最判昭和43年4月4日(民集22巻4号816頁(昭和39年(行ツ)第62号))

(原審:東京高判昭和39年4月23日(昭和35年(行ナ)第136号))

<判決>
 破棄差戻。
「上告代理人秋本正実の上告理由第三点について。
 論旨は,原判決が,甲第2号証を,審判手続に提出されていなかつたことを理由として,その成立を否定したのを違法というが,その趣旨は,原判決が原審において同号証を引用主張して審決の取消の理由とすることは許されない旨を判示したのを,失当とするにあるものと認められる。
 おもうに,実用新案登録無効審判の審決に対して提起する実用新案法47条の訴は,行政処分としての審決を違法として取消を求める訴にほかならない。もつとも,登録無効審判は,法が登録無効事由として掲げる特定の法条違反の有無についての争いを判定するのであるから,その審決の取消訴訟においても,係争の法条違反とは別個の登録無効事由を主張して争い得ない制約の存することは考えられる。しかし,係争の登録無効事由の存否についての審決の認定判断が,訴訟の結果判明したところによつて維持しがたいと認められるときは,その審決は違法のものとして取り消さるべく,このことは,一般の行政処分の取消訴訟において,処分要件を欠くことの判明した処分が違法として取り消されるのと異なるところはない。これを,とくに審判において顕出された事項で審決において認定判断されたものについての過誤のみが,右審決の取消の原因となるものと解すべき理由はないのである。されば,右の訴訟においては,その特定の登録無効事由の存否についての争点に関し,攻撃防禦の方法として,審判に提出されなかつた新たな主張立証を許されないものではなく,原判示のように,その審理の範囲を,審決が結論の基礎とした特定事項の判断またはその判断の過程に違法があるか否かの点に限定するのは,相当でない(最高裁判所昭和33年(オ)第567号,同35年12月20日第三小法廷判決,民集14巻14号3103頁参照)。
 これを本件についてみるに,原審決は,被上告人の本件実用新案の考案要旨中とくに重要な構成要件に相当するものは,上告人提出の甲第1号証および同第3号証(いずれも訴訟における書証番号による。)の実用新案公報にも記載されておらず,かつ,これらに記載されているものを単に寄せ集めても容易に得られるものではなく,これら公知刊行物の記載によつても,これを旧実用新案法1条の考案を構成しないものとすることはできない旨を判断して,上告人の請求を成り立たないとし,上告人は,原審において,前記書証のほか新たに公知刊行物と認め得べき甲第2号証明細書を提出し,本件実用新案は,これら刊行物に容易に実施し得べき程度に記載されたものまたはこれに類似するもの,あるいは甲第1号証,同第3号証の記載から,または甲第1号証,同第2号証の記載から,当業者が容易に推考実施し得べき程度のもので,旧実用新案法1条の登録要件を具備しない旨を主張したことは明らかである。このように本件においては,旧実用新案法16条1項1号所定の登録無効事由としての同法1条違反の有無が審判手続以来争われているのであるから,原審に至つてこの点につき攻撃防禦の方法として新たな主張立証を追加することの妨げないことは,前叙のとおりといわなければならない。してみれば,上告人が甲第2号証を引用主張して審決の取消の理由とすることは許されないものとした原判示は,肯認しがたく,論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。
 されば,上告理由中その他の点に関する判断を省略し,事件についてさらに審理をつくさせるために,民訴法407条1項により,原判決を破棄し本件を原審に差し戻すこととし,裁判官松田二郎の反対意見を除き裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。
 裁判官松田二郎の反対意見は次のとおりである。
 その理由は二点に帰する。
 (一)(1)旧実用新案法(大正10年法律第97号)3条は「本法ニ於テ実用新案ノ新規ト称スルハ実用新案カ左ノ各号ノ一ニ該当スルコトナキヲ謂フ」とし,その1号は「登録出願前国内ニ於テ公然知ラレ若ハ公然用ヰラレタルモノ又ハ之ニ類似スルモノ」と規定し,その2号は「登録出願前国内二頒布セラレタル刊行物ニ容易ニ実施スルコトヲ得へキ程度ニ於テ記載セラレタルモノ又ハ之ニ類似スルモノ」と規定している。そして,もし実用新案登録がこの規定に違反してなされたときは,新規性を欠くものとして,同法16条,22条により,これを無効にすることについて審判を請求することができたのであるが,前記2号に違反する実用新案登録の無効審判の請求は,同号にいう「刊行物」を特定してなすべきものであつたと解される。もし,同号の刊行物の意義を特定しないで広く一般の刊行物と解するときは,同号による無効審判と1号による無効審判との区別が明らかでなくなるであろう。そればかりでなく,実用新案登録無効の請求が一旦創設された実用新案に関する権利の剥奪を目的とするものであるからには,その審判手続において,特定の刊行物に記載されたものと対比して具体的にその新規性の有無を決定することを要すると考えられるのである。すなわち,前記法条2号の刊行物を根拠とする無効事由は刊行物の記載ごとに個別化され,それぞれ別個独立のものと解される。
 (2)右のごとく特許庁は前記2号違反を根拠として実用新案登録の無効なるか否かを具体的に特定の刊行物の記載との関係において審判すべきものであるが,問題となるのは,その審決に不服であるとして東京高等裁判所に提起した訴訟における審理の範囲である。この場合二つの考え方があり得る。一はその審理の範囲は審決の対象に限られるべきものとし,他はかかる対象に限られないとするものである。しかし,およそ特許庁における審判手続は専門的・技術的分野において学識経験ある者をして審査せしめるものである以上,その審決取消の訴訟においては,通常の訴訟の控訴審におけるごとく新たな請求原因の主張を許すべきでないと解される。もし,これを許すときは,特許庁という特殊の機関を設けた趣旨が没却されるばかりでなく,特許等の無体財産権についての専門的・技術的素養について必ずしも十分ならざる裁判官の負担を徒に増大せしめるからである。このように考えるとき,当事者はその訴訟において新たに他の刊行物を根拠とする登録無効の主張をなすべきでなく,裁判所はかかる主張について審理し得ないのは当然というべきであろう。
 今本件についてみるに,原審の確定したところによれば,被上告会社は昭和30年12月13日登録出願,昭和33年6月12日登録にかかる第478053号実用新案「合成樹脂製造花」(以下本件実用新案という)の権利者であるが,上告会社は昭和34年8月1日特許庁に対し本件実用新案が昭和14年実用新案出願公告第7171号公報(以下甲公報という)並びに昭和26年実用新案出願公告第9584号公報(以下乙公報という)に容易に実施することを得べき程度において記載されたもの又はこれに類似するものに該当するとしてその登録無効を請求したところ,特許庁は昭和35年10月14日その請求は成り立たない旨の審決をしたので,上告会社は被上告会社を被告として,その審決取消の訴訟を東京高等裁判所に提起したというのである。そうだとしたならば,前段で述べたところによつて明らかであるように,裁判所は本件実用新案登録の無効なるか否かを右甲公報及び乙公報の記載との関係においてのみ判断すべきは当然であるというべく,従つて東京高等裁判所が同法廷で上告会社のした新しい争点の主張すなわち,本件実用新案登録が仏国特許第1092718号明細書(これは本件実用新案の出願前たる昭和30年8月1日特許庁資料館に受入れられ,爾来一般の閲覧に供されていたものとされる)の関係においても無効であるとの主張を排斥したのは正当である。けだし,その事実は訴訟において新たに主張されたものであり,審判手続においては全く審理の対象となつていなかつたものであるからである。
 しかるに,この点に関し多数意見はいう。「特定の登録無効事由の存否についての争点に関し攻撃防禦の方法として審判に提出されなかつた新たな主張立証を許されないものではなく・・・その審理の範囲を審決が結論の基礎とした特定事項の判断またはその判断の過程に違法があるか否かの点に限定するのは相当でない」と。そしてこの見地に立脚して原判決を破棄すべしと主張する。しかし,多数意見を仔細に検討するにそのいう「特定の登録無効事由」の意味するところは必ずしも明らかでなく,漠然たるを免れないが,本件の事案に即してみるとき,多数意見は,前記法条の同号の無効事由たる限り,たとえその根拠とする刊行物を異にしても,それを一括して「特定の登録無効事由」と考えているものと解する外はない。私は到底そのような見解に賛成し得ない。そして,もし多数意見の見解に従うならば,東京高等裁判所における訴訟において当該実用新案の登録出願前に頒布されていた他の刊行物を根拠として登録無効の主張を新たになし得たのにかかわらず,これを行わないで敗訴した者は,爾後一切の刊行物を根拠とする登録無効の主張をもはやこれをなし得なくなるのであろう。その不当なことはいわずして明らかであろう。
 (3)なお,多数意見は,昭和35年12月20日言渡の当裁判所第三小法廷の判決(昭和33年(オ)第567号,民集14巻14号3103頁)をその根拠として援用している。しかし,この判決は,「審判における争点について審判に際し主張しなかつた新たな事実を主張することができる」というのであつて,すなわち新たな事実の主張の許容されるのは「審判における争点」についてであり,本件についていえば審判における争点は甲公報及び乙公報上の刊行物との関係についてだけである。要するに,多数意見は,審判における「争点以外の点」について新たな主張を許容するものであつて,換言すれば,一見前記の判例を踏襲するごとくであつて,しかも実質上この判例の許容する範囲を遙かに超えたものであると思われる。
 (二)既に右(一)で一言したごとく,特許庁の審判は専門的・技術的分野における学識経験者によつてなされる特殊の手続である。このことからその審決による事実認定をば裁判所が重んずべきことは当然であると考えられる。問題となるのは,いかなる程度において裁判所がこれを重んずべきかである。思うに審決に対する取消の訴訟において,裁判所は審決における法適用の適否のみならず,その事実認定についても判断するものである以上,裁判所は単に形式上から見て審決の事実認定を支持するに足る証拠の存在することを以て甘んずべきではないというべきである。しかし,審決の理由で示された証拠と事実認定とを照合して審決の事実認定をもつて合理的基礎たり得る証拠に基づくものと認め,審決の心証形式について疑問を懐かない限り,裁判所は審決の認定を肯定すべきであると考える。そしてこのような場合,裁判所は新たな証拠調をする必要はないのである。
 しかるに,この点に関し,多数意見は,訴訟において審判手続に提出しなかつた新たな証拠を提出し得るものと主張し,そのいうところは東京高等裁判所が新たな立証を許さないのは違法であるとさえいうがごとくである。私はこの点についても多数意見に対し疑なきを得ない。
 今叙上の点に立つて本件を見るに,上告人が原審の訴訟において新たに提出しようとした証拠が審判手続で審理の対象となつていない刊行物−訴訟において新たな刊行物を根拠とする主張の許すべからざることは既に述べたとおりである−についてのものであつたならば,原審がその提出を許さなかつたのは固より正当である。また,もし,その証拠が甲公報及び乙公報の刊行物に基づく主張にも関するところがあつたとしても,原判決によれば,原審は審理の結果,審決の事実認定−甲公報及び乙公報を根拠とする無効審判についてのもの−をば審決の基礎となつていた証拠と照合した上,これを是認したものと認むることができる。要するに,原審は審決の事実認定についての心証形成を是認しているものといえるのである。そうだとすれば,原審が上告人の申請した新たな証拠を採用せず,これを取調べなかつたことは何等違法ではないのである。
 要するに,原判決には多数意見の主張するごとき違法を見ないのである。」