最終更新日:
2007年05月20日
角磐山 大山寺 (だいせんじ)
- ・ 住所
- 〒689‐3318 鳥取県西伯郡大山町大山9
- 電話 0859-52-2158
- ・ 交通
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- ・ 創建
- 金蓮上人 養老二年(718)
- ・ 御本尊
- 地蔵菩薩・十一面観世音菩薩(観音堂)
- ・ 宗派
- 天台宗
- ・ 札所
- 中国三十三観音霊場第29番札所
- ・ 御利益
- 商売繁昌、当病平癒
- ・ 文化財
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- ・ 説明
- 古来から山岳信仰に帰依する修験道の修行道場として栄えていたが、養老二年、金蓮上人が草庵を建て地蔵菩薩を祀ったのが開山起源と伝えられている。神護景雲元年に称徳天皇は、神仏習合の思想から大山寺の地蔵菩薩を「大智明大権現」と勅宣され、このあと貞観八年、天台宗の第四祖慈覚大師が留錫し、堂舎を建立して待密の法を傳え、更に中国五台山で修学した引声阿弥陀経の秘曲を口傳し、この時修験道から天台宗の末寺に加わることとなった。その後隆盛をきわめたが承安元年火災に遭い一山は悉く焦土と化し本尊も焼失している。この時地方の豪族紀成盛長者は私財を投じて堂社を再建し、金銅の地蔵菩薩を初め鉄製厨子を奉納し現在に伝えている。室町期には多くの僧兵をかかえ比叡山、吉野山、高野山に劣らないほど隆盛を極め、元弘の役では船上山に名和長年が後醍醐天皇を奉ずると大山寺衆徒であった長年の弟信濃坊源盛は一山の僧兵を引きつれ兄長年を助け、後九州に下り懐良親王にしたがって転戦し、八代で戦死した史実も残っている。更に慶長年間、豪円僧正が大山寺座主となり一山の法規を定め徳川幕府に願って三千石の地領を得、復興し寛永七年から代々日光天台管領の兼攝するところとなり三塔に支院四十ニ坊を構えたが、明治維新の神仏分離の政策から衰退の一途を辿ることとなり、現在は昔日の盛観を見ることは出来ないが、尚三堂宇に十ヶ寺の支院を有し、そこここに寺院跡を残し、貴重な文化遺産も多く保存されている。
- ・ 行事等
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- ・ お参り
- 1994年11月05日 うしいかツアー
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