ここでは、毎月厳選してその月を代表する物語を紹介。
今月の物語は「師走の客」。

師走の客
晩秋の一日、東吾は源三郎と一緒に代々木野に隠遁している恩師の老儒学者を訪ねた。紅葉を愛でてじっくり酒を酌み交わそうと師から招きを受けてやってきたものだが、梢を染める鮮やかな紅葉に目を留め、のどかな晩秋の気配を満喫しているうちに、先を歩いていた源三郎がいきなりしゃがみこんだ。驚いた東吾が近づこうとすると
「東吾さん、危ないでから気をつけて下さい。罠がしかけてあります」
源三郎の足に、小さいが鋭い歯が食い込んでいる。おそらく近所の百姓が狐をとるためにでも仕掛けたのであろう。東吾は苦労して源三郎の足から罠を外した。源三郎は苦痛に歯を食いしばっている。さて、どうしたものか東吾が思案してると、近くの裕福な家の娘でもあろうか、木立の間で野点でもしていたのだろう。東吾と源三郎の難儀をみて、すぐに使いをやって馬を曳かせて来た。その間にも茶をたてたりしてもてなしてくれる。やがて手当の済んだ源三郎を馬に乗せ老師の家まで送ってくれた。「まるで、紅葉狩りの芝居のようでしたよ」足の怪我で町廻りに出られない源三郎が「かわせみ」へやって来て話し出した。
「素性はわからないが、大層な美人でした。」
「それが、東吾さんをみると急に親切になりままして」
町廻りに出られない源三郎は、退屈しのぎに東吾とるいをからかって楽しんでいる風がある。
老師の家まで送ってもらい、東吾が源三郎を家の中に運び込んでから戻ってくると、百姓も馬もすでに立ち去っていた。とうとう礼もいえず、どこの誰ともわからないままであった。

ちょうどその頃、るいにとって人ごとではない出来事が起こり、秋の幻のような女のことは忘れるともなく忘れさられた。
るいの父が生前親しくしていた与力の長尾要のところに捨て子があったという。お吉が聞いてきたものだが、どうも駆け落ちをした長尾要の一人娘の雪乃の子供らしいという。雪乃はるいより二つ年上で、どちらかというと大人しい物静かな娘であった。るいが東吾を意識し始めたころ、雪乃も恋をしていた。内与力の息子で、一人娘一人息子という障害にあい、結局二人の縁談は実らなかった。その年、奉行が交代し、内与力は八丁堀を去り、息子は妻帯した。それからまもなく雪乃は渡り中間のような男と駆け落ちをした。そんな雪乃を見ていたるいの父は、亡くなる前によくるいに「庄司の家は俺の代限りでいい」と繰り返した。おそらくるいの東吾への苦しい想いを知って、雪乃の二の舞を踏ませまいとする親心だったのだろう。雪乃が駆け落ちしてからすでに三年が経っていた。
子供まで出来たのだから、相手の男と添い遂げたのだろうが、勘当された親の家に子供を捨てるとは、雪乃の身に何があったのだろうかと思う。るいにしても、もし東吾との恋に破れたら、自分の心がどこに転がっていくのかと不安であった。
やがて、長尾家の捨て子の詳しい話を東吾が聞いてきた。
長尾家に捨てられていた男の子は新太郎といい、すでに三歳になっており、「この子を行く末を頼みます」と書かれた雪乃の文を持っていた。なににしろ、子供を捨てるとは余程のことである。るいは雪乃の身を案じた。その長尾家では老人だけの静かな生活に、突然飛び込んで来た男の子にてんやわんやだという。るいは時々子供の相手をしに長尾家に通うようになった。

その年の江戸は火事が多く、るいが「かわせみ」を開業するとき力を貸してくれた「藤村」という旅籠も火事で類焼してしまった。その藤村の主人籐兵衛から一人の客を預かって欲しいと頼まれた。おすがという千駄ヶ谷の大百姓の娘で、年は三十二になるという。早くに両親に死なれ、弟を抱えて大百姓の家を切り盛りしてきたが、その弟が昨年やっと嫁を迎え今年になって子供も生まれ一安心した。そんなおすがが恋をした。だが間に立った者から、あの男はだめだと言われ、おすがは恋わずらいのようになり、とうとう名前も素性を分からないままに、その男を探すために江戸へ出て来たのだった。その話を籐兵衛から聞いたるいは二つ返事で引き受けた。なんなら畝源三郎に頼んで相手の男を探して貰ってもいいと考えた。だが最後に籐兵衛が打ちあけたのは、おすがには夜中に寝ぼける癖があり、本人のわからない中にふらふらと歩き回るそうだ。やって来たおすがはるいやお吉がはっとするほど美しい娘であった。
おすがは毎日出かけて一日中江戸の町を探し回っているのか、ある時嘉助がおすがのあとを尾けた。
なんとおすがは働き口を探していた。籐兵衛の話では千駄ヶ谷の大百姓の家で、下手な侍にはおよびもつかないほど格式のある、裕福な家柄と聞いている。そのおすがが何故働き口など探しているのだろうか。
おすががかわせみに来てから5日目の夜に、それは起きた。おすがは寝ぼけて廊下をふらふらと歩き回っていた。嘉助が気をつけていたから何事もなく、おすがはるいに声を掛けられて正気に戻った。
とにかくるいはおすがを居間へ連れていって、熱い茶を勧めながら話を聞いた。
 おすがが寝ぼけ出したのは、昨年弟が嫁を貰うことになり、その準備やらなにやらで祝言の当日はへとへとに疲れていた。祝言が終わりおすがが休んだのは明け方近くだった。だがしかし、誰かに呼ばれて気がついた時は、なんと弟夫婦の寝間の前であった。以来おすがは時折寝ぼけるようになり、本人の知らない間にふらふらと家の中を歩いていた。部屋に鍵を掛けて休んでみたり、女中と手を縛って休んでみたりしたが、一向に治らない。世間では、嫁ぎ遅れの姉が弟の嫁に嫉妬して、寝間をのぞきに行くというような噂がたった。このままでは弟夫婦にもすまないと思ったおすがは家を出ようと江戸で働き口を探していたのであった。
るいは、もしおすがが見染めた人を探しているのなら、元八丁堀にいたということが役に立つかも知れないといった。東吾が畝源三郎とやってきた時、るいはその話を二人にした。
ちょうどその時、嘉助がおすがを案内して居間にやってきた。部屋に入ってきたおすがは、東吾の顔をみるなり部屋をとび出して行った。最初に気がついたのは源三郎で、東吾は暫くしてようやく気がついた。
あの代々木野の幻の女であった。実はと源三郎が打ちあけたところによると、あのあと暫くしてから老師から千駄ヶ谷の大百姓の娘が東吾を見染めたと言って来たがどうしたものかと相談を受けたという。源三郎は勿論東吾にはるいがいることを承知していたから、その旨を老師に打ちあけ、老師はその話を縁なきものとして東吾の素性も名前を明かさずに退けられたのであろう。源三郎は東吾にその話をしなかった。
「これ以上いい気になられても困りますので・・・・・・」

おすがのことは源三郎が引き受けた。心当たりがあるのでと、おすがを連れてどこかへ出かけて行った。
やがて戻ってきた源三郎は、明日からおすがは長尾家に奉公することになったという。翌日おすがは「かわせみ」を出て行った。長尾家に奉公したおすがはまるで水を得た魚のように、いきいきと働いていた。長年大百姓の家を切り盛りしていたから、それ相当の分別もあり学問も行儀作法もきちんとしている。新太郎も忽ちおすがになついた。
師走も慌ただしく日が過ぎ、「かわせみ」の餅つきの日、東吾は嘉助と一緒になって餅をついた。
突然東吾が言い出したのは、なんと長尾要がおすがを後添えに迎えるというのである。長尾要はるいの亡くなった父親と幾つも年が違わなかった筈である。るいはあっけにとられたが、おすがも承知して、年が明けたら内輪の祝言をするという。
やがて大晦日。正月の仕度を終えてあとは元旦を迎えるばかりになって、るいはぼんやりしていた。
大晦日、一緒に過ごして新年を迎えたい東吾はいつもやって来ない。いくら次男坊の冷や飯食いとはいえ、元旦早々家を明けることも出来ない。せいぜい3が日が過ぎないとやって来られないと承知していて、るいは寂しかった。
「お嬢さん、長尾様がお見えになりました」とお吉が取り次いで来た。
長尾要は、おすがと一緒であった。「年があけませぬ中に、どうしてもお礼を申し上げたいと・・・・・・」
新太郎の手を引いたおすがは、まるで夫婦ように要に寄り添っていた。親子ほど年が違うのに、夫婦であることがちっとも不自然に見えない。
「これは長尾どの・・・・・・」明るい声とともに東吾が入って来た。
思いがけない恋人の出現にるいは嬉しさを隠しきれない。
二人きりになったるいは、早速東吾に訊いた。
「よろしいんですか、元旦に朝帰りなんて・・・・・・」
東吾はそれには、返事をしないで、別のことを言った。
「おすがさん、長尾家に行ってから一度も寝ぼけないそうだ」
「つまらねえと思ったのさ、夫婦が別々に除夜の鐘を聞くなんて・・・・・・」
るいはこれからのおすがのことを心配したが、東吾はだまってるいの肩を抱いた。
「そりゃ、人間、生きていりゃあいろいろあるさ、大事なのは、それをどう乗り越えるかじゃないのか」
東吾に寄り添い、るいはやがて鳴り出した除夜の鐘を聞いていた。

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