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書評 藤目ゆき:『「慰安婦」問題の本質』

2019/10/2

藤目ゆき氏は、大阪大学大学院教授で、日本近現代史、女性史を専攻する女性フェミニスト※1。本書は、2015年2月27日に白澤社(はくたくしゃ)から発行された単行本で、以下の論稿と講演録に若干の修正を加えたものと、書き下ろしの序章から構成されています。

1-1 女性史からみた「慰安婦」問題 … 季刊「戦争責任研究」第18号(1997年冬号)に掲載した論文

1-2 日本人「慰安婦」を不可視にするもの … 「女性国際戦犯法廷に参加して」というタイトルで「日本史研究」468号(2001年8月)に掲載

1-3 被差別部落と買売春 … 服藤早苗・三成美保編著「ジェンダー史叢書 第1巻 権力と身体」明石書店、2011に所収

2-1 日本軍「慰安婦」被害者金学順(キムハクスン)さん証言から20年 … 2011年7月31日、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークの呼びかけで開催された「20年間の水曜日」翻訳出版記念の催し(於・大阪市・ドーンセンター)での講演原稿に加筆

2-2 現代の軍事性暴力と「慰安婦」問題 … 2012年9月14日に開かれた「慰安婦」問題に関する公開学習会(「阿媽とともに・台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会」主催(於・東京都)の講演録

2-3 日米軍事同盟が生み出した性売買をどう考えるのか … 電子マガジン「α-Synodos」vol.130-131(荻上チキ責任編集、2013年8月15日)に掲載された論文

2-4 日本軍「慰安所」を作り出した性の歴史 … 2014年9月7日、アムネスティ・インターナショナル日本・北摂グループ/[慰安婦]問題の解決を求める北摂ネットワーク・豊中主催「女性への性暴力をなくすための連続学習会」で行われた講演録

このレポートは慰安婦問題についてある程度の知識をお持ちの方を対象にしています。

※1 フェミニスト; 女性解放論者。女権拡張論者。(広辞苑)

※2 このレポートで"本書"は、藤目ゆき著『「慰安婦」問題の本質』をさします。

※3 本書では慰安婦をカギカッコ付きで「慰安婦」と表現していますが、ここでは読み易さを優先してカギカッコは省略します。ただし、引用文では原文のままカギカッコをつけます。


1.慰安婦=公娼論について

慰安婦は公娼だから国に責任はない!?

藤目氏は、否定派註1の主張する「慰安婦は公娼だから国家に責任はない」という論理は間違っている、として1997年の論稿1-1でその根拠を次のように述べています。

① 近代公娼制度は、軍国主義、帝国主義とともに生れ育った性奴隷制度であり、それを土台にして作られた慰安婦制度もまた性奴隷制度である註2

② 近代公娼制度は、政府が公娼から巨額の税金を搾取した、表面的には自由意思をうたいながら人身売買を事実上認めていた、廃娼のポーズをとる一方で実質的には公娼制度を拡大した、など欺瞞性に満ちた制度だった註3

論点の歪曲?

否定派の主張は、「当時、公娼制度は合法的な制度だったので、その戦地版である慰安婦制度も合法、したがって国家が責任を負う必要はない」というもので、論点は制度の内容の是非ではなく、合法かどうかです。藤目氏も当然それを知っていて、別の論稿/講演録では、慰安婦が公娼であることを認め註4、公娼制度は国家と特権業者による売春からの搾取を合法化するもの註5、と公娼制度が合法であることも認めています。

藤目氏は、「慰安婦制度=公娼であることを認めてしまうと否定派に歪曲して使われてしまうので抑制的に発言してきた、と述べています」註4。しかし、それは本来の論点では持論を通しにくいから、通しやすい論点にすりかえている、といわれても仕方がないものです。事情をよく知らない人には、藤目氏の主張がもっともらしく聞こえて、本来の合法かどうかとは別の次元でこの問題を理解してしまう人もいるかもしれません。合法かどうかに真正面から答えた上で、ご自身の反論をすべきだと思います。

合法性の議論を軽視?

制度が合法でもその運用が違法であれば、国の責任は問えます。だから、慰安婦徴集の強制性が問題になるのですが、藤目氏は、「河野談話で強制は認めているのだから議論の水準は強制性の有無ではないはず」註4、とこの議論も放棄します。政府は河野談話で「強制性」を認めてはいるものの、国の法的責任を追及するに必要な「官憲による組織的な強制連行」は認めていません。道義的にせよ政府の責任を明らかにするにはこうした議論が必須なのですが、藤目氏は興味がないようで、ひたすら「慰安婦制度は女性の人権を踏みにじるもの」という主張だけに集中しようとしています。

慰安婦≠公娼論は公娼制度の問題を隠蔽するものだ!

藤目氏は次のように主張します。「上記の慰安婦=公娼論は、慰安婦制度の合法性を認めることになるので、慰安婦制度は公娼よりはるかに厳しい環境での営業を強いられた、といった主張をする人たちもいる。しかし、公娼制度が悪法であり、女性たちが多大な被害を受けたことを明らかにすることこそ必要なのに、慰安婦≠公娼論では公娼が慰安婦よりましなものとされてしまう」註6という。

悪法も法なり!

公娼制度が悪法であることや女性の被害をいくら訴求しても、合法性がひっくり返ることはありえないでしょう。それは法解釈の問題であり、慰安婦裁判のほとんど全部が慰安婦側敗訴に終っていることがそれを象徴しています。それを不当だからひっくり返せ、というのは現在の法秩序の前提になっている事後法の禁止という大原則を破ることになります。公娼制度が不法であることを立証しようとしたらそれは歴史家の仕事ではなく法律家の仕事になるでしょう。

慰安婦≒公娼と主張すべし!

「慰安婦≠公娼」論は公娼の悲惨さから人々の目をそらす、という主張は、前述した慰安婦=公娼の議論を「抑制」したのと同様、公娼制が正当化されかねない、という不安からでてきたものでしょう。先にも述べたように、誤解を恐れるあまり実態と異なる主張をするというのは、読者を混乱させるだけでなく、ご本人の主張の論理矛盾も露呈させます。姑息な策を弄せずに、正々堂々と「公娼制度は女性の人権を踏みにじった、慰安婦制度はそれよりさらにひどい制度だった」と主張した方がかえって説得力があるのではないでしょうか。吉見義明氏は次のように述べています。

{ 公娼制度が「事実上の性奴隷制度」であるとすれば、慰安婦制度には、外出の自由、廃業の自由などの外見上の保護規定すらないので、文字どおりの性奴隷制度であったということになる。}(吉見義明他:「従軍慰安婦をめぐる30のウソと真実」,P59)

2.日本人慰安婦の数は?

藤目氏の推定

2000年12月に開かれた「女性国際戦犯法廷」において、藤目氏は専門家としての証言を求められ、日本人慰安婦の実態や出身階層、日本の公娼制度などについて証言しています。証言のあと、判事団から日本人慰安婦の数に関する質問があったが、完結明瞭な回答ができなかった、と述べています。2001年の論稿1-2では日本人慰安婦数の推定を試みていますが、「現時点で総数を尋ねられても「5桁」とか「数万」といった大雑把な推測をするしかない」と述べる一方で、「すでに海外にいた日本人売春婦や国内にいた公娼が軍隊慰安婦として動員された実態を調査・研究することが必要」とした上で、「日本国内の公娼(娼妓と芸妓・酌婦)の減少数約6万5千人は慰安婦の徴募と無関係ではあるまい、これらの公娼と在外売春婦のかなりの部分が慰安婦となったと考えてよいだろう」註7、と述べています。

先行研究を無視した推定

日本人以外も含めた慰安婦数全体の推定は、多くの研究者により行われています。このうち、日本人慰安婦数についての数字を提示しているのは、私の知る限りでは秦郁彦氏だけですが、藤目氏は他の研究者の推定はもちろん、秦氏の推定についてもまったくふれていません。この種の問題については先行研究を分析した上で、自分の考えをまとめるのが定石だと思うのですが、藤目氏の論稿にはそうした気配はまったくありません。

本書に掲載されている3つの論稿には参考文献が40件ほどリストされていますが、それらのほとんどは藤目氏本人を含むフェミニストやその賛同者たちのものです。もちろん、他のグループの研究者の本も読んでいるのでしょうが、もし、秦郁彦氏の「慰安婦と戦場の性」や吉見義明氏の「従軍慰安婦」をちゃんと読んでいれば、そこに慰安婦数の推定があることは忘れようがないはずです。にもかかわらずそのような形跡がまったくないということは、そうした慰安婦問題で代表的とされている本すらまともに読んでいないのではないかと勘繰られても不思議ではありません。

そもそも、日本人慰安婦について話をする場に出れば、その数について質問が出るのは当然のことで、事前に調べて話に含めるのが常識ではないでしょうか。藤目氏は歴史学ではよくあるこうした数の推定という問題に慣れていないのかもしれません。

秦郁彦氏の推定

秦氏は「慰安婦と戦場の性」で、慰安婦総数は2万人前後、その民族別比率は日本人4: 現地人3: 朝鮮人2:台湾人等1、と推定しているので、日本人慰安婦数は約8000人、となります註8

なお、藤目氏があげた、日本の公娼は15年戦争開始から10年間で6万5千人減少、という数字は秦氏の本によれば約4万1千人の減少になります註8が、藤目氏はその数字の出所を明らかにしていないので検証もできません。

3.日本人慰安婦が名乗り出ないわけ

藤目氏の分析

これまで韓国・台湾・フィリピンなどでは多くの元慰安婦が名乗り出ていますが、多数いたと思われる日本人の元慰安婦は、ひとりも名乗り出ていません。その理由について、藤目氏は2011年7月の講演録2-1で、「日本社会の"抑圧性"が名乗り出ることを阻んでいる」註9と述べていますが、2014年9月の講演録2-4では「名乗り出るための支援も励ましも受けてこなかった」註10と述べた後、「日本の政治と社会の女性抑圧性が真の問題だ」註10と述べています。どうやら、"抑圧性"と支援や励ましのなかったことの両方が名乗り出ない理由と見ているようです。"抑圧性"とは、平たく言えば、日本人慰安婦は日本社会から侮蔑され、名乗り出ると「面汚し」とののしられ排斥されるから、というようなことをさしています。

批判(1)…抑圧は韓国にもある!

元慰安婦だから、という理由で侮蔑されたのは、日本だけでなく韓国の場合も同様でしたが、その度合いは韓国の方が強かったという意見もあります註11。だから、日本人元慰安婦が名乗り出ないのを"抑圧性"だけにするのは無理があります。藤目氏もそれに気がついたので、支援や励ましの不備という理由を追加したのかもしれません。

批判(2)…名乗り出ない理由はたくさんある!

日本人慰安婦が名乗り出ない理由をフェミニストたちは、「差別意識」(鈴木裕子)、「優越感」(加納実紀代)、「恥の感覚」(藤目ゆき)、「日本のフェミニズムの非力さの証し」(上野千鶴子)などをあげている、と秦氏は述べています註12。藤目氏も昔は今と違う理由をあげていたようです。また、熊谷奈緒子氏の著書には、藤目氏が「韓国やフィリピンなどの元慰安婦が名乗り出れたのは、侵略された日本への憎しみや怒りがあったからだ」と述べたことが記されています註13。これも納得できる理由です。

批判(3)…まとめ

このような問題を調査するには日本人慰安婦本人の証言が大事だと思うのですが、藤目氏は文献などから証言を少し紹介しているだけで、本人を探そうとした形跡は見出せません。秦氏は、ご自身で探したけれど、亡くなったり、消息不明だったり、拒否されたりで直接の証言は得られなかったそうです註14

それでも慰安婦問題が注目される前は話をしてくれた人も少しいます。千田夏光氏などは何人かの日本人元慰安婦からの証言を著書に記していますので、いくつかその要旨を列記します。

このように慰安婦の体験は一様ではなく、戦後の思いも人それぞれです。ただ、過去には触れたくない、そっとしておいて欲しいという気持ちは共通しています。ほとんどの人は名乗り出ない理由を言葉で表現できないのではないでしょうか。藤目氏の言うように過去を知られると侮蔑されるといった恐れもあるでしょうし、悲しいことは思い出したくない、今さら世間に目立つようなことはしたくない、… いろんな理由が絡みあっていると思います。ただ、言えるのは謝罪や補償よりも、そっとしておいて欲しいという気持ちが優先しているということでしょう。

そういう状況で、「日本人慰安婦の問題は片付いていない!抑圧性が問題だ!などと騒ぎ立てることは本人たちにとっては迷惑でしかないでしょう、そっとしておいてあげませんか。さらに、この問題にかぎらず、慰安婦の体験は多様で単純にこうだああだと決めつけられるようなものでないことも留意すべきです。

4.ゴールはどこ?

問題提起ばかりの藤目論稿

一般に論文や講演などでは、現状認識→問題提起→原因分析→解決法の提示、という流れになるのに、本書に掲載されている藤目氏の論稿や講演録は問題提起までで終わっているものが多く、まがりなりにも原因や解決の方向性が示されているものは最後の講演録2-4ぐらいしかありません。それも同じ事象に異なる用語を使ったり、事象間の因果関係が不明確だったりしてきわめてわかりにくいのですが、私なりに整理してみました。

藤目氏の主張(推定)

まず、結論は「政治と歴史の全体性を取り戻す」(本書P203)のようです。では、全体性とは何を指すのでしょうか?関連しそうなキーワードをこの講演録から拾ってみると、「慰安婦を生み出した根拠は軍国主義植民地主義にある」(同P175)、「反女性イデオロギーが土台にある」(同P187)、「女性差別主義に問題の本質がある」(同P195)、「慰安婦問題の解決は日本民主化の課題」(同P198)、「民主化歴史認識政治改革がなければ実現しない」(同P204)

これらをまとめると、「慰安婦問題の根拠(原因・背景)にあるのは、軍国主義、植民地主義、女性差別主義(反女性イデオロギーと同じ意味と理解)の3つであり、これらを総合的に解決するには正しい歴史認識の確認と政治改革による民主化が必要、ということになります。

謝罪や補償も大事だが「真の解決」を目指すべし!?

確かに、近代公娼制度の歴史を正しく認識し、それをもとに何が必要かを理屈で考えて行けば、政治改革に行きつくしかないかもしれません。しかし、それを実現するには革命でも起こして、反対派を粛清し、新たな政治体制を構築するか、時間をかけてじっくり歴史認識の徹底や政治改革を実行していくか、ぐらいしか私には考えられません。現在の日本で革命などといっても支持する人はほとんどいないでしょうから、大変に時間のかかる作業になるのは間違いありません。その間に元慰安婦自身だけでなく、その子や孫でさえいなくなってしまうかもしれません。藤目氏は、一刻も早く解決しなければならないが小手先の決着では終わらない闘いだ、「真の解決」をしなければ問題は解決したことにはならない、慰安婦への謝罪や補償も大事だが「真の解決」を目指すべきだ註17、と主張しています。

大沼保昭氏の認識

アジア女性基金の呼びかけ人であり理事でもある大沼保昭氏は、次のように述べています。

{ この問題では、過去に比べてよくなっている面と逆に危惧される状況と両方あります。日本についていえば、1995年ごろは、ほとんどの支援団体が裁判で勝てる、あるいは特別立法がなされて国家補償がおこなわれるという非現実的、空想的といっていい議論をしていました。・・・ それが、裁判では敗訴続き、民主党政権下でも特別立法はできないという現実に直面し、その一方で国民・市民を含む新しい公共理念への理解も進み、人々は慰安婦問題については以前よりはるかに多面的で、問題の核心を突く見方ができるようになってきた。… 20年前に比べて、この点に関しては日本の市民社会は明らかに成熟を示していると思う。
その一方で、「朝日新聞」はじめとする「進歩的」メディアが自分たちの「正義」をふりかざして一方的で偏った報道をしてきたことについて、90年代から日本国民の不満が溜まってきていたように思います。・・・ それが行き過ぎて感情的な嫌韓、反中の論調が雑誌やウェッブ上で展開されるようになってしまった。・・・ 歴史の事実を認めようとしない言説も、かつて以上に広範に出回っているという印象もあります。・・・}(大沼保昭:「歴史認識とは何か」[2015年、中公新書],P155)

大沼氏の指摘する「危惧される状況」を作り出した一因に、フェミニストなどの「理想主義者」の言説があるのは間違いないでしょう。つまり、理想を求める活動が理想から遠ざける結果を生み出したかもしれないのです。ゴールをイメージしながら、目の前にある問題をひとつひとつ解決していく戦略に転換することを切に願っています。

以上で、書評は終わりですが、最後にひとこと。
藤目ゆき氏は、優れた分析眼をもち、様々な論稿に氏の論文が引用されていますが、大変な潔癖症で完璧主義者のようです。異論を認め、そこから吸収すべきものは吸収して、もっと柔軟で現実的な研究をすればさらに質の高い成果を出されるのではないか、と悔やまれます。


註1 否定派

藤目氏は「慰安婦問題に国としての責任はない」と主張する人たちを、「自由主義史観派」とか「ネガティブ・キャンペーン派」などと呼びますが、ここでは「否定派」と呼びます。

註2 近代公娼制度は性奴隷制度

{ 公娼制度とは、公権力による管理売春制度である。・・・
近代公娼制度はこのようにして軍国主義、帝国主義とともに生まれ育った国家管理売春制度である。
軍隊のための女性を犠牲にするというその暴力的本質がむきだしに表出したのが、15年戦争、とりわけアジア太平洋戦争の時期であり、日本人女性はもちろん、植民地支配下の朝鮮人・中国人女性、さらに被占領地となった東南アジア諸地域の女性も日本軍管理のもとにおかれ、性的「慰安」を強いられた。}(本書P33-P35)

*中国は「被占領地」であり「植民地支配下」ではない。(筆者注)

註3 公娼制は欺瞞性に満ちた制度

{ 実際には[慰安婦=公娼]で国家の責任逃れをする奇怪な論理が日本社会に影響力を持つ。いったいなぜか。
歴史的に考えれば、それはまず、近代の公娼制度そのものの欺瞞性に起因する。あたかも国家は売春業から超越しており、たんに「民間売春業者の存在を容認している(=禁止・非合法化してはいない)だけ」であるかのような外観と、公娼は自発的な意志で「商行為」をしている自営業者であるかのような名目が、この制度の土台であった。}(本書P35)

以下、公娼制度の欺瞞性についてP35-P38にわたって詳細に記述しているが、ここでは省略する。

註4 慰安婦は公娼

{ 私はこれまで公娼制度と慰安婦制度のつながりについて、誤解を招かないように慎重に抑制的に発言しようとしてきました。
… 国家が軍隊「慰安婦」にした女性たちは明確に公娼です。 「慰安婦は公娼だから補償は無用だ。国には責任がない」などというネガティブ・キャンペーンの論理ほど転倒した話はないでしょう。本来「公娼」は国が管理統制した女性を指すのですから。…
日本では公娼といえば売春婦、売春といえば反社会的な醜業という差別意識が根深く植え付けられたままなので、よほどていねいに議論しない限り、「慰安婦は公娼です」と言えば、ネガティブ・キャンペーン派の「だから補償なんて無用だ」という話に歪曲されてしまうかもしれない。それで、慎重に抑制的にしか発言していなかったという経緯があります。
が、近年の言論状況を見ていると、そんな自己抑制にどんなプラスがあったのかと、懐疑も苦渋も感じるようになりました。現在も、強制性の有無が「慰安婦」問題の争点であるかのように、その争点で公論を喚起しようという動きが盛んです。・・・
しかし、河野談話( … )は現在もなお日本政府の公式的立場だということを忘れてはなりません。もはや議論の水準は強制性の有無ではないはずです。・・・ }(本書P185-P186)

註5 公娼制度は搾取を合法化するもの!

{ まず、合法性・適法性についてである。・・・ 公娼制度は国家とその特権業者による売春からの搾取を合法化するものであった。}(本書P47)

業者による搾取は多くの研究者が指摘していますが、国家による搾取は、秦郁彦、林博史、吉見義明、をはじめ誰も指摘していません。学界で一般的なことならばいいのですが、そうでないなら、典拠となる文献を示すか、著者自身による具体的内容(徴税額、徴税方法、慰安婦の収入に占める割合、など)の提示が必要でしょう。ネットをさっと見た限りでも大きな問題としては取り上げていないので、娼妓にとっては業者による搾取の方が圧倒的に大きかったのではないかと思われます。

註6 慰安婦≠公娼論

{ 「慰安婦=公娼」論に対して、「慰安婦≠公娼」論による反論が行われてきた。この議論では、「娼妓取締規則」に就業手続きや廃業の自由が明記されていたことをはじめ、国内の公娼と戦地の「慰安婦」との差異が強調され、「慰安婦は公娼ではない」とされている。・・・
適法性の有無が重視されるのは、「売春が合法であった時代のことを戦後の価値観で断罪するのは誤りだ」と強弁する「自由主義史観」派への対抗、つまり「慰安婦」連行は当時の価値観や法に鑑みても罪とされるものだったという、反論としての意味をも与えられているように思われる。・・・
しかし、このようにして行われる反論は、真に反論たりえるものであろうか。かりにそれが一部の人々に説得力をもったとしても、そこに危険はないのであろうか。このような「慰安婦≠公娼」論が、公娼ならば、合法ならば、当時の人権水準がそれほど低かったのならば、「慰安婦」たちの被害は、謝罪や補償に値するものではないという「自由主義史観」派の立論の前提に無批判であるとはいったいどうしたことか。
まず、合法性・適法性についてである。・・・ 人権擁護の立場から「慰安婦=公娼」論に反撃するためには、公娼制度がいかに悪法であり、いかに女性たちがその被害を受けたかを明らかにすることこそ必要である。ところが、「慰安婦≠公娼」論の方向は逆であり、自由廃業権の規定をはじめ、「慰安婦」よりましなものとして「娼妓」が説明され、相対的に公娼制度が持ち上げられている。それは就業や廃業が自由な本人の意思にもとづくものだという近代公娼制度の名目に高い評価を与え、現実にはそのような自由と無縁であった公娼たちの実像から人々の目をそらし、合法化された暴力たる公娼制度に対する批判を手控えるものである。}(本書P46-P47)

註7  日本人慰安婦数の質問と回答

{ 判事から日本人慰安婦の数に関する質問があった。それが日本人慰安婦総数の推定を求める質問であると理解した私は答えようと試みたのだが、完結明瞭な証言ができなかったことについて内心に忸怩たる思いがある。・・・
日本人「慰安婦」の存在を数量的に示す資料はごく限られたものしか発見されていない。・・・ 一部地域の情報から類推するような方法でしか推測できず、数万人の規模であるといってもよいと私は考えるのだが、明快に断言できることではない。}(本書P63)

{ … 日本軍関係の文書だけでは限界があり、近代日本人女性の在外売春や日本の買売春制度という女性史研究上、早くから関心を抱かれてきた諸問題を軍隊「慰安所」への動員という新しい観点から洗い直すことが重要である。この両方のアプローチから補いあって調査・研究を進めることでようやく幾らか日本人「慰安婦」の像が立体的に結ばれ、総数の推定もふくめて全体像に近づくことができるであろう。15年戦争開始からの約10年で娼妓の減少数が約2万5千人、芸妓・酌婦の減少数が約4万人。合計約6万5千人の減少は、日本軍「慰安婦」の徴募と無縁ではあるまい。娼妓・芸妓・酌婦から離籍した女性のなかには廃業した者もいたであろうが、多くは借金に縛られて外地の軍「慰安婦」へ「鞍替え」させられたものと考えられる。}(本書P68)

註8 日本人慰安婦数――秦郁彦氏の推定

秦氏は、慰安婦数を次のようにして求めている。外地にいた日本軍将兵の数を250万人、慰安婦一人当たりの兵士数を150人として約1.6万人、これに慰安所があった期間の慰安婦の交代を考慮して2万人前後と推定。(秦郁彦:「慰安婦と戦場の性」,P397-P406)

さらに民族別構成比率を各地の慰安所における比率や領事館警察統計などを総合して、日本人、現地人(中国人、フィリピン人、インドネシア人など゙)、朝鮮人、その他(台湾人、オランダ人など)の比率を4:3:2:1、と推定している。(同上,P407-P410)

日本の公娼数については、表2-2「戦前期の内地公娼関係統計」(同上,P30)に掲載されている。数字の出典は、1927~40年が「昭和国勢要覧」、1941,1942年は内務省警保局資料、となっている。

註9 日本人慰安婦が名乗り出ない理由(1)

{ 日本人慰安婦として名乗り出た女性は、この20年間を通して一人もいません。しかし、それは日本人「慰安婦」が存在しないからではないのです。日本社会の抑圧性が彼女たちのカミングアウトを阻んできただけです。}(本書P130)

註10 日本人慰安婦が名乗り出ない理由(2)

{ 日本人「慰安婦」は、「謝罪や補償を求めて名乗り出る」ようにと支援も励ましも受けてこなかったのであって、「名乗り出なかった」のは支援が行われない原因ではなく結果だからです。}(本書P190)

{ 日本人「慰安婦」は戦時下も戦後も、そして現在も、日本社会から侮蔑されているのです。彼女たちの体験は「被害」と認められず、逆に日本の「面汚し」と排斥されてきた。そこに、日本人「慰安婦」がこれまで名乗り出てこなかった、市民運動からも放置されてきた本質的な理由があるのではないでしょうか。}(本書P194)

註11 韓国でも元慰安婦は忌避された

{ <汚された>女性を排除する純潔主義と家父長制的認識も、彼女たちを長い間故郷に帰らせなかった原因だった。しかし性的に汚された記憶だけでなく、日本に協力した記憶もまた彼女たちを帰らせなかったものではなかっただろうか。}(朴裕河:「帝国の慰安婦」,P155)

{ 挺対協などエリート女性が集まる女性運動家たちは、旧日本軍用と米軍用慰安婦の類似性は否定する立場をとった。洋公主たちは「韓国社会で下層のなかでも下層の屑」で、純血を失った売春婦として軽侮と嫌悪の的とされた。
日本人の間では芸妓や売春婦、元慰安婦に対する社会的偏見ははるかに薄く、売春防止法で離職した女性たちの更生や転職が容易だったのとは対照的である。}(秦郁彦:「慰安婦問題の決算」,P82)

*洋公主 … 軍人、特に米軍兵士に対して性的奉仕を行う韓国人慰安婦の異称(蔑称)<出典:Weblio辞書>

註12 日本人慰安婦が名乗り出ない理由(フェミニスト)

{ 日本人の元慰安婦が公式に名のり出た例は1件もない。・・・ なぜなのか。フェミニストの論客たちも気になるらしく、「差別意識」(鈴木裕子)か、「優越感」(加納実紀代)か、「恥の感覚」(藤目ゆき)か、意見は分かれるが、「日本のフェミニズムの非力さの証し」(上野千鶴子)なのかもしれない。(秦郁彦:「慰安婦と戦場の性」,P222)

註13 外国の慰安婦が名乗り出る理由

{ ほとんど名乗り出ていない日本人の元慰安婦と対照的に、多くの韓国やフィリピンの元慰安婦が名乗り出て、謝罪や補償を要求することができたのも、彼女らの国々が日本の軍事的侵略や植民地で苦しんだという、共通する国民的怒りに支えられていたからである。(藤目ゆきの発言。藤目・鈴木・加納1998-119~120<「インパクション」107号)(熊谷奈緒子:「慰安婦問題」,P224)

註14 日本人慰安婦の証言

{ わたし自身もそれなりの伝手をたどって探索につとめたが、亡くなったり、消息不明になっていたり、拒否されたりで、直接の証言は得ていない。}(秦郁彦:「慰安婦と戦場の性」,P224)

註15 日本人慰安婦の思い(1)

いずれも千田夏光:「従軍慰安婦」による。引用は省略し該当箇所のページのみ示す。
  a)P102-P107  b)P234-P249  c)P156-P164  d)P250-P252

註16 日本人慰安婦の思い(2)

秦郁彦:「慰安婦と戦場の性」,P226-P228

註17 真の解決とは…

{ 20年間で解決がつかないできたことは、むしろ当然であったと言うべきかもしれません。むろん、一刻も早く、ハルモニたちが要求してきた日本政府の謝罪や補償、歴史教育を実現させねばならないのは言うまでもありません。しかし、それは「個別課題」化や小手先での決着では終わらない闘いでもあります。それだけ大きな本当に価値のあるチャレンジをしているのです。}(本書P133)