祭日〜そして、詩になるとき あとがきより
こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
「祭日」をお届けします。
私にとってこの一年は、どこか風を感じるかのようでした。
が、そう言いながらも詩の方はというと、いつもと比べると
詩がやってくるとき、が少なかったような気もします。
それでも何とかこうしてまとめることが出来ました。
おかげさまです。
さて、世間では新型インフルエンザ、政権交代といった言葉が
飛び交う中、私はというと映画「グラン・トリノ」に感動し、
マーティン・ヘイズ氏の美しいフィドルに魅了され、
有川浩氏の袋開けたてのおかきのような、ぱりっとした文章に
拍手をおくっていました。
そして、年が明けてこの二月初めには朝青龍が引退しましたが、
引退と言えば名鉄の一番の古株の車両も引退するそうです。
私はあの橙と茶色のシートと、昔の特急の名残で座席番号が残っているのが
好きでした。特に、出入り口にある横二人掛けのソファ型。
少しゆったりめに作ってある所が気に入っていていつもそこを選んで座っていました。
なので、もう乗れなくなるかと思うとやっぱり寂しいですね。
それから、ごく最近では松村景文という日本画家の画集を見る機会があり、
そこに描かれたどの鳥も眼が優しく、繊細で思わずの一目惚れ。
そして、世阿弥。現代語訳を読んだのですが、「風姿花伝」と
それ以上に素晴らしいのが「花鏡」。芸に対する心構えが
事細かに記されていて、読んでいるこちらまで気合いがぴしっと入りました。
最後に、現在公開中の「インビクタス」。イーストウッド監督が
南アフリカのマンデラ大統領を描いた映画なのですがその映画の題名こそが
実はマンデラ氏が獄中ずっと支えにしてきた一偏の詩のタイトルそのものだったのです。
それを知った時!私は胸が熱くなりました。ただの言葉だけど、その言葉の、
詩の持つ、しなやかでやわらかな強さというものを改めて確認せずにはいられませんでした。
詩の力を信じる一人として。
詩になるとき。ただの言葉が詩になろうとするとき。
私もまたこの先何度でも、その素晴らしい瞬間をずっと共有していけたらと願っています。
<2010.03.15 vol.116>