翼はいつまでも
川上 健一 集英社 2002年1月8日読了 ISBN 4163199608



この本は、「本の雑誌」の2001年のベストワンである。(私は、このところ、このベストテンを、少し信用している。)
これも、それを裏切らないものだったと思う。

私は、大変単純な読者なので、多少おとぎ話であっても、「きれい」に書けている本には、全く弱い。(この手の本は、最後のところは電車では読めない人なのです。)
久しぶりに、本書の中に輝くばかりの「マドンナ」を発見したわけだが、その故に、途中から、この話をを中途半端に終わらせたら、許さないぞと思いながら読むことになった。(多分おおかたの読者もそうだろうと思う。)
結論を言えば、この結末はできすぎだと思うし、ひょっとしたら、この後日譚はいらないのではないかと思うけれど、しかしこれはこれで十分許せるという感じである。

「後日譚」のところだけ、僕に書かせてくれないかなと思う。そう思う読者もきっと多いに違いない。
とにかく、偶然は必要以上に多すぎるし、葛藤は単純に解決しすぎるし・・・腑に落ちないところはたくさんあるが、それでも、この輝くばかりのマドンナのために、すべて許すと・・・。

こういう本が読めて、本当によかったと思う。
死ぬまでに、あと何冊もこういう本に巡り会いたいものである。

ダイスをころがせ!
真保 裕一 毎日新聞社 2002年2月10日読了 ISBN 4620106542



今のこの「不十分な」日本を作った責任者はいったい誰か。
それは、政治家でもなく、官僚でもなく、他ならぬ我々自身であると。
以上のような、少し気恥ずかしいようなテーマを、全く素直に、堂々と掲げた力作。

ミステリー仕立ても若干はあるけれど、これはおまけで、彼の著書に時々ある、「人生正々堂々型」の本。2段組400ページで、分量も少し多かったけれど、それ以上にちょっと読むのに時間がかかってしまった。

確かに、「国のありよう」を考えるのにこれは適当なテーマかもしれない。(こういう視点で政治を語った小説は少ないのではないだろうか。)
「政治的な」小説は、イコール左翼的な主張を秘めているものが多く、また、そうでなければ、政治をを語る資格がないようなそんな雰囲気が、日本の「文学」にはありすぎたように思う。そして、それが、今の日本をいささか嘆かわしい国にしたのかもしれない。

日本の「インテリ」は、この本のように現実的に政治や経済を考える癖(いや、能力か)が乏しかったなあと思う。勿論、この本は、それ以前に立派なエンターテインメントなので、そんな方向違いの議論をすることはないと思うが、この本が面白い故に、思わずそんなことまで考えてしまう。

雨鱒の川
川上 健一 集英社 2002年2月23日読了 ISBN 4087482111



「翼はいつまでも」を読んで同じ作者の作品を読んでみる。もう10年も前の本らしい。

「ハッピーエンドの模範的あり方」というと皮肉っぽいけれど、これで良いのではないだろうか。
例によって主人公は、魅力的だし、天使のようだし、誰も悪役は登場しないし、風景はきれいだし、風はさわやかだし・・・・。初恋も切ないし、それなりに説得力もあるし、共感性もあるし・・・。

文末が全部「た。」で終わるのは、意図的なのかしら?すごく下手な文のような気がするが、読んでいるうちにそれも忘れてしまう。

こういう天使のような女性に登場されると、どんな話でも許してしまうようなところがあって、その点は少し反則と思うが・・・。

13階段
高野 和明 講談社 2002年3月1日読了 ISBN 4062108569



昨年の江戸川乱歩賞と「このミス」の上位ランクインした本。
これはおもしろかった。 国家が「合法的に人を殺す権限」を持っているのは、果たして正しいのか、著者は、この問題意識をそのまま本にしたのだと思う。
「死刑問題」に限らず、「人が人を裁くこと」、「罪と罰の関係」等々、本書が書いたテーマは、本来、ミステリーというジャンルになじみやすいテーマのはずであるが、重すぎるため、正面から取り上げられることはかえって少ないということになるのだろうか。
本書は、このテーマの重さに決して負けていないしっかりしたストーリーだと思う。
最後の方で、必要以上に事態が複雑化し、逆転に次ぐ逆転ということになる。一つ二つ間引いた方が、最後までテーマの重さに見合った緊張感を維持できたような気がする。話がおもしろくなりすぎて、却って、話が軽くなったような気がする。(これは、趣味の問題ではあるが。)

愛のひだりがわ
筒井 康隆 岩波書店 2002年3月14日読了 ISBN 4000220055



筒井康隆は、私がもっとも尊敬(ちょっと違うか・・・畏敬?)する作家である。「言葉を使う」力量でいえば、ちょっと誰もかなわないのではないだろうか。
その筒井作品に、感想を書くというのは、とても大それていて恐れ多いが、お許し頂くことにする。
前置きは以上であるが、一言でいって、深く感動した。
感動した理由はたくさんある。
まず、なんといっても話がおもしろい。犬たちを引き連れた美少女があちらこちらを闊歩するそのイメージは、まことに痛快かつ爽快である。
ここで描かれている日本は、今よりほんのちょっと未来であるが、描かれたその世界は、きわめてリアリティと説得力に富む。未来は、我々の力で、変えることはできるが、変えられる範囲の上限と下限は、ある程度決まっていると思う。(近い未来ほどその幅は狭い。)ここに描かれた日本は、その「下限」に近いものと思う。我々が、今のまま、何の努力もしなければ、間違いなくこうなるという感じがする。
過ぎゆく「時」は切ない。少女も、少年も大人になるが、代わりに大切なものを代わりに失っていく。が、何よりも、左手が不自由な少女「愛」のひだりがわを守るものたちが素晴らしい。

筒井康隆の本領発揮の「少年・少女もの」である。私はとても傑作だと思う。

オーケストラの職人たち他4冊
岩城 宏之 文芸春秋他 2002年4月18日読了 ISBN 4163581006他



「オーケストラの職人たち」、「指揮のおけいこ」、「楽譜の風景」、「回転扉の向こう側」と4冊ほぼ続けて岩城宏之の本を読む。
この人は勿論指揮者が本職ながら、物書きとしてもかなりのものであるとあらためて感心する。
私は音楽を聴くのが好きだから、そして密かに指揮者に憧れているので、こういう本を読むのは大変面白い。

指揮者というのが、いかに大変な職業であるのかあらためてよく分かる。男の「あこがれの三大職業」の一つに挙げられているとおり、ともすると「指揮者」というのは、何となく憧れる(何となくやればできそうな)職業と思われている節がある。(私もちょっとそう思っている。)それがいかに間違いかは、こういう本を読むとよく分かる。

音楽というのは、芸術の中でもやや特殊な点があって、作者と鑑賞者の間に演奏家が介在する。オーケストラ作品となると、更に指揮者まで介在する。文学作品が、ほぼ作者の意図する形で、作品を鑑賞者の手元に作品を行き渡らせることができるのと随分の違いがある。(翻訳の問題を除けば。)美術は、現物を鑑賞するのが原則ということになるので、この問題は元々あまりない。映画はほぼ完全な複製ができる。演劇にも音楽と同様な点はあるが、直感的には、もともと役者と作者の共同作業に近い感じがする。これに対して、必要悪(?)としての演奏家がいることが、随分「音楽」を複雑にしているということが、こういう本を読むとよく分かる。さらに、複製手段である「レコード(CD)」のようなメディアの問題もあり、問題は更に複雑になる。(でも、音楽も大半の場合は、このメディアを通じて鑑賞される。)
こんなことは、私が今初めて気がついた問題ではないから、古今東西実にいろいろな議論が為されているが、私の感じとしては、とにかく、この芸術の介在者たる「演奏家」、「指揮者」の役割というのは、あまりに大きいのだから、できれば、必要性を超えて「自己主張」をしない方がよいのではないかという気がする。(特に演奏行為以外の場で。)
岩城さんの話は面白い。仰ることもごもっともなことばかりである。でも、ここまで筆が立ってしまうと、一流音楽家なのだから、自らの芸術について余りしゃべりすぎない方が良いのではという気もいささかするのではある。(全くのお節介だが。)
「解釈芸術」「介在者芸術」の音楽。特にその最たるオーケストラの指揮者は、棒の振り方のみならず身の振り方も難しいのだろうと思う。

あかんべえ
宮部 みゆき PHP研究所 2002年4月6日読了 ISBN 4569620779



宮部さんの「お話」は、いつもながらに圧倒的に面白い。
「お化けさん」たちが、「人格」を持って、自由に語るという荒唐無稽ともいえる設定も彼女の手にかかれば、全く「さもありなん」という感じになってしまう。この非現実的な設定の中で、しかし、物語は、きわめて人間的な枠組みをきちんと守って進む。だから、SFやホラーとは全く味わいの異なる暖かい物語ができる。
彼女の力をモーツァルトにたとえるのは、いささか牽強付会かもしれないが、その筆の進み方のなめらかさ、自然さ、それでいて、驚くほど明晰なこところは、まさに天賦の才という気がする。(苦労の後を感じない。)
もう一つの共通点は、人間としての「喜怒哀楽」が必要な範囲を超えないこと。通常の人生の中で普通の人が遭遇するであろう、喜びや悲しみの枠内で話が進む。(できの悪いオペラや小説には、ても人間世界の枠組みでは考えられないような「気持ち」を設定しないと話が進まないものもたくさんあるが、彼女の決して、「市井の男女」を逸脱しない。)
その枠組みの中で、あれだけ自由に物語を語れるのが、彼女の彼女たる所以であろう。

黒と茶の幻想
恩田 陸 講談社 2002年5月15日読了 ISBN 4062110970



本書を読むのに、約1ヶ月を要した。、別につまらなかったわけではないのだが、例によって600ページもある大作で、持ち歩くのもなかなか大変だった。

本作は、彼女の代表作ではないかもしれないけれど、恩田ファンの小生にとって、不満の残るものではない。

「ミステリ」、「謎」の題材には、何をとっても良いわけだが、「男とは」、「女とは」、「愛とは」、「友情とは」、「人生とは」、「人間とは」・・・と、思い切り当たり前で、思い切り難解なものを題材に選び、瀟洒に加工するとこういう本になるのだろう。

最後のところに、主人公の一人が、51歳になる日を期限とする賭が成立して物語は終わるのだが、まさに、小生は明日が51歳の誕生日。偶然とは言え、いささか感慨深いものがある。
人生あと20年余として、この先どれくらい本が読めるだろうか。

劫尽童女
恩田 陸 光文社 2002年5月30日読了 ISBN 4334923585



作者は、近頃もっとも乗っている才女の一人。どれを読んでも、才気があふれているという感じがする。

本件は、人間の「劫火」である、「原子力」と「地雷」そして、「バイオテクノロジー」がテーマ。神に背いたプロメテウスは、いったいどんな罰を受けるのか。
そんな感じのメッセージと思う。
重すぎもせず、軽薄でもなく。明るすぎもせず、暗すぎもせず。複雑過ぎもせず、単純過ぎもせず。
というところ。

この人の最近の本は、どれを読んでも、はずれはないと思う。
でも、終わり方は、やはりちょっと物足りない。
真の解決として「劫火を消すこと」に、届いていないまま、逃げ出してしまったような感じがするのだが・・・。
物語は、始め方より、終わり方の方がよっぽど難しいといつも思う。

昭和の東京、平成の東京
小林 信彦 筑摩書房 2002年6月13日読了 ISBN 448081440X



東京3部作の一つということになるのだそうだが、相変わらず、著者の生まれた東京「下町」に対する強い(独善的とまではいわないが・・・。)思い入れに、ちょっと・・・と思いながらも、それはそれで面白くて、読んでしまう。
著者は、ときに、我々、地方から東京に来た大部分の人たちをひどく見下しているのではないかと思えてしまうのだが。ふるさと破壊は、「ハコモノ行政至上主義的」再開発や農業破壊などによって、日本全国でもたらされている。(或いは地方の方が深刻。)無くなったのは、何も、東京下町だけではないのではないだろうか。

時々、外国の町を訪れるたびに、どうして日本の町作りは(東京下町に限らず)これほどめちゃめちゃになってしまったのだろうと思う。それは、文化(というか国民の文化度)そのものの問題、(たとえば、街作りを実行する力を持つ人の)「権力」の「洗練」の度合いの問題なのだと思う。日本は、戦後しばらくは「身分制社会」ではなかったから、文化的洗練の度合いと全く無関係に「権力」を持つことができた。(そういうものは出世の邪魔でさえあった?)すなわち、それは、日本が、戦後めざましい成長を遂げることができたことと表裏の関係にあるということだろう。もちろん、それを容認してきた、我々庶民の美意識や価値観も街壊しの立派な共犯者であろう。

壊してしまったものを元に戻すことは本当に大変である。国のありようの根本と関係していることなので、そう簡単には変わらないかもしれないが、そろそろ、街作りに性根を入れて取り組まないと、壊れていくのは街の外観だけではなくなってしまう。

そういう意味では、著者の主張に深く共感するところも大いにある。

物情騒然。―人生は五十一から
小林 信彦 文芸春秋 2002年7月2日読了 ISBN 416358370X



小林信彦の週刊文春へのコラムの単行本化。結構愛読しているシリーズである。
今回は、「人生は五十一から」という副題がついていたので、51才2ヶ月目の小生としては、思わず買ってしまったが、この副題に特に意味はないらしい。

相変わらず、世の中の様々な出来事(主として2001年の)に対する視点は共感できるものが多い。というか同感の連続である。前も書いたとおり、江戸と東京の下町に対するいささか過剰とも思われる思い入れにだけは完全には共感できないが、あとは、ことごとく共感と言ってもいいくらいだ。

当事者でないものが、いろいろと批判的に物事を見るのは易しいし無責任でもあるが、しかし、今の世の中を見ていると、言いたいことや言わなければいけないことが山のようにあるのも確かだと思う。「エコノミックアニマル」などと自他共に認めていた頃に、国家の基礎となる「文化的基盤」が相当に傷ついたのだろう。特に教育とマスコミ(なかんずくテレビ)の責任は大きい。

本書を読んであらためて思う。
言葉を大切にし、正義と常識を重んじ、「品格」を失わないよう。人間として、厚みと深みを失わないようにしよう。(簡単なことではなかろう。)

人生仕上げの時が近づいている。そういう意味では、まさに、「人生五十一から」である。

誰がパリをつくったか
宇田 英男 朝日新聞社 2002年7月19日読了 ISBN 4022595981



去年、パリへ行ったあと買っておいた本を、やっと、今頃読み終えたもの。
「ローマは一日にしてならず」ということわざを、あらためて実感した。西洋の街の歴史の重さを改めて思い知る。パリの「でき方」についてよく分かった。大変なことなのだ、一つの街が形になるのは・・・。

翻って日本はということになる。最近の東京は少しずつきれいになってはいるが、それでも彼我の差は大きい。いろいろと理由は考えられる。戦争や地震、火事といった災害の頻度や建物の強度の違いも大きいだろう。人口密度の問題もあるだろう。それでも、それだけではないと思う。

江戸時代の日本の街は美しかったと聞く。戦前の街でさえ随分整っていたのが、残された写真で解る。戦後復興の進め方と、それを進めた価値観がやはり一番大きいのだろう。得たものと失ったもののバランスの問題でもあるが、失わずにすむものは失わずにすませたい。

たかが、街の歴史の本を読んで、いささか大げさな感想かもしれないが、「街の景観」という最も守りにくいものを守る力の有無は、大切なことだ。

本書は、建築家によって書かれたとのことであるが、歴史に対する深い理解は大変素晴らしいと思う。こういう人たちに、日本の街作りにも、もっと積極的に発言していただけたらと思う。

天才の栄光と挫折―数学者列伝
藤原 正彦 新潮社 2002年8月1日読了 ISBN 4106035111



とても感動した。人間の知性の働きは素晴らしい。
この本と同じ内容が、NHK教育テレビで放送されるのをたまたま何回か見た時から、すごいなと思っていたのだが、あらためて本になったのを読み返すと、本当にすごいなと思う。

もちろん書き手たる藤原正彦もすごいが、ここに書かれた、数学の歴史を「天才」によって開いてきた人たちはすごい。「天才とは努力しうる才である」というのは、全く間違いないところであるが、特に数学の分野は、それにつきる。人間の知的活動の極限を追求するわけだから、普通の人が、ふつうにやっていてできるわけがない。数学者にならずに良かっと、つくづく思う。
天才は、幸せにはなれない。
本書を読み終えて、そう思った。それは、宿命に近いものなのだろう。天才でなくて良かったと、これも、しみじみ思う。
でも、数学をもう少しきちんと勉強しておけば良かったとも少し思う。

藤原正彦は、かなり前に、「若き数学者のアメリカ」などを読んだ時から、面白い人だと思っていたが、今回、本書を読んで感服。例によって、読み終えていない著作を読み進めることにする。

言葉の力、生きる力
柳田 邦男 新潮社 2002年8月15日読了 ISBN 4103223138



柳田邦男の取り上げるテーマはいつも重い。さらに、ご子息を亡くされて以来、時に過剰な思い入れと感じられる点もなくはない。それでも、読み終えてみれば、実にいろいろなことを考えさせる。

最近の日本への懸念は、僕もたくさん持っているが、当然柳田邦男も同じような心配をしている。でも、(当然ながら)彼の視点の方が、遙かに深く多様である。
本書を読んでいて改めて気づいたことであるが、世の中の変化を論じるに際しては、当然ながら、単に人間系の問題だけでなく、それを包み込んでいる、すべての事象を議論する必要があるということだ。すなわち、世の中(文化・文明・産業・技術・・・)の変化に、人間系がついていっていないことが、今の世界のありように大きく影響しているのではないかということだ。
一つの典型的な例が、インターネットが作り出した匿名性である。ここいう場での人間の振る舞いは、まさに言語に絶するわけであるが、なぜそんなことが起こるのか、確かに、よく考えてみる必要がある。

今すぐ、答えがでるとも思えないが、変化に対応した新しい「価値観」づくりと、変化に馴化する時間軸のバランスを落ち着いて考えないと大変なことになるのかもしれない。遅れているだけなのか、取り残されてしまったのか(回復可能か不可能か)も、結構微妙な問題かもしれない。

この世界に現役として関わっている我々に課せられた責任は重いということを、あらためて考えさせられた1冊である。

発火点
真保 裕一 講談社 2002年8月29日読了 ISBN 4062113252



こういう書き方をすると著者は怒るかもしれないが、「清く、正しく、美しく」が、真保裕一のキーワードと思う。前回は選挙、今回は犯罪被害者という社会性のあるテーマを取り上げ、そして、一度も斜に構えることなく人生を語る。

父の愛、母の愛、男女の愛、そして友情。
ミステリ仕立ての枠組みを守りながら、こういう抽象的なものが、よくこんなに一生懸命書けるなあといつも心から感心してしまう。

筋立ては、前の選挙のやつ(「ダイスをころがせ」)の方が、うまく書けているような気がする。今回のストーリーは、仮に主人公の推理が正しくても、それが人を殺す動機足りうるのか、私には納得できない点が残る。主人公の推理そのものも、やや無理が多い。あえてそういうストーリーにしているのかもしれないが、結果的に、「赦し」の枠組みが曖昧だと思う。何は赦されて何は赦されないのか。

まあ、しかし、以上は言いがかりのようなもので、読んで損をしたということは全くない。一服の清涼剤といえば、また真保さんは怒るかもしれないが、それはそれでとても立派と思う。

数学者の休憩時間他4冊
藤原 正彦 新潮社他 2002年11月8日読了 ISBN 4101248036他



藤原正彦シリーズ4冊。これで今のところ手に入る彼の本は全部読んだことになる。「心は孤独な数学者」は前に読んだ「天才の栄光と挫折」に近い書であるが、他の3冊は「日本を憂う書」。

特に教育、そして人の心について論じている。「情緒」(と彼はいうが、本来は「知性」とでもいうべきものではないか)の欠如もしくは喪失を徹底的に悲しんでいる。それなりに同感する点も多い事は確か。
ただ、完全にはついて行けないことも、一方で確かである。私は実業の世界に身を置いているから、彼ほど観念的にはなれない。彼の言う、経済至上主義的発想は大いにあると思うのである。(これは、世界を動かす最も重要な原理なのだから、これを無視するわけにはいくまい。)

今年たくさん読んできた本は、いずれも、いろいろな点で今の日本を憂えている。私も、心配している。その根本に近いところに「若者の問題」と「教育の問題」があるのは多分確かだろう。その先をどう考えるか。こういうものを読むと、考えれば考えるほど、難しいなあと最近思う。

あと、「数学者休憩時間」の圧巻は、父君の旅の跡を追う最後の部分。一度も、新田次郎をきちんと読んだことのない私としては、ちょっとたじろぐ。一度読んでみるべきだなあと思うが、機会を逃すとなかなか読めない本というのは結構たくさんあるのである。

(後日注)2006年春になって彼の著書「国家の品格」がベストセラーになった。上記の一連の書の主張を更に徹底したものだと思われるが、読んでいない。上記の時点で少し書いているように、彼の主張は、私にはいささか違和感があり、ここへ来てそれがますます大きくなったという気がする。読まずにとやかく言うのはいけないことだが、あまりに「観念的」というか文字通り「情緒的」にすぎるのではないのかと思っている。

海辺のカフカ(上)(下)
村上 春樹 新潮社 2002年9月25日読了 ISBN 4103534133/4103534141



こういう本の感想は書きにくい。どう書いても、それは部分的な感想にしかならないような気がする。

これは、人間の精神世界の成熟に関する複雑なテーマを扱っている話だと思う。でも、無理矢理にこの本のメッセージの意味など考える必要はないと思う。ただただ面白い。

人が人であるために、感じて、考えて、記憶して、思い出して・・・・という話だ。
また、(そういう読み方は間違いかもしれないが、)人間が人間であるための感性のようなものが、どこかで確実に損なわれつつあるという危機感が、この本の底流に強く流れているようと思う。
とはいえ、先ほども書いたが、そういう理屈など全く必要なく、無条件に面白い。村上春樹を代表する作品と言ってもいいのではないだろうか。

加えて、音楽、食べ物、服装、車・・・、これらのディテールの圧倒的な気持ちよさ。そして登場人物の圧倒的な「人間」としての確かさ。

村上春樹さんは、すごい人です。

風のかなたのひみつ島
椎名 誠 新潮社 2002年9月26日読了 ISBN 4103456159



出張の四国往復の間に読了。仕事とは言え、旅先で読むのにちょうど良い本。

今頃、「紀行文」などという言葉は、あまり使わないかもしれないが、椎名さんの「紀行文」はいつも大変に面白い。天性の旅人なのだろう。しかし、その彼も、行く先々で、壊れゆく日本と、その中に残る美しい日本を書き込んでいる。これほど、誰もが憂いているのにどうして、何とかならないものなのだろうか。
まったく。(小生も、壊す側に回っているという可能性はあるのだ・・・。難しい問題である。)

この本にでてきた、玄界灘にある何とかという島に是非一度行ってみたいものである。

加藤周一、高校生と語る
加藤 周一 かもがわ出版 2002年11月13日読了 ISBN 4876996202



加藤周一は私が最も尊敬する知識人。従って、関連する書物はできるだけ読もうと思っている。

本書は、加藤周一と高校生の討論が本の形にまとまったもの。どうしてこういうものができたのか、経緯はよく分からないが、あまりに役者が違いすぎて、議論になっていない。
近頃の高校生は、本当に勉強してないんだなあと思う。(自分のことを棚に上げた形になるかもしれないが、それにしても、こんなにひどいことはなかったと思う。)また、イデオロギーのかけらも感じられない。高校生がいたずらに政治的発言をするのもおかしいが、とはいえ、精神の青春時代に、高い志を持った「思考の訓練」をしなければ、いつやるつもりだろうと思ってしまう。

これは僕の思い込み、或いは思い上がりなのだろうか。

「戦争と知識人」を読む
加藤 周一 青木書店 2002年11月29日読了 ISBN 4250990206



加藤周一の1950年代の著作「戦争と知識人」を精読した「凡人会」による読書記録とメンバーと加藤との討論を記した書。
前に読んだ高校生との討論と違って、実に読み応えあり。
なにより、加藤の著作を、あのように真剣に読んでいるグループが身近に存在するということに驚いた。(地理的にも本当にすぐ近くだ。)

この「感想文」の中で、小生は度々日本に対する懸念や問題点を述べているが、この本を読んでいると、その根っ子のところとにあるのは、日本の「知識層」、日本を「リードする階層」−いってみれば、エリート層−の不十分さなのだとそう思えてくる。そして、その点、昔から何も変わっていないのだ。
小生が、その層の端くれに属するかどうかは難しいところであるが、その責任をこれまで果たしてきたか、そして、今後の重要な局面で、その責任を果たすことができるか−−−と問われれば、はなはだ心許ないのではないかという気がしてきた。
本書は、日本の知識人のいわば「行動原理」について論じた書であるが、いかに、日本の知識人の行動原理が、きちんとしていないかは、この書による厳密な考証を待つまでもなく明らかであろう。

誘拐の果実
真保 裕一 集英社 2002年12月14日読了 ISBN 4087753182



これは面白かった。彼の作品は、いつも、(多分)意図的に重いテーマとセットになっているものが多いが、この本テーマは「命の重さ」とでもいうべきものだ。
こういうテーマは下手をするとするとうさんくさくなると思うのだが、彼の筆にかかると、テーマの持つ緊迫感が、かえって作品の格調を高くする。こういう力は抜群ではないだろうか。日常生活の中で、さりげなく重いテーマを扱う物語は多い。しかしこうやって大上段に振りかぶって、迷走しない点は、たいしたものだと思う。
(女流では、某作家が同じようなことをやろうとしているようだが、「私は、ミステリー作家ではない。」などと口走るようでは、いかがなものかと私は思う。)

一気に読み切ったあと、少し考えてみると、主人公の若い二人の行動原理がよく分からないような気もする。他の登場人物が、(多少ステレオタイプながらも、)明確な行動原理を持っているのに比べて、やや腑に落ちない。しかし、そこが完全に腑に落ちてしまえば、ミステリーにはならないのだろうから、まあ、良しとせざるを得ないだろう。

相変わらず、2段組の500ページと、量で圧倒されるが、これは、重さだけの中身はあったろう。次作も期待したい。

半落ち
横山 秀夫 講談社 2002年12月14日読了 ISBN 4062114399



ここから、年末恒例、ミステリー三昧。

視点が変わる度に(すなわち物語が進む度に)、一つずつベールがはがれ、一つずつの人生の重みが加わっていく。そして、きれいな結末。確かにうまく書かれている。
短編も得意な人らしく、実に無駄がない。(ページの多さを競う最近の傾向から考えれば、あっさりとしすぎているという気さえもする。)

テーマは、やはり命。臓器移植は、命のやりとりだから、いずれこういうテーマが現れるだろうという気はしていた。(もっとも、本書は、実際に臓器を移植しているわけではないから、読み手のいささか負担は小さくて済む。)

読み終えて、特に何の不満もないが、それでもこれが本年の「ベストワン」なのかなあという感じは残る。佳品ではあるが、大傑作かどうか・・・。

十八の夏
光原 百合 双葉社 2002年12月20日読了 ISBN 4575234478



今年のこのミスで見つけるまでこの著者のことを知らなかった。

連作短編集。ちょっと、ムラなところがある気はするが、切れている時の味は素晴らしい。
とはいえ、実に大好きなタイプだから、全く気分良く読了。

この著者のミステリーは、まだ他に2冊あるようなのですべて読むことにする。

流星ワゴン
重松 清 講談社 2002年12月26日読了 ISBN 4062111101



重松清の本は何となく敬遠していたが、この本は、恥ずかしながら、いささか感動した。

その理由は、次の二つ。

一つ目は、「運命とはいかなるものか。」あるいは、「人生は努力により変えられるか。」というもっとも普遍的なテーマを、ここまで堂々と表に立てて、かつ、ゆるむことなく書ききる力。
もちろん本書の答えは「イエス」であるが、こんなテーマを、今時、衒いもせずに堂々と掲げて、そして、この結論を納得させるところに感動。

二つ目は、ストーリーそのもの。
本書のもう一つのテーマは、家族であるが、「親子」、「夫婦」というもっとも基本的なユニットを取り上げ、これだけきちんと描くのも、素晴らしい。登場する、すべての親子と夫婦は本当に生きている感じがする。

これを読んで、明日からもっと一生懸命やろうと思わない人は、人間として壊れているだろう。そんな本が、作れると言うこと自体が、ちょっと不思議である。
「まっすぐ、優しく、ひたむきに」で、読むに耐える小説を作る力に感服した。

最初にも書いたとおり、この「真っ当路線」を少し敬遠していたが、どうも、それは間違っていたような気がする。

グッドラックららばい
平 安寿子 講談社 2002年12月31日読了 ISBN 4062113228



今年最後の本を読了。多分45冊。(50冊は読みたかった。来年の目標は100冊としたが、ちょっときついか。)偶然ではあるが、今年の読書記録は、平安寿子で始まり、平安寿子で終わった。

これも、面白い本である。趣は大分違うが、家族をテーマにしている点では、「流星ワゴン」と共通点がある。こういうテーマが目立つのは、たぶん「家族」というものが、わかりにくくなっているからだろう。そして、それは、「種」としての人間が、壊れていく兆しのようなものだと思う。

積子という、作者の分身のようなお姉さんが、淡々と語る「人間関係観」が、一番共感を呼ぶのは、作者の計算だろうが、「人間関係観」に目がいく世の中でもあるのだろう。
平安寿子と重松清は、最近の日経新聞の読書欄(「エンターテインメント書評」)でも、最新刊が評価されていたから、もっとも旬な作家なのだろう。ということは、世の中の人がみんな人間関係に疲れているのかもしれない。

2002年も終わろうとしている。充実した1年だったが、忙しい年でもあった。来年も、こうして、たくさんの本が読めることを祈って、今年の読後感想を締めくくる。

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