東京地判昭和58年12月23日(昭和54年(ワ)第11717号)

1.事案の概要
  X(原告)らは,昭和39年4月1日頃,Y(被告)の取締役に就任し,Yの主たる業務である金属加工の技術の開発,従業員の指導,時計バンド材料,眼鏡材料,その他工業材料の製造に携わってきた。
  Xらは在任中,次の(1)ないし(4)の職務に属する発明(以下,(1)の発明を「金張発明」,(2)の発明を「線素材発明」,(3)の発明を「クラツド板発明」,(4)の発明を「連続クラツド発明」という。)をした。
    (1)発明の名称 ステンレス金張製造法
      発明の時期 昭和40年10月
      発明者 X両名
    (2)発明の名称 複合金属線素材の製造法
      発明の時期 昭和42年夏
      発明者 X1,【C】,【D】
    (3)発明の名称 異質クラツド板の製造法
      発明の時期 昭和44年末
      発明者 X両名,【C】,【E】
    (4) 発明の名称 連続クラツド装置
      発明の時期 昭和48年1月
      発明者 X両名,【E】,【C】,【F】
  Xらは,Yに対し,線素材発明及びクラツド板発明について,特許を受ける権利を譲渡し,Yは,これらにつき特許出願をし,前者につき次の(1)の,後者につき次の(2)の特許権を取得した。
    (1)特許番号 第677819号
      出願日 昭和42年9月22日
      公告日 昭和47年8月19日
      登録日 昭和48年2月13日
    (2)特許番号 第895626号
      出願日 昭和45年2月12日
      公告日 昭和52年3月8日
      登録日 昭和53年1月30日
  Xらは,(1)ないし(4)の職務に属する発明についての対価を求めて出訴した。

2.争点
(1)Xらの職務発明の対価請求権は時効により消滅したか。
(2)Xらは,クラツド板発明について,特許を受ける権利をYに譲渡したことに対して,相当の対価の支払を受ける権利を有するか。
(3)連続クラツド発明についてのXらの対価請求権の存否について。

3.判決
 一部認容,一部棄却。

4.判断
「一 証人【H】,同【I】,同【C】の各証言及びX1,X2各本人尋問の結果によれば,遅くとも昭和40年10月ころまでに,当時Yの技術担当の取締役(常務)で技術関係の総責任者であつたX1,Yの製造担当の取締役(製造部長)で製品製造の責任者であつたX2(Xらが在任中を通じこれらの役職にあつたことはYの自認するところである。),Yの研究室員であつた【C】らが何らかの形で関与することによつて,別紙(一)のとおりの技術的思想の創作すなわち金張発明が完成されたこと,これについて,X1は,特許出願すれば必ず特許されるとの確信を得たが,当時ステンレス金張の技術を有していた企業は他に全くなかつたし,当時のYは技術面においてはまだまだ弱体であつたから,これを特許出願して公開すると,競争企業にヒントを与える結果になり,必ず追い抜かれることになると考え,これをノウ・ハウとして秘匿することがYの利益になると判断し,Yの役員会においてその趣旨を説明し,あえて特許出願をしないものとしたこと,その後,金張発明はYにおいて実施されたことが認められ,以上の認定を覆すに足りる証拠はない。
  また,成立に争いのない甲第2号証,証人【I】,同【C】の各証言及びX1本人尋問の結果によれば,前記役職にあつたX1,【C】及びYの従業員でX2の補佐役であつた【D】の三名が関与して別紙(二)のとおりの技術的思想の創作すなわち線素材発明が完成され,これについての特許を受ける権利が発明者らからYに譲渡されたことが認められ,線素材発明が,Yにより,昭和42年9月22日特許出願され,昭和48年2月13日特許登録されたことは,当事者間に争いがない。
二 そこで,次に,抗弁2(消滅時効の援用)について検討する。
  1 職務発明について,特許を受ける権利を使用者に承継させたときは,発明者である従業者は相当の対価の請求権を取得するが,特許法第35条第3項の解釈上,右請求権の発生するのは,特許を受ける権利の承継の時であると解するのが相当である。これは,同法において,「特許を受ける権利」が特許権とは別個の独立した権利とされており(同法第33条),右の対価が「特許を受ける権利」を承継させることに対する対価である以上,当然のことであるというべきである。したがつて,右請求権についての消滅時効は,その行使をすることができる時,すなわち承継の時から進行する。
    Xは,この点に関し,対価を登録報酬と実施報酬とに分けて,種々論じているが,特許を受ける権利を承継した使用者が,特許出願するか否か,これを実施するか否かは,譲受人たる使用者の自由であるから,Xのような解釈をとると,出願も実施もしない場合には対価の請求をすることができなくなり,不合理である。また,特許を受ける権利という一個の権利の一回的譲渡の対価は,譲渡時において一定の額として算定しうるはずのものであるから,後に登録になつたか否か,実施により利益を生じたか否か等の事情によつて,対価の額がその時点で初めて定まると解するのは,相当でない。これらの事情は,後日になつてから譲渡時における「相当の対価」を評定するに当たり参考とすることはできるが,これを直接の算定根拠とすることは妥当でない。特許法第35条第4項は,対価の額の算定につき,「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」を考慮すべきことを定めているが,右利益は,「受けるべき利益」とされていることから,その発明により現実に受けた利益を指すのではなく,受けることになると見込まれる利益,すなわち,使用者等が当該権利承継により取得しうるものの承継時における客観的価値を指すものであることが明らかである。
    なお,原本の存在及び成立について争いのない乙第5号証及び成立に争いのない乙第8号証によれば,職務発明に関する規程を有する我国の企業においては,一般に,特許等の出願時に出願補償として,特許等登録時に登録補償として,又は実施をしたときに実績補償として,金員を支払うこととしているものが多いことが認められるが,これらはあくまで,社内規程による具体的取決めがある企業における実態を示すものにすぎず,このような規程を持たない場合に,特許法第35条第3項,第4項の規定に基づいて対価の請求をする場合についての解釈を左右するものではない。
  2 次に,Xは,いわゆるノウ・ハウに関しては,対価請求権の消滅時効期間は,実施により利益を生じた時から進行する旨主張するので,これについても検討する。
    特許法第35条の職務発明は,特許発明に限定されてはいないから(同条第1項),発明でありさえすれば,特許されたものであろうとなかろうと,同条の適用があるものと解される。したがつて,いわゆるノウ・ハウについても,その内容が発明の実質を備えるものであれば,同条の職務発明となりうる。
    ところで,従業者のした発明を,使用者の営業上の利益を守るため,ノウ・ハウとして秘匿し,使用者においてのみ独占的に実施する旨の使用者と従業者間の合意は,いわば,当該発明についての特許を受ける権利を使用者の支配下におき,これを使用者の意思によつてあえて特許出願をしないものとするのであるから,通常の場合には,右合意のときに特許を受ける権利の承継があるもの又はこれと同視してよいものというべきである。したがつて,特段の事情のない限り,右合意の時に,特許を受ける権利の承継があり,その対価の請求権が発生するものというべく,対価請求権の消滅時効期間も,通常の特許を受ける権利の譲渡の場合と同じく,右の時から進行するものというべきである。
    3 Xは,また,対価請求権の消滅時効期間は15年である旨主張するが,そのような規定は存在せず,右主張はX独自の見解というのほかはなく,右主張は採用しない。
    4 前記認定の事実によれば,金張発明は遅くとも昭和40年10月ころには完成し,これをYの利益のため特許出願しない旨の合意が発明者らとYとの間で成立したものであるから,そのころ,発明者らからYへ特許を受ける権利が譲渡されたものと推認され,右認定を左右するに足りる特段の事情は認められない。また,前記認定の事実によれば,線素材発明については,遅くともその特許出願のされた昭和42年9月22日までに,発明者らからYに対し特許を受ける権利が譲渡されたものと認められる。そして,本件訴訟の訴状が当裁判所に提出されたのが昭和54年11月27日であることは,本件記録上明らかであり,また,請求の原因10については当事者間に争いがないから,Xらが金張発明及び線素材発明に関する対価の支払をYに対し催告したのは昭和54年7月24日であつたことになる。そうすると,金張発明が発明の実質を備えたものであるか否か,Xらがその発明者であるか否か,また,X1が線素材発明の発明者であるか否か等の点について,Xらが請求の原因において主張する事実がすべて認められるとしても,これらの発明に関するXらの各対価請求権は,右催告時には,いずれもその権利を行使しうる時から各10年を経過していることが明らかであるから,Yの消滅時効の援用により,時効消滅したものといわざるをえない。したがつて,Yの消滅時効援用の抗弁は理由がある。
    5 以上のとおりであるから,金張発明及び線素材発明に係るXらの請求は,その余の点について検討するまでもなく,失当であることに帰する。
三 クラツド板発明についてのXらの対価請求権の存否について検討する。
  1 成立に争いのない甲第1号証,証人【F】,同【E】,同【C】の各証言及びX1本人尋問の結果を総合すると,前記の役職にあつたX両名,当時のY研究室長【E】,【C】に,当時のY研究室員【F】及び【J】も加えた6名が,何らかの形で関与することによつて,昭和44年末ないし昭和45年初めごろ,別紙(三)のとおりの技術的思想の創作すなわちクラツド板発明がされ,これについての特許を受ける権利が,発明者らからYに譲渡されたことが認められ,Yが,昭和45年2月12日,クラツド板発明について特許出願し,これが,昭和53年1月30日,特許登録されたことは,当事者間に争いがない。
  2 前記甲第1号証によれば,クラツド板発明の特許出願の願書においては,同発明の発明者は,【C】,【E】,X2及びX1の4名とされていることが認められる。そして,証人【F】,同【E】,同【C】の各証言及びX1本人尋問の結果を総合すると,クラツド板発明が完成されるに至つた手順等について,次の各事実が認められる。
    (一)X1が全体の作業を総括指揮した。
    (二)具体的な実験,研究等の作業は,研究室に任され,【C】を中心として作業が行われた。
    (三)主として【C】が提案したアイデアについて,研究室内で,また時にX1及びX2も加わつて,討議をした。
    (四)研究室における討議とは別に,X両名及び【E】研究室長による討議が,X1を中心に行われた。
    (五)研究室での研究,討議等の結果は,【E】がとりまとめてX1及びX2に報告し,これに対し,研究開発の大筋に関する事項について,Xらから【E】に具体的な意見,指示が出され,これを【E】が研究室に持ち帰るということが繰り返された。
    (六)また,【C】は,X2に相談を持ち掛け,具体的な指示を受けた。
    (七)特許出願に際し,発明者を前記四人と表示することは,X1が裁定したが,これについては,右4人共,当時も現在も特に異存がない。
    そして,X両名,【E】,【C】の学歴及び社歴が,請求の原因3(二)の(1)ないし(4)のとおりであることについては,当事者間に争いがない。
    以上の各事実と弁論の全趣旨を総合考慮すれば,クラツド板発明の発明者は,X両名,【E】,【C】の四名であり,同発明についての特許を受ける権利の共有持分は,同発明完成のための寄与の程度に従い,各人が25パーセントを取得したものと認めるのが相当である。この認定を左右するに足りる証拠はない。
  3 Yの主たる業務が金属加工であることは,Yが明らかに争わないから,自白したものとみなされ,また,X1がYの技術担当の取締役で技術関係の総責任者であつたこと,X2がYの取締役製造部長で製品製造の責任者であつたことは,前記のとおりである。したがつて,別紙(三)のとおりのクラツド板発明は,Yの業務範囲に属することが明らかであり,また,新規なクラツド板の製造方法の開発は,技術又は製造の責任者であるXらの職務範囲というべきであるから,クラツド板発明は,Xらの職務に属する発明と認められる。
  4 したがつて,Xらは,右各持分に応じて,クラツド板発明について,特許を受ける権利を前記認定のとおりYに譲渡したことに対して,相当の対価の支払を受ける権利を有する。
四 次に,連続クラツド発明についてのXらの対価請求権の存否について検討する。
  1 成立に争いのない甲第19号証,証人【F】,同【E】,同【C】の各証言及びX1本人尋問の結果によれば,前記の役職にあつたX両名,【E】,【C】及び【F】の5名が関与することによつて,昭和49年末ころまでに,別紙(四)のとおりの技術的思想の創作すなわち連続クラツド発明が完成されたことが認められる。なお,X1本人尋問の結果中には,発明完成の時期について昭和48年暮ころとの部分が存し,X2の尋問結果中にもこれに沿う部分があるが,後記認定のとおり,発明完成後間もなく,実験用に試作した連続クラツド装置を生産用に転じたこと,その時期が昭和50年9月であること,Yの第20期(昭和50年3月から昭和51年2月まで)決算報告書(甲第19号証)の当期営業概況の欄に「ようやく完成の域に達した新技術」と記載されていることから,発明完成時期は,昭和49年暮ごろと認むべきである。
  2 連続クラツド発明については,発明の実質を備えていたか否かにつき争いがあるから,この点につき検討する。右各証拠によれば,連続クラツド発明の完成により,クラツド板発明においては製造されるクラツド板の長さが炉の大きさに限定され,Yにおいては約60センチメートルのものまでしか製造することができなかつたものを,理論上は無限に長いものを製造することが可能となり,生産性及び商品価値が飛躍的に増大したこと,連続クラツド発明のほかには,このように長尺のクラツド板を作成する技術がなく,需要者においてこのような製品が切望されていたこと,Y研究室において文献を研究したり,中外電工株式会社の線材を連続的にクラツドする装置を見学したりしてヒントを得たが,クラツド板についての技術ではなかつたこと,連続クラツド発明については,線素材発明及びクラツド板発明と同様に特許出願をするために,X1が【E】に指示して,同人及び【C】が明細書の草案を作成したが,実験用に試作した連続クラツド装置によりそのまま実際の生産を開始することになつたり,生産用の装置を作成しなければならなくなつたことから,研究室員が多忙となり,時期を失したため,遂に特許出願するに至らなかつたこと(Yの研究室員が明細書の草案を作成したが,出願するに至らなかつたことは,当事者間に争いがない。)が認められる。そして,別紙(三)と(四)とを対比すれば,連続クラツド発明がクラツド板発明と全く別個の技術的思想の創作であることが明らかである。これらの事実に,前記のとおり,クラツド板発明が昭和45年2月12日に出願され特許登録されたこと及び弁論の全趣旨を総合すれば,連続クラツド発明は,発明の実質を備えていたものと認めるのが相当である。
  3 そして,X1本人尋問の結果によれば,Yにおいては,右発明完成当時,新しく開発した技術について特許出願するか否かは,技術面に関する最高責任者であつたX1が決めて取締役会に報告する慣行であつたこと,連続クラツド発明についても特許出願準備中である旨をX1が取締役会に報告したことが認められ,この事実と,前記認定のX1の指示により【E】,【C】が明細書草案を作成した事実,線素材発明及びクラツド板発明についてはいずれも出願前に特許を受ける権利がYに譲渡された事実によれば,連続クラツド発明についても,その完成の直後ごろに,特許を受ける権利が発明者からYに譲渡されたものと推認することができ,これを覆すに足りる証拠はない。
    Yは,この点に関し,まず,特許出願の準備が整つていない段階でYが特許を受ける権利を譲り受けたとは考えられないと主張するが,特許を受ける権利の譲渡がいつなされるかについて,原則的時期があるものと認めることはできず,証人【F】,同【E】,同【C】の各証言,X1本人尋問の結果によれば,本件の4つの発明を通じて,特許出願をするか否かの決定は,発明者らにおいてなされたものではなく,Yにおいてされたものと認められるから,前記のとおり,連続クラツド発明についても,線素材発明及びクラツド板発明についてと同様,特許出願をする予定で明細書作成の作業にとりかかつた等の事実から,Yが特許を受ける権利を自己の支配下に移し,特許出願をする方針であつたことを推認することができるものというべきであり,前記のとおり特許を受ける権利の譲渡があつたものと推認するのが適当である。
    また,Yは,抗弁1において,連続クラツド発明についての特許を受ける権利をXらからYが譲り受けたとすると,それは取締役と会社間の自己取引に当たり,取締役会の承認がなければ無効である旨主張する。しかし,前記認定の事実によれば,X1が連続クラツド発明につき出願準備中である旨の報告をした時点で,取締役会の承認があつたと認むべきであるから,結局,右主張も理由がない。すなわち,前記のような慣行の存在の下で,X1が出願準備中との報告をした場合,当該出願が,線素材発明及びクラツド板発明と同様,特許を受ける権利を譲り受けた上,Y名義によりされるものであることを当然意味すると見られ,既に出願準備を進めているということは,近くY名義で出願することを予定している旨の報告と解されるから,特許出願に関する事項につき事実上の判断権限を有し,最高責任者である担当取締役が,その旨の報告をし,これに対し何らかの異議が他の取締役から述べられたことを認むべき証拠はないから,これが承認されたものと推認すべきである。
  4 証人【F】,同【E】,同【C】の各証言及びX1本人尋問の結果を総合すると,連続クラツド発明が完成されるに至つた手順等について,次の各事実が認められる。
    (一)X1が全体の作業を総括指揮した。
    (二)研究室において研究開発にとりかかる前に,当時入院中の【E】研究室長に対し,X1が,原理図を示しながら,連続的にクラツドする装置の構想を語つた。その後,研究室において種々検討し,他の手段についても研究したが,結局,X1の語つたものに極めて近い原理を用い,それを簡素化したものとして完成されるに至つた。
    (三)中外電工株式会社において線材を連続的にクラツドする技術を開発していることを知つて,【E】,【C】,【F】が同社を訪れ,細かな説明はノウ・ハウであるとして受けられなかつたものの,その概略についての知識を得,また外国の参考文献をもらい,カーボンの間をクラツドすべき金属を移動させながら加熱加圧するという発明の重要なヒントを得て,これを板材に応用することにした。
    (四)具体的な実験,研究,討議の手順及び分担は,クラツド板発明の場合とほぼ同様であつた。
    (五)装置の完成に至るまでの細かい工夫は,【C】が中心となり,【E】,【F】の3名で行つた。
    (六)X2は,主として工場における製造に際しての安全性の面と,クラツド板の品質の面から,討議の場で,また個々的にX1,【C】等に意見を述べ,指示をした。
    そして,【F】の学歴及び社歴が請求の原因3(二)(5)のとおりであることは,当事者間に争いがない。
    以上の各事実と,前記X両名,【E】,【C】の学歴及び社歴並びに弁論の全趣旨とを総合考慮すれば,連続クラツド発明の発明者は,X両名,【E】,【C】及び【F】の5名であり,同発明についての特許を受ける権利の共有持分は,同発明完成のための寄与の程度に従い,X1が50パーセント,X2が10パーセント,【E】が20パーセント,【C】,【F】が各10パーセントを取得したものと認めるのが相当である。この認定を左右するに足りる証拠はない。
  5 別紙(四)のとおりの連続クラツド発明が,Yの業務範囲に属し,Xらの職務に属する発明であると認められることは,クラツド板発明について判示したところと同様である。
    したがつて,Xらは,右各持分に応じて,連続クラツド発明についても,特許を受ける権利を前記認定のとおりYに譲渡したことに対して,相当の対価の支払を受ける権利を有する。
五 三及び四において認定した事実に基づきXらが取得した各対価請求権によつてXらが請求しうる対価の額は,各発明によりYが受けるべき利益の額と,各発明がされるについてYが貢献した程度を考慮して定めなければならない。
  ところで,職務発明については,これが特許されたときに,使用者は,法律上当然に,無償かつ無制限の通常実施権を有する(特許法第35条第1条)。当該発明について特許がされる前,また,特許を出願しなかつた場合には,実施権という観念は法律上存在しないが,右規定の理は,この場合にも同様に適用されるべきである。すなわち,発明について特許を出願しない場合は,理論上は万人が実施しうるわけであるが,これがノウ・ハウとして秘匿されるときは,事実上,これを知つている使用者のみが実施しうることとなるところ,この実施も,当然に無償かつ無制限のものというべきであると解される。
  右の点を考慮すると,職務発明がされた場合,当該発明を無償で実施する権限を有するという点においては,使用者が従業員から特許を受ける権利を譲り受けた場合と譲り受けなかつた場合とにおいて差異はなく,職務発明について従業者から特許を受ける権利を譲り受けることにより,使用者は当該発明につき特許出願をして登録を受ければ,あるいは,これをノウ・ハウとして秘匿すれば,発明の実施を排他的に独占しうる地位を法律上又は事実上取得できる点において,右権利を譲り受けない場合との差異が生ずるというべきである。したがつて,譲渡の対価の額を定めるに当たり考慮すべき「発明により使用者が受けるべき利益」とは,使用者が発明を実施することにより受けることになると見込まれる利益を指すのではなく,右のような地位を取得することにより受けることになると見込まれる利益を指すものと解するのが相当である。
  そして,右のような地位は,未だ特許を受けておらず,排他的独占権が現実のものとなつていない点,及び特許を受けることができるか否かが不確実であるという点等において,発明者である従業者により特許出願がされ,特許を受けた後に,特許権を譲り受けることによつて使用者が取得する地位とは,異なるものであり,これに従つて,前記の利益の額も,それぞれの場合ごとに異なるものといわなければならない。
  そして,職務発明についての特許を受ける権利の譲渡の対価請求権は,前判示のとおり,譲渡時において発生し,その額も客観的に確定するものであるから,その時を基準時として,以上のような観点から,その額を算定すべきである。
六 そこで,まず,クラツド板発明についてXらが請求しうる対価の額について判断する。
  1 XらがYに対しクラツド板発明について特許を受ける権利の共有持分を譲渡したのは,前記認定のとおり,昭和44年末ないし昭和45年初めころであつたところ,前記甲第1,第19号証,成立に争いのない甲第12ないし第18号証,第20,第21号証,乙第1,第2号証の各1・2,原本の存在及び成立に争いのない乙第6号証,証人【F】,同【E】及び同【C】の各証言並びにX1,X2各本人及びY代表者各尋問の結果を総合すれば,次の各事実が認められる。
    (一)Yは,従来用いていた方法では,約20センチメートルの長さのクラツド板の製造しかできず,これを圧延して約5ないし6メートルの長さのクラツド板製品を製作することができるにすぎなかつたのに,クラツド板発明を実施することにより,約3倍の約60センチメートルの長さのクラツド板の製造ができ,これを圧延することによつて約15ないし18メートルの長さのクラツド板製品を製作することが可能となつた。製品の長さが約三倍になることにより,より長尺のクラツド板を求めていた需要者の要望にある程度応えることができた。
    (二)また,クラツド板発明の方法によれば,従来の方法に比し,熱効率がよいため,生産に要する時間を短縮することができ,長尺化と相まつて,生産性が高くなつた。
    (三)更に,従来の方法に比し,加圧方式が安定したこと等により,製品の品質も向上した。
    (四)Yは,昭和45年11月に,クラツド板発明を実施するための装置を備えた工場を完成し,稼動を開始した。
    (五)その後,クラツド板発明を基礎にして連続クラツド発明がされ,更に長尺のクラツド板が製造可能となり,昭和50年9月に実験用の連続クラツド装置が生産の分担を開始し,昭和51年ころから本格的に連続クラツド装置が稼動するようになつた。
    (六)Yは,クラツド板発明を時計バンド材料と工業材料であるステンレス金張等の板材の生産に使用した(クラツド板発明を時計バンド材料及び工業材料の生産に使用したことは,当事者間に争いがない。)ところ,昭和45年ころから昭和50年ころにかけては,日本経済界全体としては,それまでの好況から,景気が下向きに転じ,また,昭和48年4月1日に金が自由化されたという状況下にあつて,工業材料の売上高は増減をくり返したが,時計バンド材料の売上高は,時計業界が輸出が堅調なこともあつて,総じて安定した伸びを示した。昭和45年度から昭和50年度まで(年度は,3月1日から翌年2月末日まで)のYの時計バンド材料及び工業材料の売上高は,別紙(六)及び別紙(五)の該当欄のとおりであり(別紙(五)については,当事者間に争いがない。)右(四),(五)の事実からYがクラツド板発明を実施した主要な時期を昭和45年11月から昭和51年2月までと見ると,この間の時計バンド材料及び工業材料の売上高の合計は,30億2920万7000円となる(昭和45年11月から昭和46年2月までの売上額は,昭和45年度の売上額の3分の1として,1000円未満を四捨五入する。)。右各年度における右両材料の売上高の合計がYの全売上高に占める割合は,平均約86パーセントであり,この間のYの売上総利益から一般管理販売費を差引いた営業利益は,別紙(七)の該当欄のとおりであつた。
    (七)Yと競争関係にあつた株式会社山本金属研究所が,昭和45,6年ごろに倒産し,それ以降,Yは,主要な競争会社が存在しない状況下で,加工用ステンレス金張材料について90パーセント以上の市場占有率を有していた。
    (八)Yが金張業界で確固たる地位を築いていたのは,ステンレスに金張を施すことを初めて可能にした金張発明によるところが大きく,これに比較すれば,クラツド板発明がYに与えた利益は相対的に小さいといつてよい(Xの主張する実施料率が,金張発明は1パーセントであるのに対して,クラツド板発明は0.5パーセントであることも,このことを示している。)。
    (九)Yの研究室は,昭和40年ころに新設されたが,当初はほとんど試験,研究のための機器がなかつたところ,クラツド板発明がされるころまでには,除々に設備が充実し,ビツカース硬度計,金属顕微鏡,引張試験機,環境試験機,電気炉等が装備されていた。クラツド板発明は,すべて,勤務時間中に,これらの機器及びYの工場の製造用設備を使用し,工場の製造担当の従業員の協力を得,また,Yの提供したマイカ,ステンレス鋼等の資材を用いて,実験,装置等の試作が行われた結果,完成されたものである。ただし,資材等に要した費用は,それほど多くはなかつた。
    (一〇)Yの昭和44年度から昭和50年度までの従業員数の推移は,別紙(八)の該当欄のとおりであつた。
    (一一)クラツド板発明に関し,【C】が,昭和45年11月25日,Yの従業員就業規則第36条第1項第3号(業務上有益な発明改良又は考案のあつた場合の表彰)による特別功労者として表彰を受け,賞金10万円を授与されたが,他にクラツド板発明に関し表彰,賞金の授与,その他何らかの優遇措置を受けた発明者はいなかつた。
      そして,X両名を含む発明者のYにおける地位,職務が請求の原因3(二)のとおりであつたことは,前記のとおり,当事者間に争いがない。
  2 以上のとおり,Yはクラツド板発明について特許を受ける権利をXらから譲り受けてこれにつき特許権を得,時計バンド材料と工業材料の製造のために同発明を自ら実施し,これを実施した主要な期間と認められる昭和45年11月から昭和51年2月までの間に右両材料の販売により合計30億2920万7000円の売上を得たのであるが,前示のとおり職務発明について特許を受ける権利を譲渡した対価の額を定めるに当たり考慮すべき「その発明により使用者等が受けるべき利益」とは,使用者等が発明を実施することにより受けることとなると見込まれる利益を指すのではなく,発明の実施を排他的に独占しうる地位を取得することにより受けることになると見込まれる利益を指すと解すべきであるので,右売上額自体もしくは右売上額から材料費,一般管理費等の必要経費を差引いた営業利益をもつて,職務発明により使用者が受け取つた利益としこれに基づいて譲渡の対価を算定することは,相当でない。これに対し,職務発明について特許を受ける権利を従業者から譲り受けてこれにつき特許権を得た使用者が,この特許発明を他者に有償で実施許諾し実施料を得た場合,得た実施料は,職務発明の実施を排他的に独占しうる地位を取得したことによりはじめて受け取ることができた利益であるから,この額を基準に使用者の貢献度その他諸般の事情を考慮して譲渡の対価を算定することは十分に合理的であるといえる。
    そこで,本件において,Yがクラツド板発明を自らは実施せず第三者に実施許諾し,この第三者が同発明を実施して時計バンド材料と工業材料を製造しこれを販売したと仮定すると,右第三者は少くともYと同額の売上を得ることができたと推認でき,また,前記認定の諸事実に照らし,その実施料率は売上高の2パーセントを相当とすると認められるから,前記の30億2920万7000円に100分の2を乗じて得られる6058万4140円をもつて,クラツド板発明についてYがその実施を排他的に独占しうる地位を得たことにより受けることになると見込まれる利益と推認することができる。そして,このことと前記認定の諸事実から認められるところの同発明がされるについてYが貢献した程度その他諸般の事情を考慮すると,発明者らがYに対しクラツド板発明について特許を受ける権利を譲渡したことに対する対価は,全体で右6058万4140円の約10パーセント弱に当たる600万円とするのが相当であり,X両名は右の対価のうち各25パーセントの支払を受ける権利を有するから,各150万円の対価請求権を有するものと認められる。
    そして,XらがYに対し昭和54年7月24日到達の内容証明郵便によりクラツド板発明についてのX主張の対価を同書面到達後30日以内に支払うよう催告したことは,当事者間に争いがない。
七 次に,連続クラツド発明についてのXらの対価請求権の額について判断する。
  1 XらがYに対し連続クラツド発明について特許を受ける権利の共有持分を譲渡したのは,前記認定のとおり,昭和49年末ころであつたところ,前記甲第19ないし第21号証,成立に争いのない甲第22号証,乙第3号証の1・2,第4号証の1ないし3,第9ないし第11号証,証人【F】,同【E】及び同【C】の各証言並びにX1,X2各本人及びY代表者各尋問の結果を総合すれば,次の各事実が認められる(一部既述したものと重複)。
    (一)Yは,クラツド板発明の実施によつては,約15ないし18メートルの長さのクラツド板製品しか製作することができなかつたのに,連続クラツド発明を実施することにより,理論的には無限に長いクラツド板を,実際にも約180メートルの長さの製品を製作することができるようになり,より長尺のクラツド板を求めていた需要者の要望が満たされた。
    (二)右の製品の長尺化により,生産性が飛躍的に向上した。
    (三)連続クラツド発明を実施することにより,生産工程をオートメーシヨン化することが可能となつた。
    (四)前記のとおり,連続クラツド発明の構成のうち,カーボンの間をクラツドすべき金属を移動させながら加圧加熱するという点は,既に中外電工株式会社が線材に関して実施していたもので,これを参考にして,板材に応用したものであり,また,電熱体に生じた熱を伝達させることによりクラツドすべき金属を加熱するという点は,既にクラツド板発明において開発していたものを応用したものである。
    (五)前記のとおり,Yは,昭和50年9月に実験用の連続クラツド装置を生産用に転用し,昭和51年ころから本格的に連続クラツド装置による生産を開始して,その後も継続的に同装置を使用している。もつとも,最近では需要が減つたため,その使用もひところよりは減つている。
    (六)Yは,連続クラツド発明を時計バンド材料と工業材料であるステンレス金張等の板材の製造に使用した(連続クラツド発明を工業材料の製造に使用したことは,当事者間に争いがなく,同発明が板材金張生産量の40パーセント以上に使用されていることは,Xらの自認するところである。)ところ,昭和50年ころ以降,日本経済界全体としては,全般に景気が低迷し,昭和52年ころからは円高による輸出の不調,昭和五四年には金価格の暴騰等の状況であつたが,時計に関しては対米輸出の好調等から,時計バンド材の需要が大幅に増加し,クラツド板発明による生産性向上と相まつて,昭和51年から急速に売上高を伸ばし,昭和52年度には,売上高,利益とも過去最高を示した。しかし,昭和53年からは,時計の輸出も不調に転じ,金の暴騰等もあつて,需要が大幅に減少している。この間,工業材料の売上高は,やや上向きながら,一進一退を続けた。そして右(五)の事実から認められるところのYが連続クラツド発明を本格的に実施した昭和51年度から昭和56年度までのYの時計バンド材料及び工業材料の売上高は,別紙(五)及び別紙(六)の該当欄のとおりであり(別紙(五)については,当事者間に争いがない。),その合計は,99億5557万5000円となる。右各年度における右両材料の売上高の合計がYの全売上高に占める割合は,平均約84パーセントであり,この間のYの売上総利益から一般管理販売費を差引いた営業利益は,別紙(七)の該当欄のとおりであつた。
    (七)Yは,右の時期も,金張業界で独占的地位を保つていたが,根本的には,やはり,金張発明がこれをもたらしたものであり,連続クラツド発明がYに与えた利益は金張発明に比し相対的に小さいといつてよい(Xの主張する実施料率が,金張発明は1パーセントであるのに対して,連続クラツド発明は0.1パーセントであることも,このことを示している。)。
    (八)連続クラツド発明は,すべて,勤務時間中に,Yの研究室及び工場の前記のような機器,設備を使用し,また,Yの提供した資材を用いて,実験,試作が行われた結果完成されたものである。特に,熱処理装置の試作には,相当の費用を要した。
    (九)Yの昭和51年度から昭和56年度までの従業員数の推移は,別紙(八)の該当欄のとおりであつた。
    (一〇)連続クラツド発明に関し,【F】が,昭和48年11月23日,他の事項と合わせて,職務発明等功労者として表彰を受け,5500円相当の電気カミソリを授与されたが,他に連続クラツド発明に関し表彰,賞品の授与,その他何らかの優遇措置を受けた発明者はいなかつた。
      そして,X両名を含む連続クラツド発明の発明者のYにおける地位,職務が請求の原因3(二)のとおりであつたことは,前記のとおり,当事者間に争いがない。
  2 以上の事実を前提に,連続クラツド発明についてもクラツド板発明について述べたと同様に,連続クラツド発明を自らは実施せず第三者に実施許諾し,この第三者が同発明を実施して時計バンド材料と工業材料を製造しこれを販売したと仮定すると,右第三者は少くともYと同額の売上を得ることができたと推認でき,また,連続クラツド発明はクラツド板発明の改良にかかる発明である点,その他前記認定の諸事実に照らし,その実施料率は売上高の0.2パーセントを相当とすると認められるから,前記の99億5557万5000円に1000分の2を乗じて得られる1991万1150円をもつて,連続クラツド発明についてYがその実施を排他的に独占しうる地位を得たことにより受けることになる利益と推認することができる。そして,このことと前記認定の諸事実から認められるところの同発明がされるについてYが貢献した程度その他諸般の事情を考慮すると,発明者らがYに対し連続クラツド発明について特許を受ける権利を譲渡したことに対する対価は,全体で右1991万1150円の約7パーセント強に当たる140万円と認めるのが相当であり,X1は右の対価のうち50パーセントの支払を受ける権利を有するから,70万円の対価請求権を有し,X2は右の対価のうち10パーセントの支払を受ける権利を有するから,14万円の対価請求権を有するものと認められる。
    そして,XらがYに対し昭和54年7月24日到達の内容証明郵便により連続クラツド発明についてのX主張の対価を同書面到達後30日以内に支払うよう催告したことは,当事者間に争いがない。
八 以上の事実によれば,Xらの本訴請求は,X1については,クラツド板発明に係る対価150万円と連続クラツド発明に係る対価70万円につき請求の限度である20万円の合計170万円と,X2については,クラツド板発明に係る対価150万円と連続クラツド発明に係る対価14万円につき請求の限度である10万円の合計160万円と,これらに対する履行期の翌日である昭和54年8月24日から支払ずみまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから,これを認容し,その余の部分は失当であるから,これを棄却し,訴訟費用の負担につき民事訴訟法第89条第92条本文の規定を,仮執行の宣言につき同法第196条第1項の規定を,各適用して,主文のとおり判決する。」