御宿かわせみの謎

その1


一体二人は何歳なの?

 
るいは東吾より1つ年上。2人は幼なじみで、一緒に凧上げをしたり、東吾はるいを守っていじめっ子とけんかをしたり。子供時代の想い出は、「幼なじみ」の中でも2人で語られるがそれでは一体今の2人は何歳くらい?
かわせみの第1話に2人が他人でなくなって1年。今年るいは25になったはずだから・・とある。ということは2人が結ばれたのはるいが24、東吾が23の時。るいは町屋暮らしを始めるようになって少しふっくらし、快活になってむしろ若くなったようである。
物語はあれからずいぶん長い年月続いているが、相変わらず2人は私たち読者の中では若いまま。
だが、まず源三郎が結婚(源三郎祝言)し、続いて宗太郎(雪の夜ばなし)、そしてついに東吾とるいが結ばれる(祝言)。やがて畝家には源太郎(源太郎誕生)が、麻生には花世(麻生家の正月)が、そして待ちにまった東吾とるいの子「千春」(立春大吉)が誕生。
作者も書いているように「青春が確実に遠くなった」のを実感するのであった。
この謎についてZANさんより以下のようなメールを頂きました(メールより抜粋)


文中に出てまいります記述を基にして、正月を迎えるごとに年齢を重ねるとして「祝言」までの全タイトルの年表を作ってみたのですが、よく年齢が戻ってしまうためにどうしても確証が持てずもどかしい気がいたします。
せめて「祝言」の時の二人の年齢だけでもはっきりさせようと思いまして、以下のように思案してみました。
「祝言」の近くの話で年齢の手掛かりとなります話に「岸和田の姫」があります。それによりますと、老師のもとを訪ねるのは二年半ぶり、つまり「師走の客」より二年半が経っているということになります。
「師走の客」当時のおるい様の年齢が25歳であり、東吾殿と畝殿が老師のもとを訪ねたのが秋のことですので、28歳であると考えられます。次に「春の寺」におきまして「二月のなかば」という語がございますので29歳になったと考えます。そして更に、「麻生家の正月」でまた正月がまいりまして、この年に二人が祝言をあげたことを考えますと、おるい様30歳、東吾殿29歳の時であったと考えられます。一応文中の年齢は数え年であると考えております。
東吾に隠し子?


事実は不明だか、どうも東吾には6つになる子供がいるらしい。といってもはっきり東吾の子と名乗った訳でもなく、真実を知るのは母親のみ。
天野宗太郎と麻生七重の婚礼の夜、思わぬことから訳ありの娘と契り、のちにその娘が七重の友人の清水琴江と知ったが、既に柳河藩士大村主馬に嫁いだ後であった。
3年後琴江には3歳になる麻太郎という男子がいることを知り、東吾はひょっとして麻太郎が自分の子ではないかと思い至る(菜の花月夜)。
どうにも思い悩んだ東吾は宗太郎にだけ事実を打明け、麻太郎が自分の子ではないかと心の内を明かす。そして更に3年。東吾は偶然出会った蝉取りの少年に麻太郎の面影を重ねていた。そしてその少年こそ麻太郎本人と分かり、東吾は何としても自分の手元に引き取りたいと考える(虹のおもかげ)。
宗太郎を通して今は未亡人となった大村琴江に引き取りたい旨申し入れるが、麻太郎は大村殿の子、大村殿亡き後は麻太郎が唯一心の支え。しかし、いつか時が来たら麻太郎の力になって頂きたい」とはっきり断られる。結局麻太郎が東吾の子であるかは謎のままであるが、るいの知らない東吾の秘密である。
なお、その後母を失った大村麻太郎は神林家に引き取られ通之進・香苗夫婦の養子となった。
るいの父は与力か同心か?


かわせみの第1話「花冷え」の中に、庄司家は与力の家柄とある。しかしその後は同心と出ているが、これは何故でしょう?神林家は与力の中でも筆頭与力の家柄。
るいの父源右衛門は貨幣改鋳に係わる不正の探索を行っていたが、反対に不正を働いていた幕閣に計られ、失意のうちに亡くなった。
るいはその父の憤りを少しでも分かって欲しいと同心の株を御上にお返しして武家を離れた。
父が亡くなった時普通なら養子を迎えるなりして同心職を継ぐのだが、もう既に心に東吾の存在があったので、町屋暮らしを始めた。
るいとしては東吾が兄の後を継いで与力になった場合、不遇のうちに世を去った父親の娘を嫁に貰っては東吾の出世にもさわると考えたのである。そんなこともあって、東吾が兄と供に長崎に行っている間に八丁堀を去った。
天野宗一郎、 宗太郎?


「美男の医者」で寒井千種と名乗って颯爽と登場した御典医天野宗伯の子息天野宗太郎だが、実は初登場の時は天野宗一郎となっていた。
その後も「川越から来た女」「神霊師・於とね」と宗一郎で登場し、「岸和田の姫」で天野宗太郎と変わっている。(なお、文庫版では初登場の時から、既に天野宗太郎となっている。)
ちなみに宗太郎の異母弟は宗二郎、宗三郎、ともに弟想い兄想いの仲のいい3人兄弟である。
次男の宗二郎が天野家を継ぎ、三男の宗三郎が母方の実家今大路家を継ぐことになっている。
麻生源右衛門は下戸?


「江戸の子守唄」で麻生源右衛門の古希の祝いの場面で、「酒を嗜まない源右衛門のために料理は特に吟味されていた」とある。しかし、その後東吾は兄通之進の使いで麻生家に「加賀の銘酒」を何度か届けている。
「子はかすがい」では、源右衛門を老いても斗酒なお辞せずを豪語する老人と書いてある。いったい源右衛門は下戸だったのか、それとも大酒のみだったのか・・
ちなみに通之進は大の甘いもの好き。東吾はよく兄のために評判の菓子を買って帰った。またかわせみにもまめに饅頭だの団子を持って行った。一度など桔梗屋の団子を4日連続で買いに行き、4日目にとうとう桔梗屋の主人から「ご贔屓にして頂きまして、本日はお代は頂きません。今後とも桔梗屋の団子を末永く可愛がって下さい。」と挨拶されてしまう。
長助は何度「蕎麦粉」を届けに来たか?


深川長寿庵の長助は、畝源三郎から手札を頂戴する人のいい岡っ引きだが、よくかわせみに蕎麦粉を届けにくる。「信州からよい蕎麦粉が届きましたので・・」といって、重い荷を担いでやってくるのだが、実はそれを口実に東吾に相談を持ちかけることもしばしば。もっとも東吾も兄の通之進も蕎麦粉で作る蕎麦がきが大好物。人のいい長助はそのためにせっせせっせと蕎麦粉を届けにやってくるのである。また長助だが、よくぼんのくぼに手をやるのが癖なのか・・毎話の中で一度はぼんのくぼに手がいくのである。
長助の倅長太郎の嫁の名は?


長助には長太郎という息子がいて、御用で家をあけることの多い長助に替わって店を切り盛りしている。その長太郎は神田の蕎麦屋に奉公していて、年季が明けた年におはつという娘と夫婦になった。その年の暮れに女の子が産まれ、二人目に男の子が誕生している。(春の摘み草)
ところが、最新話の「長助の女房」では、長太郎の嫁の名はおさと。これはどうしたことでしょう? またこの話では長助の女房おえいさんは後妻と判明。
この謎はSHIKATAさんよりお知らせ頂きました。
長助の女房は?


長助は初登場(花冷え)の時、五十がらみの温厚な男だが目つきに鋭いものがあると紹介されている。
若い時分に女房をなくしてずっとやもめを通したとかで茶を入れる手つきも堂にいっているとある。だがその5話後の「玉屋の紅」では、東吾と源三郎が事件現場で染みついた血の匂いを流すため長助の女房がやっている湯屋に行ったと出てくる。さらに2話後の「お役者松」では、長寿庵に寄った東吾と源三郎に長助の古女房が冷たい麦湯を運んでくる。
「長助の女房」で名はおえいと判明。亭主が捕り物に走り回って留守がちの店を倅夫婦とともに切り盛りするしっかり者の女房である。それにしても長助はいったいいつおえいさんを後添えにもらったんでしょうね?
東吾とるいが他人でなくなったのは?


「江戸の子守歌」には、2年前の新年に友人と深川で遊んだ帰り、酔って「かわせみ」に行ったのが最初とある。しかしその後の「七夕の客」では、るいが「かわせみ」を開業した半年後の正月、兄の公務出張について長崎に行っていた東吾が帰ってきて、るいのことを聞き「かわせみ」にとんで来た夜に他人でなくなったとある。
どちらにしても二人が他人でなくなったのは正月のこと。

私の見つけた「かわせみの謎」はいかがでしたか?
みなさんも「これは何だ?」「どうなってるの?」という謎がありましたら、是非メールでお知らせ下さい。

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