ここでは、毎月厳選してその月を代表する物語を紹介。
今月の物語は「江戸は雪」。

江戸は雪
大雪の朝、大川端の旅籠「かわせみ」で、客が持っていた五十両が紛失した。
嘉助にお吉、るいが駆けつけて大騒ぎをしている時、ちょうど寒稽古の帰りだといって、東吾が源三郎と一緒にやって来た。
さっそく源三郎は嘉助に指図して客の足止めをした。
雪の降りは益々ひどくなり、足止めがなくともこの天候では出立する者もない。
そこへ朝一番で発っていった客で佐吉というのが、結局木更津行きの舟が欠航になったと戻って来た。年の頃は三十二、三で、ちょいと目つきに鋭いものがある。お吉が心得て昨夜と同じ梅の間に案内した。
源三郎は、まずるいの案内で萩の間のはとり屋喜兵衛とその妻お才のところへ行った。神奈川宿で旅籠屋をやっている老夫婦で五十両の紛失に蒼ざめている。源三郎の調べによると、五十両は胴巻に入れて床の間の違い棚の上に置いておいたが、身支度をしようとして金がなくなっているのに気がついた。
るいの居間へ引き揚げた源三郎に東吾が訊いたのは五十両の金の使い道であった。その金は、十八になる娘おきよの結納金で、実はその縁組を断るために五十両を持って江戸へ出て来たものであった。日本橋の茶問屋の息子の孝太郎がたまたま泊ったはとり屋でおきよを見初め、正式に嫁にしたいと申し入れて来た。縁談はとんとん拍子に進み、五十両の結納金も入り黄道吉日を選んで祝言というところで、はとり屋夫婦は娘のおきよが沈んでいるのに気がついた。いろいろ聞いてみると、どうにも孝太郎を好きになれないという。何度か会う中には好きになれるだろうと努力もしてみたが、会えば会うほど話せば話すほど気持ちが食い違って、とても夫婦としてうまくやっていけるとは思えないという。おきくというのははとり屋喜兵衛夫婦の実の娘ではなく、お才の姪にあたり子供の頃に養女となったもので、おきくとしては両親に遠慮があったのかも知れなかった。紛失した五十両はそんな事情のある金であった。
結局源三郎が客の持ち物改めをすることになり、東吾も源三郎について一緒に泊まり客の荷物を改めて廻った。常連客四組の部屋が終わり、最後が梅の間となった。佐吉に五十両紛失により持ち物を改めると告げると、顔色が変わった。嘉助が座布団の下に置いてあった胴巻きを調べると、中から五十両の金が出て来た。
「俺じゃねえ、俺じゃねえんだ……」

その場から佐吉は大番屋へ連行され、源三郎の取調べを受けたが、金の出所はしどろもどろではっきした答えが言えない。取調べの結果を聞いた嘉助は、「佐吉はクロ」だというが、るいはどうも腑に落ちない。佐吉は江戸へ出てくるまで二年程江の島のえびす屋に奉公していたが、無断で店をとび出していた。えびす屋の主人に問い合わせると、真面目に働いていたが、昔のことがあるので辛い思いをしていたのかも知れないという。
はとり屋夫婦は、佐吉が下手人とは思えないと言っていた。自分達の不注意のために佐吉に迷惑をかけて済まないと詫びている。
盗難の遭った日、夫婦は日本橋の河内屋を訪ね、破談を申し入れたが、盗難にあって五十両の金は待ってくれというと、とうてい承知出来ないと立腹している。金が返せないのならすぐに嫁によこせだの、面子を潰されたから女中奉公に出せと無理難題をいう。はとり屋夫婦は肩を落として日本橋から帰って来た。田舎の小さな旅籠屋では五十両の金をすぐに工面できるほどの余裕はない。店を処分するか、この先どうしたらいいのか途方にくれている。そんな夫婦をみて、るいは河内屋を訪ねて断りを言ってくると出かけて行ったのだが・・・
孝太郎というのは、おきみが好きになれないというのがよく分かる、のっぺりした色男で、話すことが一々燗に障るきざな男であった。大店の息子というのに、けちで言うことがえげつない。金を盗まれたのは宿の責任だとか、五十両の紛失ははとり屋夫婦の狂言だとか、さんざんるいに罵詈雑言を浴びせる。るいは「とにかくお調べは八丁堀の畝源三郎様ですから、御不審がおありでしたら、お訊ね下さい」と言いおいて店を出た。るいから話を聞いた東吾は、るいが不憫だった。いくら町屋暮し馴染んだからといって、所詮はお嬢さん育ちのるいである「俺がついていってやればよかったな」。
佐吉の身許引受人は芝金杉の伊勢屋仙八という蕎麦屋と聞いて、東吾はるいを連れて伊勢屋を訪ねた。仙八は小柄な老人だが、目に優しいものがある。佐吉のことについて訊ねたいというと、奥の部屋へ案内した。
東吾はるいを佐吉の泊まっている旅籠の女主人と紹介し、自分はその亭主だと名乗った。これにはるいが絶句してしまった。
「佐吉がなにか人様から誤解を受けましたでしょうか」仙八はそう聞いた。
東吾が五十両紛失の話をすると、仙八は佐吉が盗ったと言ってはいますまいと言った。佐吉は博打で取った金だと言う。江の島に行ってから一度も博打には手を出していなかったが、江の島詣でに来たえびす屋の客が手慰みに行き大負けしていたところ、迎えに行った佐吉に変わって打ってくれと言う。変わってみたところ、面白いようにつきまわり、客の負けた分を取り戻し、胴元に祝儀を渡して、まだ残った五十両、これはお前が勝ったものだからと客がそっくり渡してくれた。佐吉はその金を持って木更津にいる母親のところに行くつもりだった。
「悪いことに佐吉には前がございます」仙八が穏やかに続けた。
佐吉の惚れていた女に、大店の倅で少々出来の悪いのが手を出した。女は身ごもり、若旦那は金で女と手を切り、子供は里子に出された。そんなことがあった後の祭の日に、佐吉とその若旦那とが喧嘩になった。祭でもあり、酒も入っていた。が結局、佐吉は捕らえられ、江戸払いとなった。佐吉が江戸を離れる時、仙八は金杉橋で、「なにがあってもお前を信じている」と送り出した。その仙八は、今度の事件もきっと他に真犯人がいる、どうぞもう一度お調べ直し下さいと頭を下げた。
「もし佐吉の疑いが晴れません時は、それでも仙八はお前を信じているとお伝え下さい」

伊勢屋からの帰り道で、るいは「佐吉がやったとは思えない」と言った。佐吉がおびえたのは、博打で取った金であったし、江戸払いの者が江戸の宿に泊まっていたからであった。
「今度は江戸払いではすみませんね」るいはなんとしてでも五十両を用立てるつもりでいた。東吾は、父の形見の脇差を売って、五十両の金を作ろうと思っていた。

大川端へ帰ってくると、お吉が出迎え、喜兵衛の娘のおきみが出て来ていると言う。やがて帳場にいたるいのところに、おきみが挨拶に来た。手をついて、父母が迷惑を掛けた詫びをいい、五十両は出て来たことにしてくれと言い出した。それで佐吉を助けられるかと訊く。
「佐吉さんは盗んでいません。」それははっきりしていると言った。
るいが、五十両の工面が出来たのかと訊ねると、自分の蒔いた種だから、河内屋に奉公に出ると言う。
「本当に、佐吉さんは盗んでいないんです」と繰り返す。
その時東吾が言った「五十両は、最初からなかったんだな」

はとり屋夫婦が二階の萩の間で首くくりをしようとして、嘉助に助けられ、すべてを話したところでは、喜平衛は娘の嫁入り仕度にと米相場に手を出し失敗した。気がついた時には結納の五十両にも手をつけていた。そのあとにおきみが孝太郎を嫌っているのに気がついた。破談にしたし金はなし、そこで人のいい田舎者がうった大芝居だったのだ。
源三郎に連れられて「かわせみ」へ帰って来た佐吉に、待っていたおきみと喜平衛夫婦は手を突いて詫びた。おきみはお父つぁん、おっ母さんが悪いんじゃない、堪忍してくれと詫びながら泣きじゃくった。佐吉はそんなおきみを見つめてなにか考えている様子だったが、るいが佐吉に呼ばれて梅の間に行ってみると、佐吉は五十両を差し出し、はとり屋家族に渡してくれという。こんな博打で手に入れた金を持って木更津に行っても母親は喜ばないだろう。自分が間違っていた。それよりもこの五十両をおきみのために用立ててくれれば、金も生きると言った。自分はまた一生懸命働いて来年の正月にもっと汗のこもった金を母親に届けると明るく言う。
おきみと喜兵衛夫婦は辞退したが、結局その金を借り、源三郎の立ち会いで河内屋に返した。
また江戸の町が雪景色になった朝、二組の客がかわせみを発っていった。
「お金はどんなに時間がかかっても、必ずお返しします。春にはきっと江の島のえびす屋をお訪ねしますので・・・・・・」
別れ際、おきみは佐吉にきっと約束した。
るいが東吾を振り向いた。
「佐吉さん、今度は本物の運を拾っていったような気がしますよ」
雪の白さに朝陽がまぶしかった。

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