時計を忘れて森へいこう/遠い約束
光原 百合 東京創元社 2003年1月4日読了 ISBN 4488012205/4488432018



これで、彼女の手に入る作品(ミステリー)は読み終えたことになる。2冊とも期待通り。彼女は、「もっとも好きな作家達」の一人に入ることになると思う。

「時計を忘れて・・・」は、謎を解くという意味では、ミステリーには違いないが、「心の謎解き」という趣向がメインで、とても良くできている。真理と真実の狭間で、人は生きている。何が正しくて、何が間違いかは、その人の心のあり方に依存するというメッセージだと思う。童話作家のほうが本職ということらしいが、なるほどと思う。

さらに、本書は、(古き良き時代の)清里、特に清泉寮とキープがモデルになっているので、そのあたりに土地勘がある小生には、その森と谷の姿が、手に取るように分かるので、なおさら、楽しい。(最近の清里はちょっと・・・であるが。)そして、作者の自然を見る目は、実に優しい。これも本書の大きな魅力。(もちろん、人を見る目の優しさも、ひけをとらない。)
本書に登場する童話作家曰く(この人は、作者の分身だろう。)物語を書くためには、三つの方法があって、一つは「伝えたいメッセージ」、一つは「伝えたいシーン」、一つは、「伝えたい人(キャラクター)」だそうである。
なるほどと思う。
才能に恵まれないのは、いやというほど承知しているが、それでも、僕もいずれこのうちの一つを描いてみたいと思ってしまう。


「遠い約束」は、「好きなもののために意地を張っても良いが、好きなものに意地を張ってはいけない。」というわかりやすいメッセージがテーマである。この当たり前すぎるメッセージを語って、この本は見事であると思う。

作者は大阪大学の大学院まで出ている才媛らしい。従って、大阪池田のキャンパスの雰囲気が大変よく出ていると思うが、でも、全く嫌みはない。

ただ、この文庫本の解説にはいささか閉口した。(何を勘違いしているのだろうか?解説というのは自己主張の場とでも思っているのだろうか?)こういうものは、やめてほしいと思う。

本人曰く、大変な遅筆とのことなので、次の作品にはなかなか出会えないかもしれないが、早く次作を書いて頂きたいものである。

ねじの回転―FEBRUARY MOMENT
恩田 陸 集英社 2003年1月18日読了 ISBN 4087745856



才気あふれる彼女らしい作。

誰しも、歴史の「もし」を作品にしてみたくなる。そして、二・二六事件は、「もし・・・だったら」を一番考えてみたい歴史上の事件の一つだろう。
歴史における偶然と必然。ちょっとした偶然が、世界を分岐させていく。今の世界は、その無限の選択肢の中の中のただ一つの枝にすぎない。この結果生まれるパラレルワールド。その出口と入口をつなぐとどうなるか。無限ループのパラレルワールド・・・。
もちろんそんな風に物語は極端な拡散はしないが、といって収束もしない。

これはこれで面白いが、個人的には、彼女の魅力は、ミステリーの方が素直に出るような気がするのだが・・・。

テレビの黄金時代
小林 信彦 文芸春秋 2003年1月24日読了 ISBN 416359020X



この本は、テレビの黄金時代の正史を目指すという心意気か。本書の内容は、著書曰く「すべて事実に基づく」と。

かつて、「テレビは、イグアノドンの卵だ」と、その「黄金時代」の幕開けのある番組で自ら分析したという。この卵は、いずれ孵る。孵ったら大変だというわかりやすい寓意だったらしい。(もう一つの卵は、「原子力」と。)日テレの番組だったという。

まさに今、テレビは孵化したイグアノドン。視聴者の脳みそを食い荒らすのが得意な怪獣だ。

この恐ろしいメディアに関して、きちんとした議論がなされないのはなぜか、きちんとした歴史が語られないのはなぜか、というのが筆者の気持ちだろう。
かつて、「見るに耐える」コンテンツを流していた時代もあったのだと、文化を担っていた時代もあったのだと、著者は言う。それが「黄金時代」である。

今となっては、こんなメディアはなくした方が良いのではないかとときにに思うが、多分、それは議論の順序が逆だろう。テレビがこうなってしまったた本当の原因は、きっと他にある。

いずれにせよ、その黄金時代に深く関わった人物の同時代史として、本書は極めて価値が高いと思う。

おわらない夏
小沢 征良 集英社 2003年1月28日読了 ISBN 4087746224



言わずと知れた、小沢征爾の娘さんの著書。(征良さんには申し訳ないが、親子初共演というテレビを見て、彼女のあまりの可愛さに思わず買ってしまった。)

毎年夏を過ごした「タングルウッドの思い出の記」。当然、「小沢征爾ボストンを離れる」の記でもある。

立派な「お嬢様芸」である。読み手は、「パパ」というのが小沢征爾であることを知っているから一生懸命読む。
しかし、また、本書は、単なるお嬢様芸を遙かに越えていることも事実である。所々冗長だなと思うところもある。でも、思わず引き込まれてしまうところは、その何倍もある。そして、彼女の想いに同化し、ともに喜び悲しませる筆の力を確かに彼女は持っている。

小沢征爾ファミリーの物語としての素晴らしい楽しさに、筆の力が加わって、読んで全く損のない本になっていると想う。

ボクの音楽武者修行
小沢 征爾 新潮社 2003年1月30日読了 ISBN 4101228019



征良さんの本を先に読んで、次は親父さんというのは順番が逆だ。お父上には誠に申し訳ない次第。前から読まなければ読まなければともっていた本を、やっと読んだ。

思っていた以上に面白い。日本について、外国について、そして音楽について・・・。当たり前といえば当たり前だが、素晴らしい感性。
そして、家族への思いやり、人間に対する暖かさ。今更ながら、小沢征爾の芸術は、(技術的な面は勿論、加えて)素晴らしい人間性が支えているという当たり前のことを痛感した。指揮者に限らず、何かをなす人というのは、やはり人間的魅力に支えられているのだと、最近よく思うようになった。

小沢が活躍を始めたのは、60年代のはじめで、僕は、まだクラシック音楽になじんでいなかったので、ブザンソンやタングルウッドのコンクールに勝った時のことを知らない。また、音楽になじみ始めた時に、サンフランシスコ響を振っていたので、こんなに偉い人とは、実は思わなかった。
さらに、その後ずっと、ボストンだったので、恥ずかしながら、きちんと小沢を聞かなかった。カラヤンの後継のベルリンフィルの音楽監督候補に彼の名前が挙がった時も、「ふーん」と思っていたくらいだ。サイトウキネンを聞くようになってから、僕も、やっと小沢征爾の真価に少し気がついたように思う。(だから、ウィーンの音楽監督になった時は、もちろん驚いたが、当然とも思った。)

いつか、この本の「その後」を書いてもらえることを楽しみにしている。

贈答のうた
竹西 寛子 講談社 2003年2月9日読了 ISBN 4062115212



素晴らしい本である。
久しぶりに竹西寛子さんの本を読んだ。久しぶりに、日本の古典文学に関する本を読んだ。
この間、なかなかこういうものを読む機会がなかったことが少し悔やまれる。(たまたま紀伊國屋の店頭で、この本を目にして、ふと手に取ってみて良かったと思う。)

長文の引用になるが、気に入ったところを少し抜き書いてみたい。(『』の中が引用)

まず、「花はなほ春をもわくや時知らぬ身のみものうきころのながめを」の現代語訳。
『春を春ともおぼえず、自分ひとりの心憂さにこもって、物思いに沈んでいる私なのに、花はそれでも春を知っていて咲くのですね。優しいお見舞いをありがとう。』
贈答歌であるから、いずれもがとびきりの名歌というわけではない。しかし、この時代の最も重要なコミュニケーションの手段として、また、この階層の人々にとっては最も重要な「男女間の関係」をつなぐものとして、また、最も重要な教養の表現として、和歌の位置の重さは、我々の想像に余る。その歌の力と位置づけを、これほどまでに正確に著すことができる人は、少ないと思う。上記の訳も、もちろん、特に変わったところはない。それでも、直接は読み込まれていない、最後の一文がなければ、この歌の大意は伝わらないのだ。

もう一つ。
「世の常のことともさらに思ほえず初めてものを思う朝は」の訳。
『世の常の恋であるならば、とうてい今の気持ちではいられないと思います。後朝の別れの記憶は、わたくしには少なくはございません。よくご存じでもございましょう。わたくしはそのような女でございました。けれども今朝のようなもの思いははじめてなのでございます。信じていただけるでしょうか、わたくしは、はじめて恋をいたしました。』
言わずと知れた和泉式部の歌。複雑な経過と複雑な出会いのあとに・・・。

次は人物評。
藤原良経について。
『家柄の良さ、学びの深さは言うまでもないが、俊成や慈円によく支えられる一方で、定家や寂蓮ら、詩歌の本道を歩もうとする人をよく支援した。騒がず、走らず、己を持していながら我がことのみに即かず、繊細ではあっても神経質ではなく、文化というものの明暗によく通じた一級の文化人であったと思う。』
最後は藤原俊成評の一部。
『和歌が文学としての隆盛を極めた時代を生きた俊成の、歌合における数々の判詞が、水準の高い文学批評の言葉として、今日までいかに顧み、伝えられているか、そのことにも彼の存在の重さははかられよう。
よく学び、よく詠み、よく考え、よく教えた人であった。新古今集の歌びとの多くは彼の影響下にある。』
仕事柄、時々人物評価を書く身として、このように素晴らしい言葉で、その人を表すことができればと心から思う。

詰まるところ、言葉の力のすばらしさである。(昔の日本語も竹西さんの文章も)
西洋はまだ大半が野蛮国だった10世紀から、11世紀にかけてこのような素晴らしい言葉の文化を持つ国に生まれた幸せを生かさなければならない。

街の灯
北村 薫 文芸春秋 2003年2月11日読了 ISBN 4163215700



仕事で四国往復の間に読了。
私の大好きな北村薫さんの新シリーズだから、何の文句もない。

女子学習院のお姫様達の時代のおとぎ話である。例によって、目の覚めるような女性キャラクターが登場する。この人の本は、凛とした透明感のある筋立て、細部の完成度、そしてユーモアが魅力である。

私は、北村薫の流派は皆好きである。
まだ続くようなので、早く次を読んでみたい。(二・二六事件で完結するらしい。)

フライ、ダディ、フライ
金城  一紀 講談社 2003年2月13日読了 ISBN 4062116995



文句なしに面白いとは思うのだが、やはり、前作「GO」があまりに良くできているので、ちょっと、比べるとという感じはある。

でも、茲許流行の「家庭小説」(?)のようでもあるが、さらに、かなり突き抜けていて、痛快な大人のおとぎ話の風合いは出ている。
もちろん、彼のテーマである虐げられた人々へのまなざしは、目立ちすぎない程度にきちんと書き込まれている。なんと言っても、若い方の主人公のスーパーキャラクターが生きている。(中年主人公の奥さんのキャラクターも好きだ。)

あっという間に読めてしまって、ちょっと物足らない。せっかく楽しい本なのだから、もう少しふくらませても良かったのではないかと思ったりもする・・・。

百人一酒
俵 万智 文芸春秋 2003年2月18日読了 ISBN 4163593403



酒に関する蘊蓄の書。
もちろん面白い。この手の蘊蓄ものは、いずれにせよ「嫌み」なものになるのだが、この本は、いろいろな意味で「嫌み」のレベルはかなり洗練されている。
ただ、「万智ちゃんを先生とよぶ子らがいて神奈川県立橋本高校」のイメージを背負っているので、読者としては、そのギャップにちょっと対応しきれない感じ残る。「普通の庶民だと思っていたのに・・・」、「可憐な女性だと思っていたのに・・・」という思いは、披瀝される酒への蘊蓄によってかなり壊される。もっとも、それは、こちらの勝手な思いこみで、彼女が酒好きのいい女に成長することは、あって当然のことなのだが、理屈で分かっていても、気持ちがちょっとめげる。(私だけかもしれないが。)
勝手な、ファンの心理ではある。

その点を抜いて読めば、この本は間違いなく面白い。「この本を読んで、お酒が飲みたいと思っていただければ本望です。」とは、著者の言葉であるが、その点については、極めて強烈な効果があることは間違いない。

虹の家のアリス
加納 朋子 文芸春秋 2003年2月20日読了 ISBN 4163213805



「日常の謎」派らしい作品。僕の大好きな作家の、得意分野の作品だから、面白くないはずはない。

欲をいえば、加納朋子は、「ガラスの麒麟」や「ななつの子」のように、もう一ひねりする作品の方が密度が高くなるような気がする。
結構厚い本を、あっという間に読み終えてしまったのだから、こんな感想を書いていたら罰が当たるとは思うが、愛するが故の高望みということで、ご勘弁いただければと思う。

定年ゴジラ
重松 清 講談社 2003年2月25日読了 ISBN 4062731096



このところ、重松清の本もこれで3冊目か4冊目だが、これはとても面白かった。流星ワゴンも確かに良くできていたが、こちらの方が僕は好きだ。

自分の親の世代を書いたということだが、うまくかけていると思う。一応、一旦定年を迎えた我が身として、この本の書き手よりは、むしろ登場人物に近い身の上であるが、極めて共感できると思う。
「次郎物語」や、「チボー家の人々」が少年や青年のための人生の書であるとすれば、本書は、中年以降のための人生論というところか。少年や、青年の人生論は、「これからの人生をどう生きるか」ということである。それは、希望と選択に彩られた苦悩である。しかし、中年を過ぎれば、人生は、「今まで選んだ物をどう引き受けていくか」ということである。選択と希望の代わりは、運命とあきらめ。避けることはできず、選ぶ余地はほとんどない残りの人生が待っている。それをどう生きていくか。

重松清の本に出てくる人々は、恐ろしく真っ当である。こんな人間ばかりということは絶対にないのだが・・・。そういう意味で、彼の本は、「道徳」の本である。「論理」でも、多分「倫理」でもなく「道徳」である。「道」であり、「徳」を物語りにするとこうなるのではないかという気がする。あまりにも、みんな立派すぎて、とても本当とは思えないところが、彼の本の特徴といえば特徴であるが、それで良いのだという気もする。

最近は、乱倫や、暴力を描くのが文学という趣もあるが、やめてほしいと思うことが多い。それに比べれば、読んでいて、何とすがすがしいことか・・・。

コラムの逆襲―エンタテインメント時評1999〜2002
小林 信彦 新潮社 2003年3月15日読了 ISBN 4103318252



久しぶりの休日に、読みかけになっていた本書を、読了。

本書に登場する映画や舞台の中で、小生の見たことがあるものは少ないので、ここに書かれた小林寸評を的確には判断できない。しかし、時代の最先端の映像文化を見る目は、確かだと感じる。(大変共感できる点が多い。)

考えるべき事は、我々の「文化」は、いったいどういう状況にあるのかということだと思う。文化の状況は、すなわち、国の有様を象徴していると推定できるからだ。
かつて、映画などが大変貴重なメディアであった時代と違い、今は、映像表現は溢れかえらんばかりであるが、その、「浪費」の中で、かえって我々の文化は確実に停滞しているように思う。特に、良い物とそうでない物がきちんと区別できなくなっているという気が、どうしてもぬぐえない。そういう意味で、この小林のエンターテインメントを見る確かな「目」は大切だと思う。

ハゴロモ
よしもと ばなな 新潮社 2003年3月28日読了 ISBN 4103834048



久しぶりに、よしもとばななの本を読む。(いつの間にか、名前もひらがなになったらしい。)

昔、彼女の本の中には、「この1行を書きたかったから、この物語ができたんだ」というような強烈なメッセージが、いつも鮮やかに埋め込まれていたと思う。それを見つけたさに、熱心に読んだような気さえする。(「キッチン」など、今でも鮮やかにおぼえている。)
彼女も、それから少し年をとって、そのスタイルは少し変わったように思う。そんな凝縮されたような強烈なメッセージではなく、ストーリー全体が、柔らかなメッセージになっている。普通の小説らしくなったといえるだろう。

この物語は、回復の物語である。青春の物語である。その穏やかなリズム、たゆたうような叙情・・・。「回復」や「ゆるし」というのは、強烈な切り札のような物だから、これを安易に切ると値打ちが下がるのが普通である。しかし、この本について言えば、淡々とした語りの中に、これだけ情感を込められるのだから、まさに才能と言うしかないだろう。やはり、僕は、よしもとばななは、好きだと、あらためて感じた。

ドリームバスター2
宮部 みゆき 徳間書店 2003年4月3日読了 ISBN 4198616515



今、世の中には2種類の作家しかいない。「宮部みゆき」と「それ以外」だそうである。その今をときめく宮部みゆきの最新刊。

これは、連作の2番目の本で、始まりでもないし、終わりでもないので、まとまった感想は書きにくい。それでも言えるのは、こんなに荒唐無稽なストーリーでさえ(なにしろ、人間の夢の中へ入っていくのだ)、まるで、その世界が実在するかのように見せる筆の力だ。いったいどういう想像力をしているのだろうかと思う。

ただ、だんだん想像力の究極の世界に近づいていくので、こういうアプローチが、果たして得なのかどうなのかと考えてしまうが、彼女に、想像力の限界などないのかも知れない。

日本の軍隊―兵士たちの近代史
吉田 裕 岩波書店 2003年4月7日読了 ISBN 400430816X



このところ、物語ばかり読んでいるので、少し気分を変えようと、久しぶりに岩波新書を買った。
(最近のイラク情勢もあり、少し思うところがあって、新刊である本書を選んだ。)

昔、韓国(釜山)に行った時、日本と韓国の若い人の気質の違いを痛切に感じたことがある。その原因の一つが徴兵制の有無だという話を聞いた時から、軍隊と文化の関係には相当興味もあった。(その観点については、本書は実にうまくまとまっている。)

また、日本の軍隊が「合理性を極めて欠いていた」ことは、「失敗の本質」のような物を読むまでもないが、なぜ、あんなことになったのかは大いに不思議な点である。(産業分野などでは、戦前からそれなりに合理的に戦ってきているのに。)それが、本書の主張の通り、日本人の文化と文明の「力そのもの」かも知れないと思うと、いささか暗澹たる気持ちになる。

いずれにせよ、私も、今のように、日本が軍備を持つことを表面上タブーとしながら、「自衛力」の名の下に、有事体制をなし崩し的に作っていくのは、適切ではないと思う。もしこのまま「自衛軍」を保持し続けるのであれば、国が軍隊というある種の「暴力装置」を持つ緊張感とリスクに、日本の政治家と日本人が耐えられるような仕掛けを作っておかないと、結局、また、合理性を欠く軍事国家の道に進んでしまう恐れがある。

一市民としても、避けて通らず、普段からこの問題を考えておくべきだろうと思う。

脳と神経内科
小長谷 正明 岩波書店 2003年4月18日読了 ISBN 400430475X



先日買った2冊の岩波新書のうちの1冊。
僕が大学で受けた講義の中で思い出深い物の一つが、少し専門外の「脳神経生理学」の集中講義だ。短期間出席するだけで単位がもらえるという安易な理由で聞いたのだが、あまりのおもしろさに、夢中になってしまった。従って、今でも、「大脳生理学」といった分野の素人向きの本があると、つい手が出てしまう。本書もその1冊。元々興味があるわけだから、読み始めたら一気に読み終えてしまった。

今になっては、相当な手遅れであるが、僕は、本当は医者か生理学者になっても良かったのではないかと思う。(医者といっても、開業医や勤務医ではなくて、研究医だが。)実は、「生命のメカニズム」にとても興味があると、あのあとかなり経って気がついたからだ。あのとき、大脳生理学の講義を聴いて、あれだけ面白いと思ったのだから、なぜ、その道に進まなかったのだろうかと、今になって、少し考えている。(後悔と言うほどではないが。)とはいえ、神経が細い(気が小さい)ので、特に生き物の死にを扱うのは、やはり無理だったろうとも思う。

ということで、せいぜい、これからも、こういう素人向きの解説書をたくさん読むのだろうなと思う。
当面、人の脳のメカニズムが解明される日が来るとは思えないが、それでも、着実に進んでいることは確かなようだ。これからも、新しい発見を楽しみにしている。

気分はいつもシェイクスピア
小田島 雄志 白水社 2003年4月28日読了 ISBN 456004984X



シェイクスピアには、人間世界のすべてが含まれるという。人の世の「喜怒哀楽」と「叡智」で、この中にないものはないという。小田島大先生のシェイクスピア名言集を読んでみる。なるほどと思う。

「そうなんだよね。」と思う名言ばかりなのだが、悲しいかな人間。劇の中でも、外でも、なかなか、悟りは開けない。

暇があったら一度シェイクスピア全集を読んでみたいと思っている。実家に福田恒存訳の全集をおいてきたような気もするのだが・・・。その中のいくつかは昔読んだとも思うのだが、あまり自信はない。もうその福田訳の全集は売っていないらしい。小田島訳で読むしかなさそうである。
(どうも、小田島さんの日本語がぴたりと来ないような気がして敬遠しているのだが。)

もう少し英語の力があれば、原文で読みたいとも思う。その志を忘れないために、一応、英語の全集を買ってきて本棚に並べておいた。(英語版なら、立派な全集が3,000円で手に入ってしまう。)

いずれにせよ、老後、暇ができたらの話だと思う。(そのころ気力体力が残っていればだが・・。)

にっちもさっちも―人生は五十一から
小林 信彦 文芸春秋 2003年5月17日読了 ISBN 4163596305



週刊文春連載のコラムの単行本下の最新作。このシリーズは大体欠かさず、単行本になったところで読んでいると思う。

書名の「にっちもさっちも」というのは、小林信彦の時代認識だと思う。いつも書いていることであるが、東京下町文化への過剰な思い入れをのぞけば、概ね共感できる。とはいえ、失われいく「洗練」に対する思いと、新しい文化の「軽薄さ」に対するいらだちは、読む度に激しさを増しているようだ。一種の「老人性癇癪」といえば怒られると思うが、彼の目から見て、それだけ世の中が悪くなっているということだろう。

ホテルのお仕事―総支配人を呼ばないで!
乙田 健 ミオシン出版 2003年5月19日読了 ISBN 4887018533



ここからしばらく椎名誠の「本の雑誌」の連載コラムの中の推薦本。

軽い本ではあるが、椎名さん推薦だけあって、面白い。
こういう本には、難しいコメントはいらないが、世の中にはいろいろな人がいるということがよく分かる。
そして、そこはかとなく漂う仕事への誇りは、我々の明日への活力につながるような気もする。

世界ノホホン珍商売
白川 由紀 共同通信社 2003年5月24日読了 ISBN 4887018533



これも、椎名さんお薦めの本。いささかエキセントリックなきらいはあるが、面白いことは面白い。世界を(といっても辺境をといった方がいいと思うが)、旅した見聞記。

嘘が書いてあるわけはないが、本当とも思えない話も多い。
しかし、作者の世の中の多様性に対する暖かい視点、文明に対する奥の深い感受性、何より人間に対する優しさで共感できる部分が多い。椎名さんがお勧めするだけのことはある。
同じような旅を、僕もしてみたいとは決して思わないが、人間界の尺度は、何も自分たちだけが正しいということではないのはよく分かる。

それにしても、写真を見る限り若くてきれいなお嬢さんが、どうしてこんな旅に憑かれるのか、不思議なものである。今も旅のさなかにあるらしいので、無事をお祈りするのみである。

レナ川―百夜航路4000キロを行く
伊藤 一 北海道新聞社 2003年5月26日読了 ISBN 4894531801



これも椎名誠さんお薦めの本である。そして、これは掛け値なしに面白い。こんな面白い本は久しぶりであると言ってもいい。

まず、旅行記としてその旅先がよい。アフリカや南米の奥地よりこのアジアの極北の地は、ずっと新鮮で面白いと思う。
次に、交通手段(船)がよい。(もっとも船以外の交通手段はないらしいので、善し悪しの議論の外かも知れない。)
次に、景色がよい(らしい)。もっとも、残念ながら、掲載された写真だけではその真価は分からない。
そして何と言っても、作者の視点が素晴らしい。椎名さんお勧めだけのことはある。人間に対する暖かさ、文化に対する多角的な視点、一つ一つの感想に、いちいち納得がゆく。
それにしても、すごい話である。話が面白すぎるので、作り話ではないかと思うところがあるくらいである。かつて、世界の2大強国の一つであった、ソ連、或いはロシアとはこういう国であるのか。恐るべき官僚機構の無駄という話は、今までもいやというほどきいてきたが、いかに辺境の地といえども、ここまである意味貧しいとは知らなかった。しかし、著者も言うとおり、貧しさとは、豊かさとは何なのかということを、本書も十分考えさせてくれる。
いずれにせよ、天下のロシアに、船でしか行けない地(島ではなく)があり、そして、その船便も夏の3ヶ月に何回訪れるか分からないという当てにならないものであり、そして、次の船を建造する技術がなく、また、北極海を通して船を回漕する技術がもうないために、いずれ完全に孤立するであろうという途方もない地が存在するとは知らなかった。
あと、河が北向きに流れるために、上流ほど暖かく住みやすく開けているというのも、不思議な話であった。

いずれにせよ、世界は広く、懐は深い。

春の数えかた
日高 敏隆 新潮社 2003年6月1日読了 ISBN 4104510017



面白い本だった。これも、椎名さん推薦の本であるが、「レナ川」同様最近読んだ本の中では一二をあらそうおもしろさだった。(椎名さんの本を見る目にあらためて感謝。)

本書の著者日高敏隆さんには、ローレンツの本で大変お世話になった。今までずいぶんたくさんの本を読んできたが、その中で、ローレンツの書いた本のいくつかが、私の人生観のベースになっているようにすら思うことがある。「ソロモンの環」をはじめとして、それらの本の大半が彼の訳によるものだったことをあらためて知った。ローレンツの本から受けた感動の半分くらいは、日高さんの名訳によるものだったかも知れない。

所詮、人間も「生き物」であり、生物として課せられた制約・運命から逃れることはできない。もっと言えば、「理性」と思われているものも、単なる生物としての行動原理(種の保存原理)に過ぎないと考えた方がいいと、ローレンツの本を読んだ時に思った。そう考えると、「人間」と「生物」の関係、「人間」と「自然」との関わりは、極めて難しいテーマとなる。(「人間」を生物とは次元が違うなにかと考えた議論は、極めて根拠の乏しい物になってしまう。)

自然界の生き物は、一般に、遙かに深く自然の摂理に従って生きている。しからば、人間は自然との距離をいかにとるべきか。かなり深い問題を本書は提起しているように思える。

とはいえ、ここに描かれた一つ一つのテーマは、著書の自然を見る優しい目と、科学的な思考能力に支えられて驚くほどに楽しい。寺田寅彦、中谷宇吉郎といった自然科学者達のエッセイが僕は好きだが、その系列の中に混じっても、これはかなり上質なものといえるのではないだろうか。

繋がれた明日
真保 裕一 朝日新聞社 2003年6月7日読了 ISBN 4022578386



真保裕一の作品は、どんどん「ミステリー」の領域を離れていく。ご本人は、勿論、強く意識してやっているのだろう。

そして、このところ「ヒューマニズム」にあふれた力作が続く。今頃、こんなにも人間について考え、人間を賛美する本を書く人は少ないとさえ思われる。その作風も、その心意気も大いに買いたい。もちろん、読んでいて、ちょっと気恥ずかしいところもなきにしもあらずであるが、これはこれで良いのではないだろうか。

前回は選挙だったが、こんどは、「罪」と「罰」について。特に、「贖罪」、「許し」といった、難しいテーマを、まじめに、正面から描いている。ラストシーンの評価は、人による分かれるのかも知れないが、こういうきれいな話で良いと思う。

真保さんにはこの路線で引き続き頑張って頂きたいと考える。

極楽とんぼ、大西洋を渡る―手作りボートによるスイス~大西洋~ニューヨーク単独航海
中島 正晃、井上 久 舵社 2003年6月19日読了 ISBN 4807211129



再び、椎名さんお薦めの本である。これも面白くないことはなかったが、普通のサラリーマンである我々とは、ちょっと、感性が違いすぎる。このところ、やや仕事が忙しくて、あまりゆったりした気持ちで本を読んでいないので、よけいにそう感じたのかも知れない。
しかし、大西洋というものの大まかな構造や、距離感は、ずいぶん実感を持って感じることができた。(太平洋は身近だが、大西洋は余り地図を見たこともなかった。)
一人きりで何かをやり遂げるというのはいずれにせよすごいことである。

チャリンコ日本一周記―女ひとり2年7カ月
川西 文 連合出版 2003年7月6日読了 ISBN 4897721164



2年7ヶ月かけて日本一周をする極めてのんびりとスケールの大きい本なので、すっかりそのペースにつられてしまったわけではないが、読み終えるまでにずいぶん時間がかかって。(これも椎名さんおすすめシリーズ)

野宿、キャンプを中心に若い女性が自転車で日本一周するというのだから、普通のことではない。この「強い」というか、「のんびり」というか、「タフ」というか、彼女の感性には、全く驚いてしまった。
本としては、とにかく面白く、良くできているのだが、加えて、自転車に乗るのが好きな私にとって、「自転車をこぐ」という肉体的感覚が、極めてビビッドに伝わってくるような気もして、読んでいるだけで、日本一周をしたような気がする。

たしかに、日本は思っているよりもずっと広いし、そこに住む人の心は、捨てたものではないという著者の気持ちは、大変よく分かる。こういう日本を、これからもきちんと守っていくことができるだろうかと、ふと考えてします。(本書に「いい人」として出てくるのは、たいていが中年以上、特に老人が多いような気がするが)

著者の川西さんについては、2冊目以降の本は出ていないが、いったい今どうしているのだろう。

コッペリア
加納 朋子 講談社 2003年7月23日読了 ISBN 406211920X



大阪、博多と移動の時間がたくさんあったので、二日ほどで読んでしまった。お気に入りの作家の本なので、不満はないが、これは、ちょっと懲りすぎかもしれない。(腕に自信があるミステリー作家は、皆、いろいろな挑戦がしたくなるものらしい。)

特に腕利きの女性作家は、宮部みゆきも、恩田陸もいろいろと新しい試みをしている。そういうものを読むのは、もちろん大いなる楽しみである。しかし、勝手なことをいわせてもらえば、やはり、宮部さんらしい、恩田さんらしい、そして、加納さんらしい本の方がいいような気もする。

この本は、とてもたくさんのキャラクターを書き分けているので、加納さんの本に本来登場するはずの、ヒロインのいつもの切れ味までいささか分散してしまったような気がする。さらに、それと同じだけの人形が登場するので、ちょっと大変すぎたように思う。

エピローグは、そういうことだろうと思うが、ちょっと、形にはまりすぎているか。面白くて、一気に読み終えたのだから、文句を言うと罰が当たるかも知れないが・・・・。

輝く日の宮
丸谷 才一 講談社 2003年7月29日読了 ISBN 4062118491



とても読み応えのある本だった。

まず、主人公が、「格好いい。」男も、女も。特に女が。これだけペダンチックに書いて、なお、これだけ余裕を持って格好いいのだから見事といえる。男も、もちろん、とても格好いい。
次に話が面白い。さらにその日本語遣いが、僕は、見事だと思う。
そして、何よりも、「輝く日の宮の巻」を本当に書いてしまうというその趣向である。そこまでの何百ページは、極端にいえば、「前書き」である。小生の源氏の素養では、この巻の出来不出来を論じる自信はない(というか、本当に書いてることに驚いたという以上の感想はないが)、この大胆な趣向に、全く感心した。

以上、いろいろな意味で、大変堪能した。

ネコはどうしてわがままか―不思議な「いきもの博物誌」
日高 敏隆 法研 2003年8月1日読了 ISBN 4879544078



「エソロジー」というらしいが、動物行動学は、人間の行動原理を考えるのにとても参考になる学問であると思う。

その後、「利己的な遺伝子」なる考え方が出てきて、人間の生物としての行動原理が、遺伝子レベルで補強されたわけであるが、「カモもしょせん人間だ。」といったローレンツのお弟子さんの発言は、まさに核心をついているだろう。

人間の行動原理は、ある意味で極めてシンプルと言えなくもないようである・・・。

スイス的生活術―アルプスの国の味わい方
伊藤 一 出窓社 2003年8月17日読了 ISBN 4931178146



夏休みのシーズンになっても、いっこうに読書のスピードは上がらず。涼しい夏なのに、やや残念。

本書は、先に読んだ「レナ川」の著書のもの。レナ川ほど、驚きに満ちているわけではないが、我々のあこがれの国である「スイス」の本質をユーモアを込めてとらえた、抱腹絶倒(ややオーバーだが)の書。欧州の中でも、EUには目もくれず、我が道を行くこの国の特質が、極めて的確に描き出されている。まさに、「ところ変われば・・・。」ということがよく分かる。

この本は、伝統と文化に対する大変重要な視点を提供しているように思う。本著者の本は残り1冊。これも読んでみようと思う。

デッドエンドの思い出
よしもと ばなな 文藝春秋 2003年8月31日読了 ISBN 4163220100



よしもとばななの「文章を作る才能」は、かなり相当のものと思う。誰にもまねができない文章で、恐ろしいほど鮮明にメッセージを伝える力は、例がないのではないだろうか。

この本は、前作に少し似て、「ゆるし」と「癒し」と「和解」の物語である。
「ゆるし」や、「和解」の物語は、誰だって一番書いてみたいテーマだと思うのだが、(また最近の流行でもあるのだが、)なかなか難しいテーマだとも思う。(「お涙頂戴」だけなら、割りに誰でも書いているが。)
よしもとばななが、どういう実経験の末に、こういう物語群を生み出すことになったのか、ちょっと想像もつかないが、何か人間の心の一番「底」の部分をのぞいたのではないかと思う。(デッドエンドの思い出という表題作に、そういう表現があった。)
経験を、昇華していくのが、物語の書き手のもっともきれいなあり方なのだろうけれども、彼女の、このところの物語には、ぎりぎりのところまで澄み切ったというか見通したような、透明感がある。

元「天才少女」が、なかなかうまく大人になったと、あらためて思ってしまった。

地球の裏のマヨネーズ
椎名 誠 文藝春秋 2003年9月14日読了 ISBN 4163652302



椎名さんの赤マントシリーズもこれでもう14冊目になるという。多分ほとんど読んでいると思う。

椎名さんの、「旅もの」、「読書もの」は、実に良い。ストレス解消になるし、気持ちが安らぐ。当たり前の感性と、ちょっと無茶なことをやり遂げてしまう行動力と、何と言っても簡潔にまとめる文章の力。
うらやましい人生である。(替わりたいかといわれれば、考えるが。)

9月も半ばになってもちっとも涼しくならない。そのせいでもないが、今ひとつ読書のスピードが上がらない。

翻訳夜話2 サリンジャー戦記
村上 春樹、柴田 元幸 文藝春秋 2003年9月27日読了 ISBN 4166603302



村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の翻訳者とその校訂者(?)による対談。

昔、大学で、教養課程時代にこの本をテキストとする英語の授業をとり、一度も出席しなかったことを思い出した。そのとき、単位を取るために、この書について何かを論ぜよということでレポートを書いた。僕は、この独特の口語体を、そのちょっと前にはやった庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」と対比して何か書いた記憶がある。そのときは、その時代の口語で、若者の思いを物語に綴っていくというスタイル上の類似点に加え、何かを求めてさまようそのストーリーについても類似点があると感じていたように思う。
あらためて、本書を読み、当時の僕の読み方がいかに表面的でいい加減かを身にしみて感じた。
本当のことをいえば、未だに、少しはその論文の思いつきについて、内心気に入ってはいるのだけれど、表面上の類似点とは裏腹に、根本的な枠組みの違いがあることを、この本を読んで初めて知った。当時の本の読み方というのは、所詮その程度のものだったのだろうと思うと、ちょっと残念ではある。何か、突然、この本を読むことがブームになり、そのブームに乗ってこれを読んだのは、村上さんと同じく確か高校生の時なのだが、どうもその時点で村上さんとは圧倒的に差がついてしまっていたようだ。(それは、60年代最後の頃であったわけだが、僕はその本を読みながら、同時代の本だと思って読んでいた。そのうかつさにも、がっかりする。)
いずれにせよ、もう一度「村上訳キャッチャー」を読むことにする。

われら北極観測隊
伊藤 一 出窓社 2003年9月28日読了 ISBN 4931178243



関西往復の合間に読了。同氏の本は3冊目であるが、どれもとてもおもしろい。

多少意図的な「ユーモア」満載であるが、嫌みのない範囲に収まっているという感じである。もともと、どの本についても、そのコンテンツはちょっとやそっとでは経験できないものばかりであり、その値打ちに加えて、「その伊藤流ユーモア」で、ついつい夢中で読まされてしまう。

一応世の中に出ている同氏の本は、この3冊だけのようなので、少し残念。前の2冊に比べると、今回のものは、なんといっても極地の話なので、「グリーンランド人」のくだりをのぞいては、氏のもう一つの特徴である、文明批評的なおもしろさがやや影を潜めているところは、致し方ないというところか。
しかし、世の中にはいろいろな人がいるものである。

蛇行する川のほとり(1)(2)(3)
恩田 陸 中央公論新社 2003年10月3日読了 ISBN 4120033368他



例によって、スーパーお姉さん(おばさん?まだ30代のようだからやはりお姉さん)の小品。この人の場合、新書版3冊くらいだと小品という感じがする。
このところ他に2冊出ているので、相変わらずの超ハイペースである。

小生は、この人はたいてい好きである。いつも、ちょっと回りくどいなと思うが、でも、行き過ぎてもいないし、嫌みでもない。今回は、得意な「女学生もの」なので、楽しく読み終わった。
テーマは、親殺しのようなそうでないような、やや陰惨なテーマなのだが、彼女が書くと、そこに書き込まれた風景の印象とともに、実に透明感が強い。才能なのだろう。(まったく。)

あとの2冊も読まなければいけない。こういう多作の人を好きになると追いかけるのが実に大変である。

クライマーズ・ハイ
横山 秀夫 文藝春秋 2003年10月7日読了 ISBN 4163220909



「動機」も、「半落ち」も確かにおもしろかったが、心から共感するという感じではなかったのだが、これは掛け値なしにおもしろかった。もうこの本は、ミステリーとは違うジャンルに属すると思うが、それ故に、かえって良かったように思う。

昔から、誰でも一生に一作は小説がかけるという。畢生の名作というやつであるが、おそらく、職業作家にも似たようなことがあると思う。そして、横山にとっては本作がそれなのではないかという気さえする。(ご本人には、大変迷惑な感想かもしれない。もちろんたった一作と言うことはあるまいが。)
それほど、この本の主人公の気持ちは、腹に落ちる。胸に残る。たぶん、相当に自伝的な要素があると思うのだが、職業人としての、迷い、誇りというものが、実に等身大に、しかし、志高く書けている。だから、相当なハッピーエンドでも、納得できる。人生の天秤ばかりは、あまりの不公平は許さないと思いたい。

本作者が書いた他の本には、当面他に手を出さず、本書の余韻を大切にしたい。

活字の海に寝ころんで
椎名 誠 岩波書店 2003年10月18日読了 ISBN 4004308461



大変うかつなことであるが、椎名さんの岩波新書はこれで3冊目とのこと。「図書」の連載を集めたものらしい。

初めのうちの「辺境の食」は、ちょっと行き過ぎているような気がしたが、途中からいつもの椎名さんのペース。本と食と旅の物語。なかなか楽しかった。

確かに、「ロビンソンクルーソー」の話も「十五少年漂流記」の話も食べ物の話はすごく印象に残っている。食べなければ死んでしまうのだから、当然といえば当然であるが、こういう視点で書物を語るのは、椎名さんにしかできないことかもしれない。
彼が、繰り返し言い続けているコンクリートだらけの海と川の話はここでも出てくる。何とか、日本も、「土建屋国家」から抜け出す糸口をつかんでほしいと思うのだが・・・。

博士の愛した数式
小川 洋子 新潮社 2003年10月22日読了 ISBN 410401303X



面白かった。心をちょっと動かされた。

前も書いたが、面白くて一気に読み終わる本と、面白くて読み終わるのが怖くて慈しむように読む本があるが、本書は完璧に後者である。
「何がどう」という説明はとても難しい。あえて書けば、博士の数学に対する、そして、幼きものに対する完璧な愛。主人公の暖かい愛。そして、博士を陰から見守る「未亡人」。ルートの阪神に対する愛も、博士に対する尊敬も含めて、様々な形のちょっと変わった「愛」の物語と言うことなのだろう。
前行性記憶障害というのだと思うが、ちょっと不自然な前提が実にうまく自然に生きている。同じ条件で、犯人探しをやるというアメリカ映画があったが、こちらの方がずっと高級である。

本書は、八重洲のブックセンターでたまたま目について買った。(なかなかの嗅覚だったと思う。)
小川洋子という作者は、芥川賞作家だと言うくらいの知識はあったが、最近芥川賞を余り信用していない私としては、少し避けて通ってきた人になるわけだが、どうもそれは間違いだったのかもしれない。

(後日記)この本が、この年の「本屋大賞」になった。私も、この本を、その後何人かの親しい友人に勧めて読んでもらっていたが、まさに、これは皆に読んでもらいたい本=「本屋大賞」と思う。

誰か ----Somebody
宮部 みゆき 実業之日本社 2003年11月19日読了 ISBN 4408534498



突然の米国出張があり、しばらく本をゆっくり読む暇がなかったが、やっと今をときめく宮部みゆきの新作を読了。

相変わらず、一気に読ませる。ここのところの大がかりな話とは違い、ちょっとした家庭小説風あるいはサラリーマン小説風の体裁をとっているのだが、これはこれでとにかく読ませる。
どこかに妙に力が入った風もなく、言ってみれば淡々とした話で、何がそんなにすごいのだろうと思うが、でも、とにかくすごいと思う。前も書いたように、うちの奥さんが、「理由」を読みながら、ずっとノンフィクションだと信じ込んでいたのだが、すごさのベースはその恐ろしい「筆力」であろう。
本人曰く、それほど取材をするわけではないとのこと。今回のサラリーマン小説風の部分は、サラリーマンの小生としては、いささか不自然だなと思う点もなきにしもあらずであるが、それでも、結局そういう会社をリアルに思い浮かべて納得してしまうのだから、たいしたものである。
詰まるところ、その筆力は、人間を(特に心を)描く力だと私は思っている。

ミステリーとしては前作に当たる「模倣犯」で、カタルシスに欠けるのが残念という批評を目にしたが(それは確かにそうなのだが)、今回はどうか。なかなか微妙なところである。いずれにせよ、宮部みゆきは「大団円」は書くつもりはないということなのだろう。

ついついまた次作を期待することになる。

審判は見た!
織田 淳太郎 新潮社 2003年11月21日読了 ISBN 4106100282



なかなかおもしろい本なので、読んで損をしたとも思わないが、しかし一方で、「それで・・・。」という感じも残る。たかがスポーツ、たかが野球という感じが、どうしても残るのである。もちろん、著者も基本的にはそういうスタンスを崩していないが、それでも、この程度のエピソードで「野球論」のような話に振りかぶられるとちょっとセンスが合わない。

本書は、何かのビジネス書を読んでいて、おもしろいと書いてあったので読んだのだが、ビジネス書の読書欄とはどうも折り合いが良くない。
なんと言っても、「本の雑誌」の世界が僕は好きである。(サラリーマンとしては一流でない証かも・・・。)

当たり前のことを、偉そうに書かれるのが苦手なのであるから、やはり修行が足らないということであろう。まあ、この本を読んだくらいででそこまで書くことはないのだが・・・。

クレオパトラの夢
恩田 陸 双葉社 2003年11月26日読了 ISBN 4575234834



多作な恩田さんの最新作。一気に読み終える。これだけ次々に新作が登場すると、いささか波があるような気もするが、この本はおもしろいと言っていいのではないでしょうか。最近これに似た雰囲気の作品が多い。まひるの月、黒と茶の幻想・・・。
旅への誘いと言うつもりは、本人にはないだろうが(あるのかな?)、旅と会話の物語というのが、一つのスタイルになっている。ミステリーの部分は、「テイスト」にはなっているが、決して、それで始まり、それで終わるという感じには作られていない。しかし、決して薄味でもないし、手抜きでもないと思う。

最初に読んだ、「三月は深き紅の淵を」の印象が強烈で、それをなかなか越えられないという気もするが、それは、それは、こちらがあまりにおもしろすぎたということだろう。

貴重な時間を失うリスクを犯して、よく知らない人の本を読むくらいなら、恩田さんの本を手に取る方がずっといい。この確かな雰囲気は、なかなかほかでは味わうことはできないと思う。それにしても、次から次へとよく書けるものだ。心から感心する。

レインレイン・ボウ
加納 朋子 集英社 2003年11月29日読了 ISBN 4087746755



お気に入り加納朋子さんの新作。

これは良かった。お得意の連作で、「ななつのこ」、「ガラスの麒麟」路線と、「月曜日は水玉模様」コンビの「さわやかな青春」ものを足しあわせたような風合い。
軽いユーモアと人情がベースの「日常の謎」。暖かく、そして「ほろり」と「はらはら」。確かな腕である。

甘いのかもしれないが、ミステリーのジャンルなら、このジャンルが私は一番好きだ。特に、北村薫、光原百合と加納朋子の3人、もっとどんどん書いてもらえるとうれしいのだが。

星星之火
永山 正昭 みすず書房 2003年12月20日読了 ISBN 4622070456



心から感動した。(この本は、東洋経済かダイヤモンドの書評欄で見て手に取った記憶するのだが・・・。もしそうなら、ビジネス書の書評欄で取り上げるには少し珍しい本である。)

著者の永山さんは、元共産党員で、戦前からの労働運動家ということになるのだが、全くそういうことを感じさせない。透き通った物の見方、簡潔で美しい文章、そして、人を見る心の温かさ。イデオロギーの時代は、いつの間にか遠くに過ぎ去り、あのころから比べればとても豊かになった今の日本で、しかし、あの時代にあって今は忘れられつつある物の大きさ、深さ、大切さ。

人が人を虐げてはならない。この平和の時代に、その当たり前のことを、我々は忘れようとしていないか。
こういう人が現実に生きていたということが、なんと力になることか。そして、まわりでそれを支えた人々の心温まる思い。

世の中は、人間で始まって人間で終わる。今の世の中、そのレベルは十分とは言えないが、しかし、星星之火を絶やしてはいけない。

今までに読んだ本の中で、一・二を争ういい本だったかもしれない。

永遠の出口
森 絵都 集英社 2003年12月21日読了 ISBN 4087742784



何年か前の「カラフル」に次いで、本の雑誌のベスト2。童話作家らしい、軽い、しかし、軽薄でも軽佻でもないお話。
「青春」を連作短編にしてみるときっとこうなるのだろう。もともと青春などというのは連作短編のような物と言えばいえなくもない。大人になるというのは、何かを選び取っていくこと。あるいは、選ばされていくこと。そして、選ぶと言うことは、何かを捨てると言うこと。
そういうシンプルで残酷な事実を、実にわかりやすい物語にまとめている。

実に本の雑誌らしい選択だと思う。
読み始めて、1日で読んでしまえるところが、あるいは、1日で読まされてしまうところがこの本の魅力である。
永遠の出口を見つけること、永遠の出口から追い出されることが大人になると言うことらしい。
ここにかかれている女性らしい心情を(男性の小生が)、100%理解できるわけではないが、それでも十分その気持ちはわかる。

既にたくさんを選び、従って、もう選ぶ物はあまりない我々の世代にも十分通じる物語であると思う。

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