1.事案の概要
X(原告)は,発明の名称を「無鉛はんだ合金」とする特許第3152945号(以下,「本件特許」という。)の特許権者である。
本件特許の経緯は,以下のとおりである。
平成11年3月15日 | 本件特許の特許出願(特願平11-548053号,平成10年3月26日及び平成10年10月28日(2件)の各国内優先権を主張。)。 |
平成13年1月26日 | 本件特許の設定登録(特許第3152945号,請求項の数:6。)。 |
平成13年8月17日 | 本件特許につき特許異議の申立て(異議2001-072269号,異議申立人:大阪ハンダ工業協同組合,東京半田錫工業協同組合,株式会社村田製作所。)。 |
平成14年3月11日 | 特許異議の申立てにつき,Xによる訂正請求((旧)請求項1及び2を削除し,(旧)請求項3〜6を(新)請求項1〜4に繰り上げる。)。 |
平成15年2月18日 | 異議決定(訂正を認める。(新)請求項1〜3に係る特許を取り消し,(新)請求項4に係る特許を維持する。)。 |
平成15年3月27日 | 特許異議の申立てにつき,X出訴(平成15年(行ケ)第112号)。 |
平成15年11月18日 | Xが訂正審判を請求(訂正2003-039243号,以下,「第1次訂正審判」という。)。 |
平成16年4月9日 | Xが訂正審判を請求(訂正2004-039071号,以下,「第2次訂正審判」という。)。 |
平成16年4月12日 | Xが第1次訂正審判の請求を取下げ。 |
平成16年6月10日 | 第2次訂正審判の審決(訂正認容。以下,「本件訂正」という。)。 |
平成16年7月26日 | 平成15年(行ケ)第112号判決(本件訂正が認められたことを理由として,異議決定のうち(新)請求項1〜3に係る特許を取り消すとの部分を取り消す。)。 |
平成16年9月17日 | 異議決定(平成15年(行ケ)第112号判決による差戻し後の決定。(新)請求項1〜4に係る特許を維持する。) |
平成16年12月24日 | 東京半田錫工業協同組合が本件特許の無効審判を請求(無効2004-80275号,以下,「第1次無効審判請求」という。)。 |
平成17年11月22日 | 第1次無効審判請求について請求不成立の審決。東京半田錫工業協同組合,出訴(平成17年(行ケ)第10860号)。 |
平成18年 | Xが,ソルダーコート株式会社を相手取って,本件特許に基づく特許権侵害訴訟を提起(平成18年(ワ)第6162号)。 |
平成18年10月30日 | ソルダーコート株式会社が本件特許の無効審判を請求(無効2006-080224号,以下,「第2次無効審判請求」という。)。 |
平成19年1月30日 | 第1次無効審判請求について,請求棄却判決。東京半田錫工業協同組合,上告(平成19年(行ヒ)第123号)。 |
平成19年4月6日 | Y1(被告)が本件特許の無効審判を請求(無効2007-800071号,以下,「第3次無効審判請求」という。)。 |
平成19年6月22日 | 第1次無効審判請求について,上告受理申立て不受理。 |
平成19年6月28日 | 第1次無効審判請求について,請求不成立の確定登録。 |
平成19年7月31日 | 第2次無効審判請求について,請求不成立の審決。出訴(平成19年(行ケ)第10307号)。 |
平成20年3月3日 | 特許権侵害訴訟(平成18年(ワ)第6162号)判決(請求棄却)。 |
平成20年8月5日 | Y2(被告)が第3次無効審判に参加申請。 |
平成20年9月8日 | 第2次無効審判請求について,請求項1及び4につき審決取消判決。 |
平成20年10月8日 | Y2の第3次無効審判への参加許可。 |
平成20年11月12日 | 第3次無効審判請求について,請求成立審決(請求項1〜4につき無効)。X出訴(平成20年(行ケ)第10484号)。 |
平成20年11月14日 | 第2次無効審判請求について,訴え取下げ。 |
平成20年11月20日 | 第2次無効審判請求について,請求不成立の確定登録。 |
本件は,上記経緯中の第3次無効審判請求の審決取消訴訟である。
本件訂正後の請求項1〜4の内容は,次のとおりである(以下,請求項に対応して「本件発明1〜4」という。)。
「【請求項1】Cu0.3〜0.7重量%,Ni0.04〜0.1重量%,残部Snからなる,金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上したことを特徴とする無鉛はんだ合金。
【請求項2】Sn-Cuの溶解母合金に対してNiを添加した請求項1記載の無鉛はんだ合金。
【請求項3】Sn-Niの溶解母合金に対してCuを添加した請求項1記載の無鉛はんだ合金。
【請求項4】請求項1に対して,さらにGe0.001〜1重量%を加えた無鉛はんだ合金。」
2.争点
請求項1〜4に係る特許が,いわゆるサポート要件を満たしているか。
3.判決
審決取消。
4.判断
「第4 当裁判所の判断
1(1)請求原因(1)(特許庁における手続の経緯),(2)(発明の内容),(3)(審決の内容)の各事実は,当事者間に争いがない。
(2)なお,関連事件と本件訴訟との関係は,証拠(甲6〜14の2,乙1〜4,9)及び弁論の全趣旨によれば,以下のとおりであったことが認められる。
ア 本件特許に関しこれまで提起された無効審判請求は,前記・・・で述べたとおり,第1次無効審判請求から第3次無効審判請求までであり,本件訴訟はそのうちの第3次請求に関するものである。
イ 東京半田錫工業協同組合が請求人である第1次無効審判請求においては,無効理由1ないし9が主張され,その6が,本件発明1についての特許は特許法36条4項又は6項に規定する要件を満たしていないとするものであったが,平成17年11月22日になされた特許庁の審決(甲6)及び平成19年1月30日になされた当庁の判決(甲7)において,いずれも排斥され,平成19年6月22日の最高裁における不受理決定により上記判決が確定した。
ウ また,ソルダーコート株式会社が請求人である第2次無効審判請求においても,特許法36条4項又は6項違反の主張がなされたが,平成19年7月31日になされた特許庁の審決(甲8)においてはそれが排斥されたので,上記ソルダーコート株式会社が審決取消訴訟を提起した。
ところで,上記第2次無効審判請求に関連する民事訴訟として,株式会社日本スペリア社(本件訴訟のX)を原告とし,ソルダーコート株式会社を被告とする大阪地裁平成18年(ワ)第6162号特許権侵害差止等請求事件があり,同訴訟において大阪地裁は,平成20年3月3日,ソルダーコート株式会社の製品は本件特許の請求項1及び4の技術的範囲に属さず,また請求項1及び4は特許法36条6項1号が規定する要件に違反しているから無効理由がある等として,Xの請求を棄却した(乙3)。
平成20年9月8日になされた上記第2次無効審判に関する審決取消訴訟の判決(乙4)においては,平成20年3月3日になされた大阪地裁判決(乙3)とほぼ同様の理由により本件特許の請求項1及び4につき審決を取り消す旨の判決がなされたが,その後の当事者の交渉等により,平成20年11月14日に上記審決取消訴訟についての訴えが取り下げられ(甲9),上記請求不成立の審決が確定した。
エ そして,平成19年4月6日になされた本件無効審判請求(第3次無効審判請求)は,被告Y1によりなされたものであり,その無効理由として1〜4が主張され,そのうち特許法36条6項に関するものとしては,「本件請求項1ないし4にかかる本件特許は,特許法第36条第6項第1号または第2号に規定する要件を満たしていない特許出願に対してなされたものである」(無効理由1)及び「本件請求項4にかかる本件特許は,特許法第36条第6項第1号に規定する要件を満たしていない特許出願に対してなされたものである」(無効理由2)というものであった(甲12)が,前記のとおり,平成20年11月12日に至り,本件発明1〜4に係る特許は,特許法36条6項1号が規定する要件を満たしていない特許出願に対しなされたものであるとして,本件特許の請求項1〜4に係る発明についての特許を無効とする旨の審決(本件審決)がなされたものである。
オ ところで,本件訴訟の被告であり本件無効審判請求の請求人本人であるY1(被告Y1)は弁理士であり(被告Y2も同じ),弁理士法の定めに基づきその業務を行っているところ,被告Y1は,東京半田錫工業協同組合が平成16年12月24日付けでなした第1次無効審判請求(無効2004-80275号)の唯一の代理人であり,同組合が原告となった審決取消訴訟(知財高裁平成17年(行ケ)第10860号)及びその上告受理申立て(甲11)においても訴訟代理人の一人であったが,本件無効審判請求をなしたのは,第1次無効審判請求に関する審決取消訴訟につき原告敗訴判決がなされた平成19年1月30日より後で最高裁の不受理決定でなされた平成19年6月22日より前の平成19年4月6日であった。
2 事案に鑑み,X主張の取消事由2(本件発明1〜4に係る特許が特許法旧36条6項1号を充足すること)について判断する。
(1)特許請求の範囲の記載が,特許法旧36条6項1号に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により,当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである。
そこで,以上の観点に立って本件について検討する。
(2)本件特許の請求項1〜4は,前記・・・のとおりであるほか,本件訂正後の明細書(甲3)には,「発明の詳細な説明」として,次の記載がある。
・・・
(3)上記(2)によれば,本件発明1は,「Cu0.3〜0.7重量%,Ni0.04〜0.1重量%,残部Snからなる」組成を有する無鉛はんだ合金であって,「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した」ものであることが認められる。
ところで,Yらは,本件発明1のはんだ合金は,請求項記載のその成分組成範囲内においては,金属間化合物によってその流動性を損なわれることはなく,その範囲外において金属間化合物の発生による影響が表れるとしても,本件発明1には何ら関連のない作用であると主張する。
本件発明1は,無鉛はんだ合金の組成を「Cu0.3〜0.7重量%,Ni0.04〜0.1重量%,残部Sn」と特定した発明であるが,そうであるからといって,「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上したこと」の部分が,はんだ付けを始める前のSn-Cuはんだの溶融段階に関する記載であると解すべき理由はない。本件発明1は,はんだ付け作業中に,Cuの濃度が上昇して,SnとCuの不溶解性の金属間化合物が形成され,はんだ浴中に析出したり,ざらざらした泥状となってはんだ浴底に溜まったりして,はんだの流動性を阻害することを解決課題とし,それを解決するために,上記のような合金の組成としたものと理解することができる。
(4)本件特許の請求項1に記載の「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した」ことについて,本件訂正後の明細書(甲3)の「発明の詳細な説明」には,上記(2)・・・のとおり,無鉛はんだ合金の構成を「Snを主とし,これに,Cuを0.3〜0.7重量%,Niを0.04〜0.1重量%加えた」ものとすることによって,「金属間化合物の発生が抑制され,流動性が向上した」ことが記載されており,その理由として,CuとNiは互いにあらゆる割合で溶け合う全固溶の関係にあることが記載されているから,特許請求の範囲に記載された「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した」発明は,発明の詳細な説明に記載された発明であって,かつ発明の詳細な説明の記載により当業者が上記の本件発明1の課題を解決できると認識できるものであると認められる。
(5)Yらは,本件訂正後の明細書(甲3)の「流動性が向上」という記載は,一般的な溶融状態のはんだの性質以上の,これを発明特定事項とするはんだの性質を把握・理解し,評価する根拠とはならないと主張する。
しかし,上記の「流動性が向上」については,「金属間化合物の発生を抑制する」というその意義が記載されている。そして,甲5(R.J.KLEIN WASSINK著「ソルダリングインエレクトロニクス」日刊工業新聞社昭和61年8月30日初版1刷発行106頁)に「・・・銅を含む溶融はんだを冷却すると,過剰になった銅はCu6Sn5の微細な針状晶(樹枝状晶)として晶出し,しだいにはんだの粘性が増し,ブリッジの形成が促進されるようになる。しまいには凝固したはんだの表面は,晶出した針状晶のためざらざらした様相を呈するようになる。」と記載され,甲16(特開平7-116887号公報[発明の名称「はんだ合金」,出願人千住金属工業株式会社,公開日平成7年5月9日])に「・・・はんだ組織中に硬くて脆い性質を有する金属間化合物が存在した場合には,これがはんだの展延性を阻害し,接合部の応力緩和を低下させる要因となる。」(【0011】)と記載されているように,本件特許出願前から,はんだ付け作業における金属間化合物の発生については広く知られていたものと認められる(甲5,16は,「無鉛はんだ」について述べたものではないが,そうであるとしても,はんだ付け作業における金属間化合物の発生について知られていたことの証拠とはなり得るものである)。そうすると,上記の「流動性が向上」という記載は,はんだ付け作業時に必要とされるはんだの性質を特定したものであって,はんだの性質を把握・理解し,評価する根拠となるものであるということができる。
(6)もっとも,本件訂正後の明細書(甲3)の「発明の詳細な説明」には,「金属間化合物の発生を抑制し,流動性が向上した」ことについての具体的な測定結果は記載されていない。
確かに,数値限定に臨界的な意義がある発明など,数値範囲に特徴がある発明であれば,その数値に臨界的な意義があることを示す具体的な測定結果がなければ,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できない場合があり得る。しかし,本件全証拠によるも,本件優先権主張日前に「Snを主として,これに,CuとNiを加える」ことによって「金属間化合物の発生が抑制され,流動性が向上した」発明(又はそのような発明を容易に想到し得る発明)が存したとは認められないから,本件発明1の特徴的な部分は,「Snを主として,これに,CuとNiを加える」ことによって「金属間化合物の発生が抑制され,流動性が向上した」ことにあり,CuとNiの数値限定は,望ましい数値範囲を示したものにすぎないから,上記で述べたような意味において具体的な測定結果をもって裏付けられている必要はないというべきである。
(7)そして,本件特許出願前から,CuとNiは互いにあらゆる割合で溶け合う全固溶の関係にあることは広く知られていたと認められる(甲4,横山亨著「図解合金状態図読本」63頁オーム社昭和49年6月25日第1版第1刷発行)から,NiがCuのSnに対する反応を抑制する作用を行わしめるものであると考えることは,「Snを主として,これに,CuとNiを加える」ことによって「金属間化合物の発生が抑制され,流動性が向上した」理由の説明としては不合理ではない。したがって,本件訂正後の明細書(甲3)の記載において,従来の金属間化合物発生等で生じた流動性の問題がなく,フローめっき(噴流めっき)に適していることが,Cu-Sn系から出発したNiの添加の場合も,Ni-Sn系から出発したCuの添加の場合も確認されており,その原因については,NiとCuの全固溶関係という上記技術常識及びCuSn金属間化合物が生じた場合は流動性に問題を生じるという上記技術常識を考慮すれば,NiがCuのSnに対する反応を抑制する作用を行わせることの裏付けとしてはなされているというべきである。
(8)以上述べたところからすると,本件発明1についての本件訂正後の明細書(甲3)は特許法旧36条6項1号に適合するというべきであるから,これに反する審決の判断には誤りがあるというべきである。そして,本件発明2〜4は,いずれも本件発明1を引用したものであるから,本件発明1と同様に特許法36条6項1号に適合しないとした審決の判断にも誤りがあることになる。
3 結論
以上によれば,X主張の取消事由2は理由がある。
よって,その余の点について判断するまでもなく,審決は取消しを免れないから,Xの請求を認容することとして,主文のとおり判決する。」