月山・日本国山 2001年7月19日夜〜21日
*月山 弥陀ケ原(8合目)〜月山〜湯殿山
*日本国山 小俣登山口〜山頂〜蔵王堂登山口
夜行1泊で月山と日本国山へ登った。今回は母も一緒で、母にとってはこの夏最大の(?)イベントである。
まずは例の如くマイクロバスでの夜行、座席は先着順のため、よい席を求めて初めて2時間前に行った。母を無事登らせるための第1歩である。当然のように1番乗りだった。待つ間に疲れないように母を座らせる。
それから30分以内に数名が到着。大体いつものメンバーである。だんだん数が増えて、バス2台のため、名簿を持ったIさんの到着を待って2列に並び替える。私たちは2号車だった。
幸い2号車はかなり早く到着、出発30分前にはバスの二人がけ最前列の特等席に無事座って準備万端。このバスでの夜行は母には初めてなので気を遣ったが、出だしは好調。ほっとする。
途中、高速で大渋滞する。夜が明けて外が明るくなると4時過ぎ。ドライブインや道の駅でほぼ2時間ごとに休憩があり、トイレの心配もない。
5時ごろには朝食。やっぱり食べなれたパンとコーヒーで一息。私も食欲があり、今日は調子が良さそうだ。外はだんだんよい天気になってくる。
月山が見えてくるが、道は回り込むような形で弥陀ヶ原(8合目)へ向かう。羽黒山(神社)を通過してどんどん高度を上げていく。道端にはヤマユリが大輪の花を咲かせている。8合目が近くなってくると急に車やバスが降りてくる。今日は相当の人出がありそうだ。・・・果たして駐車場は早くも7時で一杯である。支度をしてまずは木道から歩き出す。風は涼しい。草がなびいて高原の趣き。
<弥陀ケ原から月山を臨む>
山頂までしばらくはゆるやかな登りが続く。木道の段差にさえ注意すれば楽勝である。はやくも花が出迎えてくれる。シロバナニガナが目立つ。
そのうちに振り返ると8合目が少し遠くに見えた。
信仰の山だけあって、白装束の人が目に付く。オモワシ山を過ぎると少しガスってきた。その分涼しくてよいのだが。目下母は快調である。
岩場に弱いので心配していた「行者返し」も距離は短く、ゆっくり登れば問題なさそうだ。
<行者返しの岩場>
山頂まではハイキング程度の距離なので、山の格好でない人や子供もいる。そのせいか、足元はご親切に岩やコンクリートの円盤状の踏み石で敷き詰められ、整備され(すぎ)ている。これは足に衝撃があって歩きにくい。
が、もう両脇はずっとお花畑。おなじみのチングルマは山頂に近づくにつれて満開、私の大好きなハクサンイチゲ、かわいい黄色のウサギギク、紫のハクサンフウロにハクサンチドリ、勿論イワカガミも。本当に数も多い。
結構目に付いたのはコバイケイソウによく似た花で緑色のアオヤギソウ。
<アオヤギソウと、紫の花はハクサンフウロ>
特に珍しい花は、葉に斑点が入っているウズラバ ハクサンチドリで、数回目にしたが、これは図鑑でも見たことがなかった。花はもう終わりかけであまりきれいではなかったが・・・。
<ウズラバハクサンチドリ>
少し残った雪の上を2度ほど歩くと、もう頂上が見えてきた。山頂は月山神社の建物があって、入るにはお金がいるという。
山頂では人がひしめき合っている。30分の大休止。
私と母は有料の月山神社?の建物へ入ってみた。500円払うと人形(ひとがた)と小さなお札を渡される。10人程度ずつ神主さんがお祓いをし、人形で全身をなでて息を吹きかけ、穢れを人形に移して禊をすると、先に通される。
ほんの数歩で小さな社へ。白装束の人たちが拝んでいるのを横目にもう復路?へ。窓口でお神酒をもらってお札売り場の建物を通るともう出口である。この間約5分。母は足腰が強くなるお守りを父の分も買った。中でおみくじを引いたら、母は大吉私は末吉だった。
軽く食べ物を口にして、いよいよ下山。ここからが問題だ。月山〜湯殿山には難所が3つあるらしい。それぞれ名前がついていて、鍛冶月光(かじがっこう)、金月光(かながっこう)、水月光(みずがっこう)という。まずは鍛冶月光。これは月山直下から始まる、母の大の苦手の岩の急坂である。
幸か不幸かリフトを使って登ってくる遠足?の子供たちが道を塞いで、降りるに降りられない。先頭のリーダーとはどんどんはなれていく。が、後もまた渋滞してみんな散り散りである。そんな訳で、母はマイペースで何とか降りることができた。
金姥の分岐で最後尾の到着を待って金月光へ向う。急に人がいなくなる。時々白装束の人を抜かすだけ。無人の施薬小屋を過ぎるといよいよ金月光へ。道がストンと切れ落ちている。鉄ハシゴがWでかかっている。登りと下りで混雑しないようにということだろうか。
このハシゴが心配で一時は不参加にしようかとも考えたが、思案の末、決行することに決めたのだった。インターネットで湯殿山を調べると梯子の写真があった。う〜ん、大丈夫かなと思いつつ、母に念を押すと、「梯子?しっかり持てば落っこちないんでしょ?頑張るよ。」・・・本当かなあ。ちなみに一度も梯子や鎖場を経験していない母なのであった・・・。
さて実際に金の梯子を目の前にした母はというと・・・。完全にすくんでいる。想像を絶する高度感と梯子の頼りなさ(と母には映ったはずだ)にまっすぐ立っていられない。
仕方ないのでWなのを利用して並行して降りつつ次の足の指示を出すことに。
まずは最初の1歩が大変。梯子の前でお尻をついて、前を向いたまま足だけ2段くらい降ろし、やおら反転して両手で掴ませる。ゆっくりゆっくり降ろすが、足元が危なっかしい。かなり長い梯子なので体がガチガチになっている。
やっとのことで1本目を終えるとすぐに2本目がド〜ンと控えている。もう踊り場でまっすぐに立っていられない。またもや座って1歩1歩。その間、みんなは何も言わずに待っていてくれる。本当にあり難い。Mさんは母の跡をすぐに降りようとする男性を「ちょっと間を空けてあげて。」と制止してくれる。優しい気遣いに心の中でお礼を言う。
2本目を終わって、母曰く、「え、まだあるの?!」・・・まだまだあるんです。
ようやく梯子を終えると、足元がふらふらしている。極度の緊張から解放されていわば放心状態。まだこれから水月光もあるので小休止させ、念のためザックを降ろさせる。
実は重いものは全部私の方に入っているので中身はスカスカである。それに最初から母の分背負うつもりで来ている。
が、私が母の分も持つと目立つので、特に親しい「優しくて力持ち」の方々に見つからないようにこっそり二人分背負ったつもりがまずは北海道で2年一緒のNさんに見つかってしまう。・・・何とか「大丈夫です。」と連発して謝りつつ、当初の計画?を実行しようとすると、見送った(つもりの)Iさんに見つかってしまった。
Iさんも耐久レースに出るほどのスーパーマン。勿論優しくて笑顔が素敵なおじさまである。・・・もう断りきれなくなってしまって、ご好意に甘えることに。
足元は岩+沢の水が(ほんのすこし)流れる(箇所もある)水月光へ。もう母は亀の歩みである。滑るのでより慎重に。Iさんは少し先を行っては、振り返って母の足元を確認してくださる。いざとなったら母を担ぐくらいのお気遣いと見た。
もう、申し訳ないやら、有り難いやら、それに全く気づく余裕のない母の手を引いて、複雑な思いだ。・・・ようやく足元から水が引いて眼下にコンクリートの堰堤が見えてきた。ちょっとほっとして、私もチョロチョロ先を歩いては振り返って母を待つことにした。
曲がり角を過ぎて母をまつ。・・・がなかなか来ない。
あれ?と思ってしばらくたつと、何と母が仙人の杖のように途中でクニャっと曲がったストックをもって苦笑いしながら歩いてきた。
「どうしたの?」
「どこも怪我していないんだけど、・・・なんだか気がついたらツルっとすべって転んじゃった。ストックの上に乗っかっちゃったみたい。」
やっぱり転びましたか。でも大事なくて本当によかった。
母はしきりに「さっきお参りして、お守りも買ったからだね。大吉って本当だったね。」と言う。・・・曲がったストックは私の。そうか、それで私は末吉???
駐車場が見えると今度はSさんが上がってきて、「大丈夫?」と声をかけてくれる。2人分のザックをもったIさんが降りてきたのを見て、事情を察して来てくれたのだ。母が無事下山できたのも本当に皆さんの御蔭です。有難うございました!
さらにラッキーなことに、バスが待っている。歩くと後30分の灼熱のコンクリートの道を何と100円でパスできるのだ。リーダーが「乗ってもいいよ。」とおっしゃるのでこれまたお言葉に甘えてバスで楽してしまった。
ともかくもこれで母も感激の月山山行が終わった。(娘も大いに親孝行をアピール?!)
お泊りは山の中腹の閑静な町営民宿。周りに家はなく、本当に静か。途中寄ったコンビニとスーパーでの買出しで夕食と朝食を確保。涼しいので外で思い思いに夕食とする。久しぶりに会ったMさんと一緒にビニールを広げる。15年来の知人である。山で一緒になろうとは当時は想像だにできなかった。
一階二階に分かれて敷き詰めた布団の上でごろ寝。これでも天国天国。定員オーバーなので何とリーダーは玄関の板敷きの上で、ほかにも数人の男性は廊下で寝ることに。誠に申し訳ない限りだ。母には「山小屋へ行ったらこんな(優雅な)もんじゃないのよ。」と説明する。教育係は大変です。
夜景がきれいに見える。体をゆっくり伸ばして寝られる幸せ。
翌朝はカナカナと、アカハラとウグイスの競演で目が覚めた。これまた豪華な目覚まし時計だ。今日は新潟の日本国山へ寄って帰京。
山北(さんぽく)町のHPで確認済みだが、555メートルで整備されているようだ。名前で人気があり、町起こしに利用しているようだ。
バスが南下して海が見えてくるともうすぐ日本国山。登山口は2つある。標識もあって、道はそれほどわかりにくくはない。
小学校のある小俣から登る。立派な標識あり。
急げば3時間で降りられるし、天気もよいので「荷物は自己責任」で軽くしてもいいという。そこで母は空身にして、私が母のザックで歩くことに。
昨日御世話になった男性方が「今日はどうですか。」「荷物は?」と声をかけてくださる。こんな時、「家族のように助け合い」という、会の紹介文を思い出す。
今日はカンカン照りで、暑い。蒸す。サウナのようだ。途中、葉っぱがツバメオモトみたいで花が緑の穂咲きのものをたくさん見かける。なんだろうね、「穂咲きツバメオモト」だね、と命名しながら歩く。後で調べるとどうやらこれがノギランというものらしい。ネバリノギランとは余り似ていない。
なぜか道端に「とってくれ」とばかりに食べごろのワラビがたくさん顔を出している。・・・標識がたくさんあって、よく手入れされた道を行くと左手に頂上が見えてくる。ひと登りで頂上だ。555メートル、切りのいい数字だ。ゆっくり座って休む。見晴らし台もあるが、木の枝が邪魔して余りよく見えない。
下りは蔵王堂へ。急坂なので母の足元を心配しつつも、何とか下山。
これで母の夏休みは概ね終わった。
これもひとえに皆さまの御蔭です。本当に本当に有難うございました。
(母と一緒の登山も、来年くらいまで、と思うのでその節はまたどうか我慢してくださいませ!)