3.日本軍はなぜ失敗した?

「失敗の本質」では、失敗の原因を「戦略上の要因」と「組織特性上の要因」に分けて分析しています。前者はどちらかというと直接的な原因であり、後者はその背景にある間接的な原因であるといってよいでしょう。

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戦略上の失敗要因には、グランド戦略がなく作戦目的があいまい、短期決戦に固執し補給や防御をほとんど考えない、戦略や戦術の合理性ではなく人的関係によって作戦を決定、リスク・コンティンジェンシー(緊急時対策)をまったく考えない猪突猛進的な作戦、などをあげています。

一般に失敗は、個人の「無知」、「不注意」、「手順の不遵守」、「誤判断」を直接的な原因として発生しますが、それらのほとんどは個人の責に帰すというより、その個人が所属する組織や社会にそうしたミスを誘発させる原因がある場合がほとんどです。
戦争の場合、兵士は上官の命令通りに動くよう教育されていますので、ここでいう個人は現場指揮官ということになり、根本的な原因はそれらの指揮官が所属する組織にあるといってよいでしょう。

それを指摘しているのが組織特性で、一言でいえば、属人性のきわめて強い組織で人と人の関係だけで物事を進めていくような体質だった、といえます。それは学習や合理性を軽視し、精神力に過度に依存することにつながります。“結果よりやる気を重視”… 企業内の人事査定では今もこの精神が生きていませんか?

この本はふれていませんが、「圧迫の移譲」という体質もあります。上位の者が何らかの形で下の者にストレスを加えると加えられた者はさらに下位の者にそのストレスを渡す、これを繰り返すとそのストレスは最下位の者に集中する、というものです。これは現在、問題になっているパワハラにつながるものがあります。

太平洋戦争の開戦にあたり、東条英機はアメリカの要求をのむことを滅亡と表現しています※1が、彼にとっての滅亡とは日本軍上層部のメンツをつぶされることでしかなかったのではないか、そんな気がします。

終戦後に述べていること※2には、もっと唖然とします。敗戦の原因を政治家や国民の無気魂に帰結させ、それらがなぜ起きたか考えようともしないのは、これらの人々を自らの目的達成のための道具としか考えていないからではないでしょうか。

※1 東條は、米を中心とするABCD包囲網のもとでは、日本は滅亡するほかはない、ジリ貧になるより、思い切って戦争をやれば公算は2分の1である。危険ではあるが、このまま滅亡するよりよいと思う、…と答えている。(大杉一雄「日米開戦への未知(下)」,P91)

※2 (開戦時には、) 国民の国家の危難の前には3千年間培われたる忠誠心の発動とは必ずや局面を打開するの力を発すべきを固く信ぜり  然るに事志と違ひ4年後の今日国際情勢は危急に立つに至りたりと雖尚ほ相当の実力を保持しながら遂に其の実力を十二分に発揮するに至らず、もろくも敵の脅威に脅へ簡単に手を挙ぐるに至るが如き国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だにせざりし… (半藤一利他「東京裁判を読む」,P477)

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「失敗の本質」では、日本軍の特質を一言でいえば、「環境への適応能力欠如」だと述べています。陸軍も海軍も日露戦争での勝利で、陸軍は白兵突撃主義、海軍は大艦巨砲主義、を基本戦略としたきり、これに疑問を呈して、新しい時代に即した戦闘類型に変えようという努力をしませんでした。一部の優れた軍人たちはそれを変えようと行動しましたが、そうした人たちは異端として遠ざけられました。
なぜ、そうなってしまったのかについては、様々な要因が考えられますが、日露戦争の英雄である乃木希典と東郷平八郎を神に昇華させてしまい、彼らのやり方を絶対視させるようになったこと、リスク対策を考えたり合理性を重視したりするより、“イケイケドンドン”の勇ましさの方が人々の共感を得やすかったこと、有力者の「顔をつぶす」ことを極度に嫌う封建時代の悪習が残っていたこと、等々いろいろあると思われます。

しかし、日本軍の体質は悪いものばかりではありません。例えば、外国で労働者は言われたことしかしないのが当たり前ですが、日本の労働者は自ら考え、より最適なものを探そうとします。いちいち細かなことまで指示しなくても工夫します。集団間にまたがる調整も上同士が話をつけるまえに担当者同士で調整をします。これが、日本製品の品質と生産性を世界一にした理由であることは間違いありません。ただ、こうした優れた性質を生かす反面、その裏にある欠点を冷静に見つめ、それをただしていくことも必要です。過去に理想の社会モデルを求めたらそういう発想は出てきません。

4.失敗の活用と創造へのチャレンジ

日本軍の辞書には「失敗」という言葉はなかったようで、失敗を活用するという発想はほとんどなく、あったのは失敗を糊塗するか、美化するか、あるいは他人の責任にするか、ぐらいのものだったように思われます。もっともそうした発想があればそもそも大平洋戦争を始めるという選択肢はなかったかもしれません。

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失敗を生かすためには、次のふたつのアプローチが必要です。

・損害の軽減 … 万が一、失敗してしまった場合でも、損害を最小限にとどめるための対策をあらかじめ考えておく。

・失敗の活用 … 失敗の真の原因を追究し、その対策をみつけることにより同じ失敗を繰り返さないようにする。

損害の軽減で注意すべきことには、技術の成熟や変化があります。技術が成熟してくるとブラックボックス化される部分がどうしても出来てしまい、その部分が分からないために誤った操作をしてしまうことがあります。また、マニュアル化はミス防止や生産性向上に貢献しますが、マニュアルに書いていないことが起きたときに適切な対応ができなくなるという弊害を生むことも少なくありません。

様々な状態を想定してそれらが起きたときにどう対応するか考えておくことはとても大切です。平成天皇の心臓手術を執刀した天野博士はまさにそれを実践することによって、高い成功率を確保しています。

失敗を活用するためには、真の原因を追究することが必要ですが、そこに責任追及がからむと責任逃れのために原因追及ができなくなったり、責任追及だけで終り、という可能性もあります。

例えば、日航ジャンボ機事故の直接原因は後部隔壁の修理ミスでしたが、他にもいくつかの原因がありました。日本は修理を担当したボーイング社に警察官を派遣しましたが、ボーイング社は修理員を警察に会わせることを拒否し、日本では非難の声があがりました。結局、原因は修理員のミスというより、修理マニュアルや設計の問題もあったようです。もし修理員の責任を追及するだけで終わってしまっていたら、他の原因は埋もれてしまったかもしれません。

また、失敗を前向きにとらえてその真の原因を追究していくためには、悪い情報をしっかり受け止める風土も必要です。悪い情報を報告したら、叱られるだけ、と思ったら、正しい情報が伝わらないこともあります。

そして、失敗経験を関係者内だけにとどめておくのではなく、第三者が活用できるように知識化し公開することも大切です。

5.まとめ

「失敗の本質」のカバーには、次のように書かれています。

日本軍の組織的特性や欠陥は、戦後において、あまり真剣に取り上げられなかった。むしろ、日本軍の組織的特性は、その欠陥を含めて、戦後の日本の組織一般のなかにおおむね無批判のまま継承された、ということができるかもしれない。…
日本軍の組織原理を無批判に導入した現代日本の組織一般が、平時的状況のもとでは有効かつ順調に機能しえたとしても、危機が生じたときは、大東亜戦争で日本軍が露呈した組織的欠陥を再び表面化させないという保証はない。

「失敗の本質」は日本の高度経済成長が目覚ましい時代に書かれましたが、畑村洋太郎氏の「失敗学のすすめ」はそれが失速して凋落の道をたどり始めた頃に書かれました。畑村氏は次のように書いていますが、それは「失敗の本質」の著者たちが心配していたことそのものではないでしょうか。

日本は明治維新以来、先行する欧米に追随し、これをマネすることを良しとしてきました。その成果としてめざましい発展を遂げることはできましたが、一方で、独自の文化、文明をつくる創造性をはぐくむ努力を怠ったために、これを欠落させたことは否めません。
… 真の創造は目の前の失敗を認め、これに向き合うことからしか始りません。にもかかわらず、起きてしまった失敗を直視できず、「思いもよらない事故」「予測できない事故」という言い訳で失敗原因を未知への遭遇にしてしまう責任逃れを繰り返しては、次の失敗の防止も、失敗を成長・発展の種にすることもできません。

日本軍の組織的特性や欠陥は、幸いなことに日本の高度経済成長に大きな悪影響を及ぼすことはなかったようにみえますが、それを放置したことによる弊害は高度成長のあとになって顕在化してきました。そしてさらに問題なのは、日本軍の体質に課題を認めてそれを改善しようという動きよりも、その体質を美化してそれを強化しようという動きの方が勢いを増してきていることです。
国粋主義者のなかには日本軍の失敗を認めずに、それを美化してしまう動きが近年加速しています。たとえば、明確な敗北といってよいノモンハンでの戦闘を「死傷者はソ連側の方が多いのだから、日本が勝った」などと居直る学者がいます。

単純に失敗を批判したり白い目で見るだけでなく、「よい失敗」か「悪い失敗」かを見極め、「よい失敗」は暖かく見守り、失敗覚悟で創造にチャレンジする人たちには拍手を送る、そんな風土が「偉大な日本」のために一番求められているのではないでしょうか。

以上