11月に入ると来年のカレンダーが一斉に売り出され、いよいよ今年も終わりに近づいてきたことに改めて気付かされます。また、おせち料理の予約が始まり、年賀はがきも発売されて、書店の店頭には年賀状の図案の本が大量に並びます。そろそろ年越しの準備に入らなければと思うのもこの時期です。
そこで、今回は「年賀状ノスゝメ」です。
調べてみると、年賀状の元旦の配達枚数は、2000年の27億5千万枚をピークに減り続け、今年(2007年)は、19億2千万枚と記録を取り始めて以来初めて20億枚を切ったそうです。ピークに比べれば30%以上も減ったことになります。「元旦の配達枚数」というデータですから、これだけで単純な議論は難しいところもありますが、電子メールや携帯電話に押されるなどして年賀状を送り合う風習が少しずつ廃れてきていることは間違いないように思います。
私はといえば、結婚したのをきっかけに、以来30年、何とか毎年年賀状を送り続けてきました。何かと忙しい12月の後半に作業の時期が重なるため、ほとんど徹夜で宛名を書いた思い出もたくさんあります。ついに年内に投函が間に合わず、紅白歌合戦を聞きながら最後の仕上げをしたこともありました。もう今年は、年賀状を作るのをやめようかと思ったことも何度かあります。
それでも、今となっては、やめないで良かったとつくづく思っています。年賀状は、一度途絶えてしまうと、なかなか復活させるのは難しいので、もし途中でギブアップしていたら、かなりの方々とは音信が途絶えてしまったでしょう。お正月に、人生それぞれの時期に色々な形でお付き合いのあった方々から頂いた年賀状を見ていると、大げさに言えば人生の集積という気がします。そんな大層なことを言わなくても、年賀状を交換している方々とのふとしたきっかけから、昔の仲間達との付き合いが再開したり、また恩師との手紙のやりとりのきっかけができたりします。
家庭教師を始めたときには小学生だった女の子が、いつの間にか三人の子供のお母さんになったという楽しい知らせも、お世話になった下宿のおばさんが亡くなったという悲しい知らせも、年賀状を通じてのことでした。もちろん「虚礼」はいけませんが、たった1年に1回の年賀状の交換が、随分人生を豊かにしてくれるような気がします。
最後に、年賀状に関する私なりの工夫を二つご紹介します。
一つは、家族の近況を一人1行の文章にして毎年書き込んでいることです。いささか気恥ずかしいですが、これを読むのを楽しみにしていただいている方々もありますし、また、ずっと読み返してみると、ささやかな我が家の歴史が思い浮かんだりもします。
もう一つは、自分なりの住所データベースを作っていることです。いまは、市販の良いソフトがたくさんありますが、私が初めてパソコン(Macintoshでした)を買った15年ほど前には、余り良いソフトがなかったこともあり、自分で住所データベースシステムを作りました。(Macなので「FileMaker」を使いました。いまでも、Windows上でこれを動かしています。)何とかメンテを続けているので、15年前からの年賀状の授受の記録を始め、折々の出来事が記録されています。このおかげで年賀状作りの機械化も進み、最近は、デザインさえ決まれば後はほとんどパソコン任せになりました。従って、最後に1枚1枚にコメントを書くのは、どちらかといえば楽しみな作業になっています。
皆さんも、専門家の方々ばかりですので、それぞれ自分なりのシステムを作られては如何でしょうか。
これから、年の瀬に向けて何かと気ぜわしい時期が続きますが、今年も残り1ヶ月余、公私ともきちんと締めくくることができるよう、お互い頑張りましょう。
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