ここでは、毎月厳選してその月を代表する物語を紹介。
今月の物語は「江戸の子守唄」。

江戸の子守唄   
ある日東吾は兄の通之進から麻生家へ行くように命ぜられる。用件が解らぬままに麻生家に出かけた東吾だったが、当主の源右衛門から七重との縁談を薦められる。七重の姉香苗は東吾にとって義姉にあたる。麻生家と神林家は昵懇にしており、源右衛門は両家の血を引くものがそれぞれの家を継いでくれることを強く望んでいた。しかしながら通之進夫婦に子はなく、源右衛門としては七重を東吾に嫁づけて二人の間に出来た子に両家を継がせようと思ったものである。憮然とする東吾であったが、源右衛門や兄の気持ちを思うとむげに断ることも出来ず、八丁堀の屋敷には帰らずかわせみ」に足を向けていた。もちろんるいと別れる気など毛頭なく、余計な心配を掛けたくないとるいには何も話さなかった。翌早朝、畝源三郎が「かわせみに東吾を訪ねて来た。早朝麻生七重が八丁堀の畝源三郎宅を訪れ、昨日神林家より東吾が帰宅せぬことを心配してやってきた使いに、「東吾様は父源右衛門と御酒を過ごされ麻生家に泊まっております」と返事をされたと伝えにきたもので、源三郎は東吾がかわせみにいるものとやってきたのであった。東吾にしてみれば、縁談の返事を待ちかねているだろう兄夫婦にるいとの事をはっきりさせるために「かわせみ」に泊まったのである。そんな東吾にしてみれば、出されもしない酒に酔って、麻生家に泊まったなぞと少々むかっ腹であった。
その最中、かわせみの泊まり客が小さい子供を残していなくなってしまった。近在の百姓とその女房という触れ込みであったが、嘉助は奥山の芸人あたりと睨んでいた。普通ならそのような客はしないが、雨の夜更け、小さい子を連れていたので、るいが受けたものである。その二人連れが子供を置いて逃げた。すぐに畝源三郎が呼ばれ、置いていかれたお文は両親が見つかるまでるいが預かることになった。
しばらくの間、東吾は「かわせみ」に行くことを慎んだ。るいに対する良心であり、縁談の起こっている七重に対しての遠慮でもあった。
るいは東吾の来ない寂しさを捨て子に夢中になることで忘れようとしていた。そんなるいの様子を源三郎から聞いた東吾は少しばかり意地になって「かわせみ」から遠ざかる。女というものは他に夢中になれるものがあれが、好きな男の存在を忘れていることが出来るのか。男の我が儘で、東吾はるいが自分を差し置いて捨て子に夢中になっているのが不満であった。嘉助やお吉もるいの様子が気がかりではあるが口に出すことは出来ない。

あと何日かで5月というある日、源右衛門の古希の祝いが深川の料亭で行われた。当然兄夫婦、七重そして東吾が同席した。もしまた縁談の話にでもなって、同じ断るにしてもこのようなめでたい席で断るのは憚られた。かといって曖昧な返事も出来ない。そう思った東吾は中座し料理屋を抜け出すが、なんと七重もついてくる。いささか腹を立てている東吾は七重にかまわず「かわせみ」に向かうが、途中で七重から打ち明けられる。
「わたくし、姉に呼ばれました」 東吾様にはるい様というお方がいる。自分が傷ついても東吾様のお嫁さんになりたいと思いましたが、姉が申すには傷つくのは東吾さんとるいさんだと。「自分が傷つくのは耐えられましても、人を傷つけることは・・・・・・」 七重は泣いていた。
東吾にしてみれば七重は妹のようなものであるが、それ以上の感情がなかったとは言えない。しかし子供の頃からるいに惚れて、やっと夫婦同然になった今にしてみれば七重とどうにかなろうなどという気は毛頭なく、どうにも七重の気持ちには答えることが出来ない。
「うしろにおるい様がいらっしゃいます。 わたくしがお呼びしました」 振り返ると、今にも倒れそうなるいが立っていた。
「本当に東吾様がお好きならば深川までお出で下さい、もしお出で下さらないときは、七重が東吾様を頂戴致しますと」
お話は終わりました、と七重は東吾の脇をすり抜けるように深川へ帰っていった。
「るい・・・・・・」東吾が声をかけると、るいは緊張のあまり気を失った。

るいを連れてかわせみに帰った東吾は、すっかり痩せてしまったるいを抱いて、二度とこんなことはしないとるいにもお吉たちにも詫びた。自分が一月近くも「かわせみ」から遠ざかっていて、どれほどみんなを傷つけていたか初めて知った東吾であった。翌日東吾は詫びを込めてるいに着物の一枚もと思い、るいとお文を連れて日本橋の蛭子屋を訪ねた。るいに似合いそうな着物を出していた蛭子屋の番頭がお文の紅花染めの下着を見て驚いた。なんとお文は蛭子屋の織り子が探していた子供であった。早速源三郎が調べたところでは、その織り子は天童の紅花屋の女房でお才。
その紅花屋では嫁いで五年経っても子が出来ない時は離縁するという習慣があった。お才はなかなか子が出来ないことから、産婆をしている母親に相談し、ちょうど男に騙され子供が出来て困っていたお鹿の子供を貰うことにした。お才は紅花屋には内緒でお鹿の子を自分が産んだ子として連れて帰る。ちょうど3年たった頃、お鹿が紅花屋にやって来て本当のことをばらされたくなかったらとお才を強請りはじめた。結局お才は親が残してくれた田畑を売り払い金を渡したが、お鹿は喜三と一緒にお文をさらって天童を出奔した。
お才は、喜三が江戸の男と聞いていたので、母親と一緒にお文を探すため、江戸に出た来た。この広い江戸でお文という名前と紅花初めの下着という手掛かりだけで娘を探そうと思っていたもので、藁山から針を探すようなものであった。

数日後、お文をつれたお才が母親と三人で挨拶にきた。もう天童には帰らず、どこか知らない土地で三人で暮らすという。
「この子がかわいいから、この子を手放したくないから、私たち生まれた土地捨てたんです」明るい顔でそう告げて三人は旅立って行った。
「おい、いつまでも人の子を羨ましそうに見送ってないで今年こそ産めよ」 るいの耳元で東吾がそっと囁いた。

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