秋の名月にススキは切っても切れない花である。
十五夜(陰暦八月十五日)や十三夜(陰暦九月十三日)に芋や豆のお供え物と共にススキを飾って月見をする風習は9世紀から10世紀に始まり、江戸時代には一般庶民にまで広まった。
十五夜にお供え物をし、月を崇める風習は中国から伝来したものであるが、十三夜は日本独自のものである。 収穫を祝い、翌年の豊作を祈願する日にススキが飾られたのはススキに呪術力があるとされ、又、ススキが萱(かや)として屋根を葺(ふ)く材料や、炭俵の材料等、生活に切り離せない植物であった事による。
一方、秋の七草として万葉の頃から愛でられ、万葉集には 「人は皆 萩を秋と言う よし吾は 尾花がすえを 秋とぞ言はむ」 と秋を代表する花として、又 「秋づけば 尾花が上に 置く露の 消ぬべく吾は 思ほゆるかも」 と秋の物思いを歌った素材として日本人の心を捉える花であった。 江戸時代には蕪村が 「狐火の 燃えつくばかり 枯れ尾花」 と詠んでいる。 尾花はススキの古名である。
ススキはイネ科の典型的な人里植物で、日本の暖地の自然林を伐採するとまずススキが現れ、ススキ草原を形成する。 放っておくと再び自然林に帰っていくが、古来から有用な植物として年に一度の刈り取りや火入れによってススキ草原は保持され、屋根を葺(ふ)く萱(かや)として、又炭俵の材料として使われ、地下茎は風邪、腫れ物、利尿の薬となった。
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