1.事案の概要
X(被請求人,原告)は名称を「蛇腹管用接続装置」とする特許権(特許第3361861号。以下,「本件特許」という。)の特許権者である。この特許の出願から設定登録に至るまでの経緯は,以下のとおりである。
平成 5年10月29日 | 出願(請求項数:3) |
平成14年 7月 2日 | 拒絶理由通知発送(請求項1にのみ,29条2項の拒絶理由。) |
平成14年 8月28日 | 手続補正。内容は,以下のとおり。 新請求項1 ← 旧請求項1+旧請求項2 新請求項2 ← 旧請求項3 新請求項3(新たに追加。) |
平成14年 9月26日 | 特許査定 |
平成14年10月18日 | 設定登録 |
Y(請求人,被告)は平成14年8月28日付け手続補正書による補正(以下,「本件補正」という。)で,新たに追加された請求項3に係る発明(以下,「本件発明3」という。)は,本件特許の願書に最初に添付した明細書及び図面(以下,「当初明細書等」という。)に記載されていない事項(押圧部材が螺合なしで又は螺合以外の方法で移動する事項。)を含むものであるから要旨変更であるので,本件特許の出願日は平成14年8月28日とみなされ,その結果,本件発明3は当初明細書等に記載された発明と同一であるか,あるいは同発明に基いて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,無効とされるべきであると主張して,無効審判を請求した。
特許庁は,本件補正は,当初明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係で,当初明細書等に開示された発明の構成に関する技術的事項に新たな技術的事項を導入するものというべきであるから要旨変更であるとして,本件発明3についての特許を無効とすると審決した。
X出訴。
2.争点
本件補正は,当初明細書等に記載された事項の範囲内でするものか。
3.判決
審決取消。
4.判断
「第5 当裁判所の判断
・・・
3 本件補正が要旨変更に当たるとの判断の誤りについて
(1)要旨変更に関する判断基準
明細書の要旨の変更については,平成5年法律第26号による改正前の特許法41条に「出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達前に,願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内において特許請求の範囲を増加し減少し又は変更する補正は,明細書の要旨を変更しないものとみなす。」と規定されていた。
上記規定中,「願書に最初に添附した明細書又は図面に記載した事項の範囲内」とは,当業者によって,明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項であり,補正が,このようにして導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該補正は,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内」においてするものということができるというべきところ,上記明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項は,必ずしも明細書又は図面に直接表現されていなくとも,明細書又は図面の記載から自明である技術的事項であれば,特段の事情がない限り,「新たな技術的事項を導入しないものである」と認めるのが相当である。そして,そのような「自明である技術的事項」には,その技術的事項自体が,その発明の属する技術分野において周知の技術的事項であって,かつ,当業者であれば,その発明の目的からみて当然にその発明において用いることができるものと容易に判断することができ,その技術的事項が明細書に記載されているのと同視できるものである場合も含むと解するのが相当である。
したがって,本件において,仮に,当初明細書等には,「押圧部材と装置本体との螺合されていない態様」あるいは「螺合以外の手段によって移動可能」とすることが直接表現されていなかったとしても,それが,出願時に当業者にとって自明である技術的事項であったならば,より具体的には,その技術的事項自体が,その発明の属する技術分野において周知の技術的事項であって,かつ,当業者であれば,その発明の目的からみて当然にその発明において用いることができるものと容易に判断することができるものであったならば,本件発明3を追加した本件補正は,要旨変更には該当しないというべきである。そこで,以下,本件補正が上記要件に該当するか否かを検討する。
(2)「螺合以外の手段によって移動可能」とすることが周知の技術的事項であるか否かについて
ア 周知例1について
・・・(周知例1)・・・の記載によれば,周知例1には,軸心に対し傾斜する傾斜溝12が形成された継手主筒部5(本件発明3の「装置本体」に相当する。)と,外周面に前記傾斜溝12に係合するピン13が固植された内筒10(本件発明3の「押圧部材」に相当する。)とを有し,前記内筒10を回転させると前記ピン13が前記傾斜溝12にガイドされて回転を伴いながら軸方向に摺動するように構成されたコルゲート管接続用継手の実施例が示されている。上記実施例では,内筒10は継手主筒部5に螺合されていないことが明らかである。
イ 周知例2について
・・・(周知例2)・・・の記載によれば,周知例2では,筒状押動体10(本件発明3の「押圧部材」に相当する。)がガイド溝19に係合する係合ピン20によって回転を伴いながら軸方向に移動することが認められる。
したがって,周知例2は,螺合以外の手段であるガイド溝19と係合ピン20による回転を伴う移動という手段によって,筒状押動体10が移動するものであることが明らかである。
ウ 周知例3について
・・・(周知例3)・・・の記載によれば,周知例3では,スリーブ12(本件発明3の「押圧材」に相当する。)が偏心カム27によって軸方向に移動することが認められる。
したがって,周知例3は,螺合以外の手段である偏心カムを利用した手段によって,スリーブ12が移動するものであることが明らかである。
エ 周知例4について
・・・(周知例4)・・・の記載によれば,周知例4では,進退筒(60)(本件発明3の「押圧部材」に相当する。)が,螺合以外の手段である基端部方向への押し込みによって軸方向に移動することが明らかである。
オ 以上のとおり,周知例1ないし4を考慮すれば,本件出願当時,「螺合以外の手段によって移動可能」とすることが周知の技術的事項であったと認められる。
(3)周知の技術的事項が,当業者であれば,その発明の目的からみて当然にその発明において用いることができるものと容易に判断することができるものか否かについて
ア ・・・(当初明細書等)・・・の各記載によれば,当初明細書等から把握される本件発明の目的は,従来技術では位置決め部材が装置本体から外れてしまうことがあり,押圧部材が不用意に移動することがあったことを踏まえ,その課題を解決するために,所定の大きさ以下の力では押圧部材の移動を阻止する係止機構を設け,押圧部材が不用意に移動するのを阻止するものであることが認められる。
これに対して,周知例1ないし4に示される,「押圧部材を螺合以外の手段によって移動可能」とする周知の技術的事項を,本件発明3の「押圧部材」に用いた場合には,押圧部材の移動手段について「螺合」以外の手段を含むものであるものの,上記の本件発明の目的を変更するものではなく,まして,その目的に反するものとも解されない。したがって,上記周知の技術的事項を本件発明3において用いることに障害はないというべきである。
イ そこで,次に,本件発明3の蛇腹管用接続装置に,周知例1ないし4で示されるところの,「螺合」以外の押圧部材の移動手段を用いることが特別な工夫を要することなく当然にできるかどうかを検討する(なお,当事者は,本件補正が要旨変更に該当するか否かを判断するために,専ら本件発明3の発明特定事項である「係止機構」を周知例1ないし4に適用し得るか否かを問題としているが,前記(1)に示した要旨変更に関する判断基準からすれば,誤りである。)。
(ア)周知例1について
前記(2)アのとおり,周知例1は,軸心に対し傾斜する傾斜溝12が形成された継手主筒部5と,外周面に前記傾斜溝12に係合するピン13が固植された内筒10とを有し,前記内筒10を回転させると前記ピン13が前記傾斜溝12にガイドされて回転を伴いながら軸方向に摺動することによって,本件発明3の押圧部材に相当する内筒10を移動するものである。
そして,本件発明3について,内周に環状溝が形成されている装置本体2に周知例1の「傾斜溝12」を形成し,外周に環状溝が形成されている押圧部材6に周知例1の「ピン13」を固植したとしても,押圧部材6が準備位置にある時,これら一対の環状溝に係止部材を嵌め込むことにより,所定の大きさ以下の力では押圧部材の前進を抑止する構成とし,ピン13をガイドする傾斜溝12の一対の内側面(ガイド面)は,環状溝を形成することにより一部切り欠かれても,連続性を保持できる構成とすることは可能であると解される。
この点,審決は,・・・(審決の理由)・・・のとおり,構造の改変なくして周知例1の実施例に対して本件発明3の係止機構を設けることはできず,当業者にとって自明でもない旨判断している。しかしながら,審決がいうように,傾斜溝12の幅,環状溝の幅及びピン13の径の相互関係の設定,傾斜溝12の深さと環状溝の深さの相互関係の設定等の構造の改変が必要であるとしても,これらは,単なる設計的な事項であって,特別な工夫を要するものではないから,本件発明3において周知例1の螺合を伴わない移動構造を用いることについて,何ら妨げとなるものではない。
(イ)周知例2について
前記(2)イのとおり,周知例2では,ガイド溝20と係合する係合ピン19により,スリープ8を筒状本体1上を軸方向に移動するという手段によって,本件発明3の押圧部材に相当する筒状押動体10を移動するものである。
そして,本件発明3において,周知例2のガイド溝と係合ピンの手段によって押圧部材を移動することは,例えば,当初明細書等の図1において,装置本体2が押圧部材6と螺合している部分に,螺合に代えて装置本体2の右端部に係合ピンを設け,押圧部材6には前記係合ピンが係合するガイド溝を設けることで,特別な工夫を要することなく達成することができると認められる。
(ウ)周知例3について
前記(2)ウのとおり,周知例3では,レバー25の把手25aを回動させることによって回動する偏心カム27の長径部がスリープ12の窓24を押すことによって,本件発明の押圧部材に相当するスリーブ12が移動するものである。
そして,本件発明3において,上記偏心カムを利用した手段によって押圧部材を移動することは,例えば,当初明細書等の図1において,装置本体2が押圧部材6と螺合している部分に,螺合に代えて本件装置2に窓を設け,押圧部材には偏心カムとレバーをピンで回動自在に枢支することで,特別な工夫を要することなく達成することができると認められる。
(エ)周知例4について
前記(2)エのとおり,周知例4では,本件発明の押圧部材に相当する進退筒(60)が,螺合以外の手段である「基端部方向への押し込み」によって軸方向に移動することが認められる。
そして,本件発明3において,上記「基端部方向への押し込み」という手段によって押圧部材を移動することは,例えば,当初明細書等の図1において,装置本体2が押圧部材6と螺合している部分の螺合をなくすることで,特別な工夫を要することなく達成することができると認められる。
(オ)このように,周知例1ないし4の螺合に代わる各手段によって,本件発明3の押圧部材を移動させることは,特別な工夫を要することなく当然にできるものであり,また,それら各手段は,本件発明の目的を変更するものでもないことが認められる。
ウ 前記ア及びイのとおり,本件発明3について,「螺合以外の手段によって移動可能」とすることが,明細書又は図面の記載からみて出願時に当業者にとって「自明である技術的事項」に当たるといえるから,本件補正は,明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,「新たな技術的事項を導入しないもの」であると認められる。したがって,本件補正は,「願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内」の補正と認めるのが相当である。
(4)以上のとおりであるから,本件補正が当初明細書等の要旨を変更するものであって,本件特許出願の出願日を本件補正時である平成14年8月28日とみなすべきであるとした審決の判断は誤りである。
4 結論
よって,原告の主張する審決取消事由は理由があるから,審決を取り消すこととする。」