御宿かわせみの謎

その2


庄司家を切りもりしていたのは嘉助の女房? お吉の母親?


「恋娘」で、るいが12歳で母をなくした後の庄司家の家事は、嘉助の女房おくめがとりしきっていて5年前に亡くなったとあります。でも「湯の宿」(水郷からきた女)ではお吉の母お貞が、るいの母の生前から幼いお吉連れで奉公に上がっているのですよね。お吉は庄司家から16で嫁に行って1年ちょっとで亭主と死別して、庄司家へ出戻り、そこでお吉の母は庄司家の奉公をお吉に任せて箱根の息子の所へ行ったとなってます。と、言うことは庄司家には家事をまかなう奉公人が、嫁入り前のお吉を合わせて最低3人はいた、って事でしょうか...。いや、別に居ても良いんですけど、同心の家って、そんなにたくさん奥向きの奉公人がいるものなのでしょうか?るいが何歳の時に母が亡くなったかとも合わせて、幼いるいを助けて誰が家事を取り仕切ってたのか?仮におくめとお貞と一緒に奉公してたとして、どっちが「頭」だったのか?状況からして、おくめは「通い」ですよね、亭主(嘉助)と娘はいたはずだから....
この謎はほそももさんよりお知らせ頂きました。
麻生源右衛門はいくつ?


「江戸の子守唄」(御宿かわせみ・上)の中で麻生源右衛門の古希の祝いが行われている。とするとその時麻生源右衛門は70歳。しかし、その後「大川の河童」(鬼の面)の中で父の年を聞かれた七重さんが「五十八になります。」と答えている。あれれ、なんと12歳も若返っています!
かわせみ開始そうそう70歳ではあまり長生きは出来ませんよね。登場人物を亡くしたくない作者はなんと一気に12歳も若返させる策にでたのでしょう。おかげで源右衛門は未だ健在。
この謎はSHIKATAさんよりお知らせ頂きました。
東吾さんって案外遊んでる?


東吾は子供の頃からるいが好きで、「女房貰うならるいしかない」と一途に思う真面目な男の印象だが・・
るいと他人になる前の東吾は随分遊んでいたらしい。「鴉を飼う女」の中に、東吾が吉原の丁字屋の女主人よしのを訪ねるところがある。いっときよしのと話すのが楽しくて郭がよいをしたという。
作者も「東吾は案外遊んでる」と書いていた。確かにるいと他人でなくなってからも「鴉〜」で、下手人と目星をつけた男のことを探るため、その男の馴染みだった花魁と一夜をともにしている。結局その花魁は殺されて、東吾はるいに内緒の墓を建てたのである。「白萩屋敷の月」では、兄通之進を想う香月と兄の身代わりと知りながら狂おしい一夜をもっている。また、宗太郎と七重の婚礼の夜、身投げしようとしていた女を助け、成り行きとはいえその女と契り、麻太郎という子まで生まれていた。こう書いていると東吾は随分遊んでる。るいが知らないからいいようなものの、知っていたら大変なことに。何しろるいは焼き餅やき、一悶着、二悶着じゃすまなかったかも知れない。お吉や嘉助も心配していたが、東吾はもてすぎる、優しすぎる。どうも女の方が放っておかないらしい。そんなところがるいにしてみれば心配なところであるのだが。とはいえ東吾にとって恋女房はるい唯一人、子供の頃から好きで惚れきっている。るいはもちろん東吾一筋。これからもるいを泣かせるようなことだけはしないでほしい。だが、麻太郎のことを思うと、いつかるいに分かる日が来てしまうのだろうか・・と気懸かりである。
お吉には弟が二人いる?


「冬の月」にお吉の弟幸吉が出てくる。結城の在に養子に行き・・とある。お吉の弟は二人いるのだろうか。
武一というのが箱根の塔ノ沢に養子に行き、お吉の母お貞はそこで一緒に暮らしている。ということはお吉の弟は二人とも養子に出されたのだろうか・・
植木職人の治兵衛は独身?


「虫の音」で登場する植木職人の冶兵衛の説明として「前年、女房子を不慮の出来事で失った冶兵衛は、未だに独身のようである。」とありますが、奥さんはともかく赤ちゃんは東吾さんや方斎先生の活躍で助かったはずだったんじゃ??
この謎はAbeさんよりお知らせ頂きました。
嘉助の十手はどうなったのか?


「秋の蛍」で嘉助が長七の後をつけて、閻魔堂に行ったシーンで、「宿屋の番頭の悲しさで、長年、肌身離さなかった十手も、今はない。」とありますが、「秋の七福神」のかわせみでの立ち回りシーンで「嘉助の手には八丁堀をやめる時、歿なった旦那様のお形見ですからと、嘉助が泣いて上役に許しを求めて、とうとう手放さなかった十手が握られている。」とあります。いつ、嘉助の手元に十手が戻ったんでしょう?それとも、実は最初から持っていて、長七の後をつけた時は家に置きっぱなしで持ってこなかったと言う意味なんですかねえ?謎です。
この謎もAbeさんよりお知らせ頂きました。
この謎、実は作者もメモっていたのですが、Abe様からメールを頂きました。
「筆屋の女房」の中に、「古い樫の木刀は嘉助がまだ八丁堀のお手先だった時分、鍛錬のために愛用していたもので、御用の十手をお返し申してからの嘉助の唯一の武器であった」とあります。やはり十手はお返ししたようですね。---作者
嘉助の娘は?


「花冷え」の中で、るいは東吾と一緒に嘉助の娘の2人目のお産のために水天宮にお札を授かりに行く。嘉助の娘は日本橋の料理屋に嫁いでいるとあるが、確か嘉助の娘お民は一人娘で、神田飯田町の木綿問屋河内屋吉兵衛に嫁いでいるのでは・・
長助のお母さん?


「神かくし」の「六阿弥陀道しるべ」の中、長助が「近頃の女どもはなにかにつけて家から外へ出たがります。 死んだあっしのお袋なんぞは・・・」と言っているのですが、たしかこのお袋さん、ついこの間のオール読物の新作に出てきたはず。まさか本当のお母さんは早く死んでしまって、昔のことをよく覚えているのは「育ての母」ではないですよね?
この謎はまたまたSHIKATAさんよりお知らせ頂きました。(感謝)
義姉上の父上は?
「王子の滝」に東吾が「義姉上の実家から、舅殿が見舞いに来られた」というと源三郎が「頼母殿ですな」と答える場面があり、お目付本田頼母殿として登場している。これより先の「江戸の子守歌」では香苗の父親は西丸御留守居役を勤める麻生源右衛門とある。一体香苗・七重姉妹の父上はどなたなのでしょう?
この謎はZANさんよりお知らせ頂きました。

私の見つけた「かわせみの謎」はいかがでしたか?
みなさんも「これは何だ?」「どうなってるの?」という謎がありましたら、是非メールでお知らせ下さい。

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