ここでは、毎月厳選してその月を代表する物語を紹介。
今月の物語は「源三郎祝言」。

源三郎祝言
東吾が方月館の稽古を終えて、「かわせみ」に帰って来た時、るいは喪服で出かけるところであった。古くからの知人で、御蔵前片町の札差江原屋の主人が歿り、その通夜に行くところだという。
るいはよほど慌てていたのか、江原屋の主人がなくなった訳を言わなかったが、あとで嘉助から聞いたところでは、店先での蔵宿師と対談方の争いを止めに入って、斬られてしまったらしい。
るいは畝源三郎と一緒に帰ってきた。源三郎の蔵宿も江原屋であった。源三郎は江原屋とはかなり親しくしていたようで、主人と碁を囲んだり、やっかいな事は相談を受けたりしていたという。江原屋には二十一になるお千絵という一人娘がいた。当時としてはやや嫁ぎ遅れだが、まだ養子も決まっていなかった。るいがいうには、お千絵はかなり背が高いという。東吾もるいもそんなことは関係ないというものの、縁談には差し障りがあるようであった。父親の通夜では、気丈に客の対応をしていたお千絵だが、町廻りの途中で急を聞いて駆けつけた源三郎をみた時だけは、ほろほろと涙をみせたという。

翌日、兄に呼ばれた東吾は源三郎に縁談があるのを知っているかと訊かれる。
何も訊かされていなかった東吾はあっけにとられるが、兄から源三郎の胸の内を聞いてくれと頼まれる。相手は、新番方組頭をつとめる笠原長左衛門の娘いねといって、新番方小町といわれるほどの器量よしだという。
器量のよいのはいいが、あまり世間知らずでは源三郎の重荷になるのではと香苗も東吾も心配した。
兄から頼まれたことでもあり、東吾は組屋敷に源三郎を訪ねるが、江原屋の葬式から戻った源三郎は、どうもうかない顔である。
さっそく東吾が縁談の話を切り出すと、源三郎はあまりうれしそうな顔もせず、
「一度は妻をめとらねばなりませんし・・・・・・」という。
話はとんとん拍子に進み、その月の終りに祝言の運びとなった。

東吾はどうも源三郎の様子に釈然としないものを感じながらも、「かわせみ」で源三郎の縁談が決まったことを話した。ちょうどその日は江原屋の千絵が香典返しの挨拶に来ており、紹介された東吾は娘の背の高さに驚いた。るいは早速源三郎への祝い物をあれこれと考えていたが、東吾は畝家は女手が足りないから、手伝いに行ってやってくれという。話を聞いていたお千絵も、当日は是非自分も手伝いに参上するという。
やがて、祝言当日。源三郎から手札を貰っている長助はじめ岡っ引連中が、数日前から屋敷の内外を塵一つなく掃き清め、そこへおびただしい数の花嫁道具が運び込まれた。
万事はるいが采配を振るい、かわせみの板前が心を込めて祝膳の仕出しをした。
東吾も早くから紋服でやってきたが、これといってすることもない。源三郎はと探してみると、上下を着せられ、裏の若党の部屋に一人つくねんと座っている。東吾のみるところ、源三郎はどこか屈託した様子である。
「大丈夫か」東吾が声を掛けると
「どうも居場所がありませんので・・・・・・」と元気がない。
そこへ、お吉が顔を出した。通之進夫婦がやって来たという。
本来、同心の婚礼に与力が顔を出すというのは例のないことなので、源三郎は恐縮して挨拶している。
「東吾、あの上背のある娘は誰だ」通之進が訊いた。
「御蔵前片町の札差江原屋の娘で、千絵と申す者です」
「源三郎は江原屋とは親しかったそうだな」通之進はよく知っていた。
東吾はなぜ、兄が千絵に目をとめたのか不思議に思ったが、背の高さが目立ったせいかとも思う。
やがて、花嫁が到着する刻限となり、提灯にも灯が入り、花嫁の到着を待つばかりとなった。しかし刻限をかなり過ぎても一向に到着する気配もなく、先触れも来ない。心配になった東吾は、庭から裏へ廻ってみた。すかさず長助が走って来て、どうも様子がおかしいという。
あまり花嫁の到着が遅いので、若い者を様子を見にやったところ、本所の笠原家は表門も閉まっており、邸内もひっそりして到底婚礼の夜とは思えないという。それが本当なら笠原家に何かあったとしか思えない。
そのうちに裏門に慌ただしく駕籠がついた。中からころがるように下りたのは、笠原長左衛門であった。
東吾は目立たぬように仲人の本多仙右衛門を呼びに行った。
本多仙右衛門がやって来ると、笠原長左衛門はよろよろと大地に膝を突いた。
「申しわけござらぬ。娘、いねが・・・・・・かけおちを致しました・・・・・・」
それを聞いた東吾は、そっとその場を離れた。源三郎になんと話したものか・・・・・・
「東吾」暗闇からいきなり兄の声がした。
東吾が笠原長左衛門がやってきた話をすると、まるで通之進は予期していたように驚いた風もない。
そこへ本多仙右衛門と、笠原長左衛門がやってきた。
笠原長右衛門は、必ず娘いねを探し出し、畝殿にいかようにも成敗して頂くという。
通之進は凛として、
「事を荒立てては、両家へ恥の上塗り。また花嫁失踪を伝えれば、畝家の不名誉となろう。さればこのまま仮嫁を仕立てて祝言を行い、後日談合するが上策かと存ずるが・・・・・・」
通之進は、東吾に江原屋の千絵を連れて来るようにいう。
さっそく千絵を連れてくると、通之進は、訳を話し、源三郎のために仮嫁になってくれぬかと頼む。
頭をたれて話を聞いていた千絵であったが、返事は速やかであった。
「畝様のお役に立ちますことなら、喜んで・・・・・・」
東吾は早速千絵をつれて、香苗ともども神林の屋敷に戻った。
通之進は笠原長左衛門に向かって、
「ご息女と畝源三郎との縁組は、なかったことと致す。ご異存あるまいな」と言い渡した。

それからは迅速であった。
香苗の嫁入りのときの衣装を千絵に着せ、駕籠脇に東吾と神林家の用人、女中達がつく。花嫁行列はつつがなく、畝家の門を入った。
本多仙右衛門の妻女が、花嫁の手を引いて金屏風の前の源三郎の向かいに連れて行く。
花嫁が部屋に入ってきた時から、源三郎にはその花嫁が誰か分かっていた。
三三九度が始まった。花嫁の手がふるえ、涙が幾筋も頬を伝う。
源三郎の手もふるえていた。さっきまでの屈託した様子がなくなり、かわりに何か思いつめたような激しい雰囲気が源三郎を包んでいる。
仲人が高砂を謡い、祝言は夜更けに終えた。
「東吾、帰るぞ」
「お千絵をおいて、帰るのですか」東吾は心配したが、通之進はさっさと外に出ている。
翌朝、通之進の出仕前に、源三郎が千絵と一緒に挨拶に来た。改めて、千絵を正式に妻にしたいという。東吾は仰天した。
通之進はそうであろうと、二人を眺めて笑っている。奥から香苗が袱紗を持って来た。
「畝家の荷物を笠原がひきとりに参るまで、かわせみで水入らずで過ごすがよかろう」
二人は、何度も礼を述べていそいそと帰って行った。
何がなんだか分からない東吾は、兄に訊いた。
「あの二人は最初から好き合っていたのですか」
「源三郎に女が口説けると思うか。まして相手は札差の一人娘、嫁に欲しいと言えば、源三郎が侍を捨てて養子になる覚悟をせねばなるまい」
「では、源さんは失恋しかけていたのですか」
好きな女と夫婦になれないのであれば、誰を妻にしても同じだと、笠原長左衛門の娘と祝言をあげるつもりになった。たまたま笠原の娘がかけおちをしたからいいようなものの、もしこのまま祝言をあげていたら、一生の恋を誰にも言わず、自分の胸に封じ込めることになった。
通之進は、源三郎の縁談の話を聞いた時、相手の娘についてひそかに調べてみた。すると、娘には親に内緒の恋人がいた。没落した御家人の三男坊で、食うために蔵宿師をやっているような男だという。
そんな男に笠原が娘を嫁にやるとは思えず、二人がかけおちでもするのではと危惧した通之進は、呼ばれもしないのに、源三郎の祝言にやってきたのであった。

その夜、屋敷を抜け出して「かわせみ」に行ってみると、
「畝様御夫婦は、もうお休みですのでお邪魔なさいませんように・・・・・・」と早速るいに釘を指された。
「るいは、あの二人が好き合っているのを知っていたのか」
「それはもう・・・・・・」
うすうす気がついてはいたが、はっきりわかったのは祝言の日であった。
お千絵は隠れて涙を拭いていたし、源三郎はそんな千絵を眺めて苦悩していた。
「先程、畝様がおっしゃいましたの。花嫁が到着する前に、お千絵さまを連れてかけおちをしようかと思っていたと・・・・・・」
「あいつ、底抜けの馬鹿だな」
きっと、いい御夫婦になりますよ、とるいがささやいた。
「かわせみ」の夜はどこもひっそりと更けていった。

| Home | Back |