モーツァルトは、1756年に生まれ、1791年に亡くなりました。すなわち、来年2006年が生誕250周年になります。
たくさんの大作曲家の中で、モーツァルトというのは全く別格の人気を誇っておりまして、その節目の年は、毎回大変な騒ぎになります。私には生誕200年(1956年)の記憶はさすがにありませんが、死後200年(1991年)の大変な騒ぎは今でもよく覚えています。
ということで、2006年は、音楽ファンの間では、モーツァルトに明け暮れる一年になると予想されます。
この、時代を超え場所を越えて愛されるモーツァルトを作り出したのが「教育」と「旅」でした。
モーツァルトは早熟の天才で、3歳の時ピアノを弾き、5歳で作曲を始め、8歳で最初の交響曲を書き上げています。しかし、いくら天才でも自然にそうなるはずはなく、我が子の才能を見抜いた父レオポルト(自身も作曲家で、「おもちゃのシンフォニー」が有名です)の徹底した天才教育のたまものです。モーツァルト3歳の時に、既に、父親から「読み・書き・そろばん」といった基礎教育を受け始めると共に、父が作曲した練習曲でピアノの練習を始めています。以降、徹底的なマン・ツー・マンの教育を受けている記録が数々の楽譜などに残されています。
こうした父親の徹底した「教育」が、モーツァルトの基礎を作りました。
また、その生涯の「旅」も大変なものでした。「モーツァルト年譜」という書物によれば、35年(のべ13,097日)の生涯のうち、旅をしていた日数は3,720日で、一生の約1/3は旅の空の下でした。物心ついてからで考えれば、実に人生の半分は旅をしていたようなものです。その移動距離も大変なもので、拠点としたザルツブルク、ウィーンの度々の往復に加えて、イタリアに3回、プラハに3回、パリに2回、ロンドン、フランクフルト、ベルリン等々17回もの長距離旅行に出かけています。当時は、たいていの人は生まれた地で一生を過ごし、また、移動手段としては馬車(モーツァルト家は自家用馬車持っていました)しかなかったという事情を考えれば、これはまさに驚異的です。モーツァルト自身も、22歳の時に父親に宛てた手紙で「旅をしない人は、おそらくはつまらない人間です。」と書いています。
そして、その旅の過程で、故郷オーストリアに加えて、イタリア、フランス、ドイツ、チェコ等当時を代表する音楽文化圏に触れ、全てを自分のものとしたのです。極端に言えば、各国の民族音楽がモーツァルトによって昇華され、「(西洋)音楽」になったと言っても過言ではないと思います。
いつもモーツァルトを聴くと考えるのが、この「天才」と「旅」と「教育」の関係についてです。少し言葉を変えて言えば、「生まれ持ったもの」と「自分の目と耳で見聞きしたもの」と「他人から与えられたもの」ということでしょうか。このいずれが欠けても、モーツァルトの音楽は生まれなかったような気がします。
我々の才能はモーツァルトには比べるべくもありませんが、それでも、自分の持てるものを発揮するためには、たゆまず経験を重ねると共に、いつまでも、勉強し続ける必要があると思います。常に学び、常に見て、聞いて、考えること。当たり前のことではありますが、50才をいくつか超えて、最近、特にそう感じます。
来年のモーツァルトイヤーに向けて、モーツァルトがお好きな方は勿論、そうでない方も、是非一度彼の音楽に耳を傾けてください。
下記は、モーツァルト生誕250周年の公式サイトです。興味のある方は是非。
http://mozart2006.at/
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