ここでは、毎月厳選してその月を代表する物語を紹介。
今月の物語は「山茶花は見た」。

山茶花は見た
「おい、今年はちっとばかり早いんじゃないか」
東吾が「かわせみ」の庭に咲く山茶花の花を見つけて、るいにいった。
花になどまるで関心のない東吾がそんなこと言いだしたので、るいは驚いた。
そのことを言うと、東吾は
「この花だけはおぼえてるのさ。大方、るいの生まれた日のあたりに咲き出すだろう」
るいにとっては、嬉しい答えが返ってきた。
東吾は、何か買ってやるから欲しい物はないかと訊く。
何もないと答えたるいだったが、みくびるなよという東吾に、「それでは・・・・・・」と日本橋の伊勢屋で見つけた掛け守を所望した。

二人で買い物に行って戻ってみると、「かわせみ」に品川の廻船問屋「万石屋」の主人の新兵衛がやって来ていた。嘉助の紹介で顔を合わせた東吾に、万石屋が語ったのは秋の彼岸に万石屋に入った賊のことであった。
この秋の彼岸に、万石屋に賊が入り、ちょうどまとまった金があった時で、蔵にあった千両箱を盗まれたという。賊が押し入った時、乳母の娘でおきくというのが手水に起きて、賊に気がつき慌てて主人に知らせた。すぐに腕っ節のつよい連中や、町内の岡っ引などが賊を追い、媽祖廟の境内に隠れていた盗賊を捕らえたのだが、何故か彼等は奪った金を持っていなかった。
最初捕らえられた三人は、盗みに入った覚えはないとしらを切ったが、乳母の娘のおきくの証言で、牢へ送られた。
しかし厳しいお調べにも係わらず、盗賊一味は金の在処について口を割らず、結局金の行方は分からぬままに、遠島となった。そして、なんとその連中が島抜けをしたという。万石屋の主人新兵衛や他の奉公人が心配したのは、島抜けした一味が、証言をしたおきくを怨んで仕返しに来るのではないかということであった。結局万石屋からどうしたらいいのかと相談を受けた東吾は、翌日、源三郎と共に品川へ向かった。
万石屋の蔵には江戸では珍しい南京錠が取り付けられていた。賊に入られた後、長崎から取り寄せたもので、これはちっとやそっとでは開けられない頑丈そうな鍵である。近所で分けたあと、残った一つは媽祖廟に取り付けられた。
媽祖廟とは、唐人の海の神さまの媽祖を祭ったもので、極彩色のなかなか派手な造りであった。扉は閉められていて、媽祖を見ることは出来なかったが、年に三度、正月の七草までと春と秋の彼岸の半月ずつに扉が開けられ、媽祖様を拝むことが出来るという。
案内してくれた万石屋の娘のお信は子供子供した感じだが聡明な娘で、乳母の娘のおきくは十七にしてはませた感じでなかなか美貌である。
おきくが万石屋にやってきたのは、ちょうど母親である乳母が倒れて、娘のおきくに知らせたものかと思案しているときに、何も知らずに木更津から出て来て、母親の急病を知り最後を看取ることが出来た。結局、母親の死後、木更津には頼る者もないというので、そのまま万石屋で働くことになった。島抜けした一味がおきくに仕返しに来るのではと、主人達が心配したが、本人は木更津には帰りたくないというし、東吾と源三郎が相談し、おきくはしばらく「かわせみ」で預かることにした。
おきくを連れて「かわせみ」へ戻った東吾は、盗賊一味が捕まるまで「かわせみ」に泊りこむことになった。
「おい、当分、おおっぴらだぞ」
大きな声で東吾がいい、るいは顔を赤くした。

それから十日後。るいの誕生日の日に地震があった。無論東吾は「かわせみ」に泊まり込んでいる。幸いにも「かわせみ」も八丁堀の神林家でも被害はなかった。翌日の午後、万石屋の中番頭の清吉が、「かわせみ」を訪ねてきた。日本橋の得意先へ地震見舞いに来たついでに、主人のいいつけでかわせみの様子を見に来たという。万石屋も被害はなかったが、媽祖廟の屋根が落ちて、修理が始まっていると清吉が話し、そそくさと品川へ戻っていった。
あけて翌朝、お吉が大慌てでるいの元へやってきた。
「お嬢さん、どうしましょう、おきくさんの姿がみえないんですよ」
近所を探してみたが、どこにも居らず、勝手口のところに、おきくの半天が落ちていた。
東吾とるいはとるものも取りあえず、万石屋へ急いだ。ところが品川へ着いてみると、万石屋も大騒ぎであった。中番頭の清吉が殺されたという。真面目な働き者で、女遊びもしない固い男がなぜ、と主人の新兵衛は困惑を隠せない。行方の分からぬおきくのことも心配だったが、清吉の通夜の仕度でてんやわんやしているところへ、なんとおきくが帰ってきた。あちこち擦り傷だらけで、本人が言うには、ゆうべ遅く名前を呼ばれたような気がして出て行くと、清吉の声がしている。戸を開けたところいきなり襲われて駕籠に押し込まれた。そのままどこかの小屋に閉じこめられ、このままでは殺されると思って必死でもがいているうちに縄が解けたので逃げてきたと体を震わせている。
そんな騒ぎで東吾もるいも大川端に帰りそびれた。その晩は新兵衛の勧めもあって万石屋に泊めてもらうことになった。すでに夜半過ぎである。
部屋に案内されて、二人だけになると、東吾がるいにいった。
「疲れているところをすまないが、おきくの様子に気を付けていてくれ」
そう言い残して、東吾は部屋を出て店のほうに行った。るいは帯も解かず、庭を隔てて向こうに見える女中部屋を見張っていた。
昼間の疲れも出て、ついうとうとし始めた時、女中部屋の雨戸が音もなく開いた。るいがはっとして見ていると、別人のようなおきくが素早い身のこなしで部屋を出て裏木戸のほうへ行く。東吾に知らせたいと思ったが、出て行ったきり戻ってこない。るいは急いで足袋はだしのままおきくのあとを追った。寒気は厳しかったがそれを気にする余裕もない。おきくはそのまままっすぐに媽祖廟の開けはなたれている内陣へ入って行った。あたりを窺うと、媽祖を台座から下ろして、その台座の上の部分を思い切り押した。
「おきく、やっぱり、ここだったのか」ふいに声がした。
内陣の中に灯りがつき、おきくの廻りを三人の男が取り囲んだ。るいは物陰に身を潜め、中の様子を窺っていた。
「よくも裏切りやがったな」男の一人が白刃をひらめかせ、おきくに襲いかかった。
るいが叫び声を上げると、内陣から男達が飛び出してきた。
追われて必死で逃げた、もうだめかと思ったとき、背後で絶叫が起こった。るいを背にかばった東吾は容赦がなかった。

事件から二日後。例によって「かわせみ」のるいの居間には東吾に源三郎、嘉助もお吉も顔を揃えていた。
おきくというのは乳母の娘ではなく、盗賊の一味だった。乳母のおせいが卒中で倒れて口もきけないのをいいことに、娘になりすまし万石屋の様子を探っていたのである。
東吾がおきくを怪しいと思ったのは、捕らえられた三人の賊を、手水場の窓から見た時に一人の腕にアザがあったと証言したことからである。東吾も手水場の窓から覗いてみたが、外は暗いし、二の腕のアザまで見えるわけがない。これは盗賊一味に仲間割れでもあったのではと推理し、おきくを「かわせみ」で預かることにした。
おきくにはずっと源三郎の手先が張り込んでいて、地震のあった夜、おきくが「かわせみ」を抜け出したのも承知していた。しかし金のありかを探るため、そのまま野放しにしておいたもので、結局金は媽祖廟の中に隠されていた。
怖い女を「かわせみ」に泊めちまったもんですね、とお吉が嘆息し、
「だから、俺がずっと「かわせみ」に泊り込んでいたじゃないか」
東吾が大いばりで、るいの肩を抱きよせた。
今朝もまた庭の山茶花に新しい花が咲いている。
朝の冷気の中、そこだけがほの明るかった。

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