前の日へ トップへ戻る 次の日へ

議会はずい分軽んじられています

(2005年3月1日 火曜日 晴)

 3月議会が始まりました。今日は補正予算に関する審議が主になります。新聞やテレビにまで取り上げられてしまった下水道使用料の未徴収問題ですが、案の定、質疑が集中しました。

 会議の冒頭に町長は行政報告で謝罪を行いました。チェックマニュアルの作成を早急に進めること、直接係った職員の懲戒処分を行ったこと(係長1人主査2人の戒告)、助役以下管理職に対し文書訓告を行ったこと、町長自らの給与カットをする条例提案をしていること、管理職による不納欠損金分の補填を今下水道補正会計に計上していること等々を述べました。

 議案審議に入り、町長の給与カットに関する条例改正でも、また補正予算でも本件に係る質疑は長時間続きました。ここでは公表の遅れについて助役の謝罪がありました。

 それにしても10年以上もの間継続して26件も発生し続け、住民からの問合せを受けたT議員が12月議会で指摘するまで知らぬふりをしていたなんて、単なるミスの連続とは到底考えられません。外圧等による隠蔽はなかったのでしょうか。昨年7月に町がこの事件の発覚を知りながらも、自ら率先し公表する姿勢を持たなかったことで、なおさらその疑いは深まります。

 また、町の会計に対する監査は毎月行われ議会に報告されていますが、ずっと「問題なし」との内容でした。監査委員は本来なら書証の一枚一枚を繰って監査を行うのですが、どうもそうではないらしい事もわかりました。大問題なのは、12月の例月出納検査時に本件にかかわる報告を受けていながら、1月の議会報告内容で監査委員は一切触れていないということです。何の為の監査委員なのかと、監査の根幹が問われる事態です。

 それにしても今回ほど「ほんまに、議会は馬鹿にされているなあ」と落胆したことはありません。7月の発覚から以降9月、12月の議会をはじめ全員協議会も複数回あったはずです。今議会の直前2月24日になってファックスで知らせてくるのみとは・・・。

 しかも、そのファックスの内容には、指定業者以外の施工により下水道使用料の未徴収に繋がった8件の事が全く記されていません。2月9日に開いた臨時庁議の資料を見ると、議員にファックス送信した内容からは意図的に省かれていることが明らかです。15日も前に分っていたことを、議員に対しあえて省いた理由はなになのでしょうか。省かれた文言は次の通りです。

 「【未徴収金の対応】(2)指定業者でない業者が施工したと考えられる時効分170千円については、民法709条(不法行為)の規定を踏まえ、適正に対応する。」

 つまり「水道工事は指定業者でないと工事ができないと法律で定められているのですから、うやむやにしないで法的処置をとります」と言っているのです。ごく当然の内容を、議員に知らせて何の不都合があったのでしょうか・・・?

 本事件の下水道使用料金額内訳は次表のとおりです。

職員の入力ミス 指定業者以外の施行 合計
未徴収件数 18件 8件 26件
請求金額 1,820,030円 740,570円 2,560,600円
収納金額 1,201,260円 384,540円 1,585,800円
未収納金額 618,770円 356,030円 974,800円
時効件数 12件 2件 14件
時効金額 1,956,000円 170,000円 2,126,000円

 今日の審議で、この他私の印象に残ったものは、議員定数を今より2人減らして16人とする条例改正が決まったことがあります。記名投票で行われた採決結果は、

* 削減賛成(澤嶋、岡田、本間、菅、平井、千頭、清水、川口、実沢)の9議員

* 削減反対(平野、加藤、来仙、藤原)の4議員

* 保  留(河野、豊永)の2議員

* 採決に加わらない議員(原野議長)

* 欠席議員(伊集院議員・・遅参)

 また補正予算で、元「青年の家」除去工事に係るアスベストの問題については、○○党のH議員が「幼稚園保護者は、今回の町の対応に感謝している」と発言しました。最後の最後まで町行政をヨイショ!しているのには、なんだか白けてしまいました。こんなことで行政は癒されるのでしょうかね?私は、町の対応は今後に課題を残すものだと思っていますから、とても頷ける発言ではありませんでした。

 何だか傍聴席でタメ息をつくのが多くなったような気がする3月議会の始まりです。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

新年度予算に対する会派代表の大綱質疑

(2005年3月2日 水曜日 晴)

 本会議2日目です。1時間くらい遅れたので、補正予算等の質問の続きと討論は聞くことが出来ませんでした。その分は録音テープを情報公開請求しておきます。15日経ったら手に入るので、傍聴のブランクを埋めることが出来ます。

 2005年度の予算に対する大綱質疑は、会派代表として「日本共産党」は河野議員、「人びとの新しい歩み」は平野議員、公明党は本間議員、会派に属していない議員の加藤議員及び来仙議員の5人が行いました。

 他の会派は任期最後の議会というのに、質問者を立てませんでした。いくら選挙を控えているからと言っても、本業の義務を果たさないようでは議員として恥ずかしい事ですね。

 質疑項目は予算全般に渡る広範囲な内容の為、答弁のほんの一部を私がピックアップし、私の独断で箇条的に並べてみました。

1 JR新駅に対する町の寄付金9億円については自治省ルールに基づく更なる交渉を
自治省ルールは廃止されており、適応除外である。9億円は駅舎建設費の50%で他自治体の場合は、80〜90%を寄付している。建設後は精算も行われる。
2 新駅の財源に予定している旧町営住宅の売却見通しは
財政収支見通しに示している通り、13億円の売却利益を見込んでいる。17年度は境界画定作業を終える。
3 保育所の待機児について、3歳児は第3希望を出さないと待機児とみなされるのか
当町に待機児はいない。府内でも月2回の申込と入所は町だけであり、充実している。
4 学校の安全・安心について、警備の更なる拡充を
各校には、従来より民間校務員を配置している。3月1日より試行的に4時間の追加配置をしている。また校門ステーションを臨時に設置している。
5 図書館は民間委託に馴染まないのではないか
民間活力も視野にいれ十分検討していく。
6 職員の福利厚生の厚遇見直しを
地方公務員法42条に基づき行っている。大阪府市町村職員健康保険組合の本人と事業主の負担割合は1対2であるが1対1になるよう昨年12月に要望している。町独自の「島本町職員互助会」は廃止する考えは無いが、より適切な補助内容に改めていく。
7 教育基本法改悪について教育長の見解は
当町の教育は憲法、教育基本法に沿って行っているし、今後もそうである。
8 環境施策については
地球温暖化効果ガスの2%削減。廃プラスチック溶解施設(リサイクルセンター)に向けて、計画を検討する。
9 児童虐待防止についての対策は
法施行にともない児童虐待問題相談員を新しく配置する。
10 今後合併はするのか、しないのかを明確にすべき
近々合併論が再燃するような教育、福祉の方向性はとらない。遠い将来のことはわからないが、早々に変えられるものではない。

 これら質疑を含めて、所管の3つの常任委員会で細かな審査が行われます。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

保育サポートを休みます

(2005年3月3日 木曜日 晴)

 しばらくの間、朝の保育サポートを休止したいので、同じ保育グループのMさんに引継ぎをお願いしていました。今朝はMさんに子どもを紹介し、実際に保育体験をしてもらうため二人で訪問しました。お母さんから聞いていたのか、彼女がすんなりMさんを受け入れてくれたのでホッとしました。

 彼女の保育サポートをして丁度1年になっていましたが、子どもの心身の成長に改めて感慨を覚えました。よい体験をさせてもらったと、彼女にもご家族にも感謝です。

 さらには、子どもに係る危機的な状況が各地で多発する中、学校の先生方(校長・教頭先生が早朝連日の見回りをされていました。)、学童保育室の指導員さん、補導等役員の保護者の方々、そして地域のみなさんの見守りが、子どもを守る第一義的な役割を果たしていることを実感しました。

 保育サポーターの活動をしなければ、気づかないでいたことでした。1年間で他の子どもたちとも顔見知りになりました。「おばちゃーん」と声を掛けてくれる子らが可愛いです。

 ところでなぜサポーターをお休みするかと言うと・・・それはこれから朝、駅前で立っている私を見てくだされば分ると思います。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

いよいよ第一歩の立候補者説明会

(2005年3月4日 金曜日 晴)

 午後1時30分から説明会がありました。私は友人2人ともに参加しました。現職議員本人が参加している場合は立候補すると分るのですが、政党・労働組合等の組織から人が来ていると、候補予定者が誰なのか良く分りません。

 周りの状況がどうあろうとも、自分自身の信念に正直な運動を展開するのみですが、何はともあれ議会議員の選挙が起ってくれなくては、つまり定数16人を超える人が立候補して欲しいと私は願っています。無風選挙は各候補者が皆さんに訴えることなく、議員になるのですから議会への無関心さは益々高まってしまうことになります。町長選挙はすでに複数の候補者がいますので、選挙はあります。

 確実性の高い情報では、現時点で現職議員6人が立候補を取りやめ、新たに5人が立候補予定をしていると聞いています。ただ議員定数が2人減ったので、厳しい選挙になります。

 どっさりと関係書類を頂いて帰りましたが「さあ!これからいよいよ歩みが始まるぞ」とよりよい島本のまちづくりに寄与できる期待感と、一方いくつもの役割りを抱え、こなしながらのツラーィ1ヶ月の始まりをも、またひしひしと感じたことでした。

 夜は高槻の友人が来て、カレーパーティーをしました。選挙のことも当然話題になって盛り上がり、日付が変わる寸前までおしゃべりをしてしまいました。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

「元の楠公父子像がこんなにお粗末だったとは・・・」

(2005年3月5日 土曜日 晴)

 JR新駅駅前広場になる元「青年の家」の除去工事は終わったようです。大型重機がまだ1台残されていますが、シンボルツリーにする大きな楠木1本が空地にそびえるほかは、なにもない更地になりました。たびたび囲いのパネルの隙間から工事をのぞいていて、顔見知りになったガードマンさんがいましたので「像を見せてください」と頼んでみました。

 2月18日の日記「桜井駅跡の楠公父子像すげ替えられちゃいました」で書きましたが、私は撤去された古いほうの像が気になっていました。社会教育課からは歴史文化資料館(元麗天館)の前庭に置いていることを聞いていました。この像の取替えについては、2月23日の歴史文化資料館懇話会でも委員から「知らなかった」との意見もあったところです。

 像は近くで見るとひどく破損していました。私は鋳物像だと思っていましたので、修理は可能だとばかり思い込んでいました。材質は木型枠にモルタルを塗り、彫りで仕上げられていました。「へーこんなんで出来てたん?」と、ビックリしました。高い台座上の像は下から見ていると、それなりに様になっていたのですから。これなら大阪府も当町も取替えに抵抗感は無いかも知れないと思いました。

 この件では、社会教育課にいささか苦言を呈したのですが、元の像のことについては私の認識不足だったことを素直認めます。しかし、昨年の夏に寄贈の申し出があり、11月には町も参加して現地における新像模型での設置シミュレーションを行っています。これら役場が係った一連の“仕事”に関して、一切の文書情報が存在しないというのは解せません。

 また、この際台座も含めて撤去してしまったほうがよかったのではないかとの思いは変わりません。台座に刻まれた「滅私奉公」はやはり私には抵抗があります。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

「時の流れに身を任せて」はイケナイ私ですが

(2005年3月6日 日曜日 晴)

 メゾン水無瀬1号棟の我が家の専用庭は狭いのですが、雑草防止にちょっとお洒落なレンガを敷き詰め、周辺を花壇にしました。ポカポカと暖かいのにつられ庭に下ります。植えたばかりでまだまだ小さい花苗がつぼみをつけているのを見ると、うれしくてついつい土いじりの時間が長くなります。

 あと1ヶ月余りで選挙が始まると言うのに、こんなにノンビリとしていてはいけない、いけない!ドイツからの友人来訪は2週間後に迫っている、お掃除も念入りにしておかなくては。なんせ、ドイツ人のピカピカ綺麗大好き度は相当なもので、彼女も例外ではありませんから。パーティーの準備も必要だ!あぁ、パーティー(P)と言ってもおにぎりPだったり、たこ焼きPだったりで気楽なのを予定していますが。でも楽しい演出にはいろいろ気を使います。

 いずれにしても時間の流れは止められません。「明日から今までの2倍は働くぞ」と、眠りにつく前は固く自分自身に言い聞かせ、約束しているのですが・・・トホホの繰り返しが続いております。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

常任委員会審査始まる・・・町財政苦しいです

(2005年3月7日 月曜日 晴)

 町長選挙の時に作った立看板があるのを思い出しました。ひろ〜い一戸建てのKさん宅に甘えて4年間も預けっぱなしでした。看板には名前と連絡先しか書いてないので、今回の町議選に使えるかもと次男の車で引取りにうかがいます。8枚あるので結構かさ高いのですが、綺麗な状態で保管していてくださいました。

 さらには、「我が家用に1枚は置いていってね。看板に張る更新許可のシールは、後日ポストに放り込んでおいてくれればいいから」とKさんは言ってくれました。私の負担を少しでも軽くしてやろうとのKさんの気持ちがうれしかったです。政党や組織が係ら無い自力選挙で、なにもかも候補者が走り回らなければならない市民派にとっては、Kさんのような”阿吽”の支援は本当に有難いです。

 看板の件で総務文教常任委員会の傍聴は、遅れてしまい歳入の審査は聞くことが出来ませんでした。今回の予算は町長選挙後に施策予算が示されるため、骨格予算となっています。大きな予算を伴う事業や新しい事業は、町長候補者の政策として住民に訴えがされるはずです。

 ただ、今のところ町長候補の2人には殆ど違いはありません。新人候補の川口町議はずっと現村田町長を支えてきた一人ですから、予算の使い道も使い方も変わりは無いと考えていいでしょう。

 違いは髭があるかないか、スニーカーか革靴か、ビジネススーツかソフトスーツか、ネクタイありかノーネクタイか、リュックサックを背負っているかいないか・・・等々、つまりその程度のものではないかと、私は思っています。今後候補者の2人は、政策の中身の違いを住民にわかりやすく訴えていかなくては、盛り上がらない町長選になっちゃうぞ!

 そんなところを川口議員も感じ取ったのか、本委員会での審査に対する表決は、なんとなんと8年間で始めての「反対」でした。

 さて、本総務文教常任委員会には財政見通しの表が提出されましたが、その概要をお知らせします。

「普通会計財政収支見通し」から

☆ 経常収支比率の悪化が加速していきます。(H17年度=98.7%、18年度=101.1%、19年度=107.1%、20年度=104.4%、21年度=105.9%)

経常収支比率が80%を超えると、財政構造が硬直化しているとされます。数字上100%では、固定的、義務的経費(人件費等)で目一杯になり、新しい施策に対する予算付けは不可能になります。悪化の原因は、団塊世代の大量退職者が数年続くからと言われています。

☆ 基金が減っていきます。

“貯金”がどんどん少なくなってきています。財政調整基金(住民サービスの低下をきたさないように、年度間の財源の不均衡を調整する為の積立金)は16年度末=15億4千5百万円が21年度末=4億2千5百万円になる見込みです。公共施設整備積立基金は16年度末=11億4千7百万円が21年度末=3億7百万円の見込み、職員退職手当積立基金は16年度末=4億5千百万円が21年度末=0円になる予定です(19年度末に既にゼロになっています)

☆ 町債の残高は相変わらず多いです。

町の“借金”です。ふれあいセンター(H28年度で完済)、水無瀬川緑地公園(H35年度で完済)、新町営住宅(H40年度で完済)。これらに7億8千百万円のJR新駅の借金返済が、数年後には加わります。

 以上のように町の財政状況は、将来的にも辛いものがあります。大量の退職者への退職金や、JR新駅の事業費や、多額の償還金等を抱えながら、これからも茨の峠を超えなければなりません。議会のチェック機能はますます重要になっていきます。また、1円の無駄遣いをも許さないで、財源を真の住民サービスに使途していく政策提言も議員が活発に行っていくことが求められます。

 JR新駅設置に係る財政内訳の最新版も提出されましたので、表をそのまま転載します。

JR新駅設置事業計画(H17年3月現在)
(町施工分) (単位:千円)
施設 内容
単独施設 駅施設(JR) 11,691 502,459 385,850 900,000
財源 一般財源 11,691 502,459 385,850 900,000
交通結節点

事業

駅前広場 420,070 72,000 127,000 619,070
西京高槻線 20,000 20,000
財源 国費 190,000 31,000 73,000 294,000
起債 167,800 17,000 40,100 224,900
一般財源 62,270 240,000 33,900 120,170
まち交

事業

自由通路(JR) 25,011 119,280 565,509 709,800
西側道路 10,555 150,000 149,000 309,555
自転車・防火・便所等 1,554 15,000 224,500 241,054
財源 国費 32,600 89,600 380,700 502,900
起債 137,500 418,700 556,200
一般財源 4,520 57,180 139,609 201,309
事業費合計
468,881 858,739 1,471,859 2,799,479
財源
国費 222,600 120,600 453,700 796,900
起債 167,800 154,500 458,800 781,100
一般財源 78,481 583,639 559,359 1,221,479
(府施工分)
府道桜井駅跡線
600,000
(JR施工分)
駅施設(JR)
900,000

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

なんぶ由美子を支える会が出来ました

(2005年3月8日 火曜日 晴)

 大阪府の選挙管理委員会へ行きます。政治団体設立届を出しました。「政治団体」なんていうと、なんかオッカナイ感じがしますが、今まで活動してきた「なんぶ由美子とホップ・ステップ・ジャンプの会」を「なんぶ由美子後援会」として届けたに過ぎません。しっかりした規約をつくり、会計責任者をKさんにお願いし、政治団体の形を整えました。

 「会費制で運営をしていきます。皆さんの入会をお待ちしています。」との呼びかけやお誘いが、可能となりましたので、またご案内をさしあげたいと思います。(選挙運動期間中は一切の文書配布は出来ませんのでご了承ください)

 久しぶりの府庁でした。ついでに町の事業関係で府の所管に聞きたいこともありましたが、我慢がまん、近くの「スタバ」のコーヒーとマフィンで一息ついたあとは、急いで帰ってきました。

 お米の共同購入で澤嶋さん出会い、そのまま私の家で3時のお茶をしてしまいました。お互いおしゃべりしている場合じゃないのですが・・・。途中印刷屋さんが、ホームページに載せている「なんぶ由美子の週間日記」の刷り上った冊子を届けに来てくれました。1冊を澤嶋さんに、資料提供しました。平野さんへは明日の委員会で渡すことにします。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

町の葬祭場は本当に必要ですか

(2005年3月9日 水曜日 晴)

 民生消防常任委員会で私の注意を引いたのは、共産党のT議員が町の葬祭場の必要性について質疑したことです。この提案はそもそもは緑風会のK議員が、一昨年の3月議会で発言したことが始まりです。また昨年の9月議会では、同会派のS議員が一般質問しています。

 「へぇー、珍しい。水と油のような与野党会派の意見が、要葬祭場では一致してるんだ」と思いました。何れの主張も「町規格葬儀の利用が低いのは、町に葬祭場が無いためだ」と言っています。本当にそうでしょうか?コミセンでも、自治会の集会所でも規格葬儀は可能です。高槻市内等の葬祭場を選ぶ遺族は、規格葬儀を超える葬儀を行う意思があったり、参列者数の問題で町外を選んだり、反対にあまり町内の人たちに知られず行いたいとかで、理由はさまざまです。ちなみに、2003年度では181人が亡くなり、その内の12%、22人が規格葬儀を利用しています。

 今日の助役答弁は「従来からの答弁通りです。」と、素っ気無かったです。では「従来の答弁」とは、どのような内容だったのでしょうか。最初の答弁は「的確な住民ニーズの把握に努めるとともに、葬祭場も視野にいれ、公共施設ゾーンにふさわしい、より効果的な継続利用を進めてまいりたいと考えております。」と町長が答えています。

 次に答えたのは昨年の9月ですが、町長公室長は「〜その必要性につきましては十分認識をいたしているところでございます。〜ご指摘の内容、葬祭場の建設についてでございますが、これについても検討をすすめてまいりたいと考えております〜」と答弁しています。ここでは「検討をすすめる」と一歩踏み込んだ答えを町は返しています。勿論「〜現下の本町の財政状況からいたしまして、当面の事業実施は困難な状況である〜」との前置きはありますが。

 しかし、JR新駅が2年後に開業した後にこの計画は、より具体性を帯びてくるのではないかと思います。何処かの葬祭業者(たち)のために、多額の税金投入をするような事業にしてはならないと思います。葬祭場については今後ますます、注視していかなければならない問題です。

 委員会でおかしいなと思った事、

その1 部長の答弁で「町長がおっしゃっておりましたように」とありましたが、”身内”の人間に敬語を使うべきではありません。

その2 消防職員が防災無線設置箇所が何ヶ所あるか知らないのは、いくら所管が違うからと言っても、これは知っておくべきでしょう。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

準備の準備に今ついたところでしょうか?

(2005年3月10日 木曜日 曇)

 午前中に高槻市で、私を応援して下さる方たちと会います。ついでに印刷屋さんにも会って、支払いを済ませておきます。なけなしのお財布からどんどん「諭吉さん」が飛んでいってしまいます。

 懸案中のいろいろが片付いて、すこし気持ちが軽くなりました。西武か松坂屋に寄って、春らしいセーターぐらいは見てみたい気持ちにもなったのですが、今日も我慢がまん、お昼から作業のため来てくださる方々を待たせるわけには行きません。急いで帰ります。

 夕方まで封筒の修正紙貼りを一緒にしました。4年前にたくさん作った封筒の住所などに変更があるため、その部分に新しく印刷した紙を貼る作業です。口も手に負けないくらいよく動かしながら、楽しく作業しました。まだまだほんの一部というところまでしか終わりませんでしたが、何となくそれらしい気分をみんなで共有できたかな?とうれしく思いました。

 おもたせの桜餅の「さくら」の言葉に焦りながらも、4月12日の告示日に向って「ほんの少し歩みを進めたかしら」との実感がありました。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

建設水道常任委員会傍聴

(2005年3月11日 金曜日 晴)

 町の広報紙等に使用するための写真撮影と情報公開された文書の閲覧をしてから、建設水道常任委員会の傍聴をします。委員長を除くと質疑する委員は3人しかいません。総務文教も民生消防もそれぞれ5人の委員が質疑しています。いずれかの委員会から1人が建設水道にまわるべきだと、誰が考えても当然のことを、しかも2年間もの期間があったのに議会は改善しなかった・・・これが今の議会の現実です。自浄能力が著しく低下していることの一つの現れです。(もちろん、まっとうな主張をした議員もいることは申し添えておきますが)

 傍聴には1時間遅れてしまいましたが、建設水道常任委員会での質疑応答の中から、主なものをお知らせします。

1 町営住宅跡地売却(葬祭場云々の話が出ている「ふれあいセンター」横の鶴が池住宅跡地は除く)については、境界確定後登記、コンペ方式で売却する。今議会に出された財政収支の見通しでは、JR新駅事業の財源となる売却価格が13億円から12億3千5百万円に下方修正されている。これは、当町の地価公示価格がマイナス4.9%であったため、5%安く見積もった売却益にしたという。H18年度に4億7千5百万、H19年度に7億6千万円を見込んでいる。

2 JR新駅西側道路用地購入に1億2千万円が計上されている。何平方メートルを買うのかの質問になかなか答弁せず。土地取得特別会計にいたって、やっと助役の指示で担当は「2000平方メートル」と答える。なんと1平方メートルあたり6万円!駅の西側は市街化調整区域の田畑が広がっている。当然農地としての価格ならうんと安く、数百円からせいぜい千数百円くらいになる。まあ、そうはいかないが1億2千万円の積算根拠は定かではないと言うことになる。なお一部の土地は現在係争中のものもあり、町は「進められる範囲で進めていく」としている。

3 清掃工場の毎年の補修と保守・点検にかかる費用が大きい。(私の問題提起は後日に)

4 大藪浄水場は水道水の精製・供給を行う要の施設だが「全面的な民間委託について具体に検討していく」との水道部長の答弁があった。約4億円近い巨額の費用を要する浄水場の中央監視盤については、コンピューター化するための実施設計が既に策定されているが、H17年度当初予算に計上がされていない。部長は「コンピューター化すると監視盤操作は職員の手に余る。そのために民間委託をする」と答弁した。結局はコンピューターにお金がかかるので、浄水場の職員を無くして人件費を浮かし、将来的には経費削減にもっていくと言う事であろう。ただ、町長としては民間委託と莫大な支出をセットで出すのは、選挙に有利ではないとの判断で予算計上していないのだろうと私は思う。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

「町長、虐待防止の取り組みは大丈夫ですか」

(2005年3月12日 土曜日 晴)

 お昼から児童虐待防止シンポジウムにいきます。オウム事件から10年の今年は、事件を追った江川紹子さんも時の人で、ケリヤホールは満員でした。江川さんの基調講演のあとは、吹田子ども家庭センター次長のコーディネイトで、町内で活躍されている大阪水上隣保館の職員、民生委員児童委員、PTAの保護者、幼稚園教諭がパネラーで参加、それぞれ報告と対策についての話がありました。

 率直な感想を言えば、江川さんの講演もパネラーの報告も、いまひとつパンチが効いていない内容だったように思いました。それだけ島本町の現状が、まだ穏やかだと言う事でしょうか。今日のシンポジウムは町長をはじめ三役、関係各課の部長以下職員も皆出ていました。児童虐待に対して島本町も全庁的な取り組みのスタートをきった感があります。またH17年度の予算には、自動虐待問題相談員が配置される事になっています。虐待防止については、行政の力と共に地域の力が大きく作用します。人ごとではなく我がこととして、私も感性を磨いていかなければと、改めて誓いました。蛇足ですが、町長が開会の挨拶をした後、いなくなっちゃったのは残念でした。(終わってから戻ってきましたが)

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

「清掃工場の補修工事業務委託は、こんな事務執行でいいの?」

(2005年3月13日 日曜日 晴)

 私の過去3回の町議選は、選挙事務所を持たないでやってきました。普段仕事に使っている場所が、そのまま事務所に早変わりします。そろそろ場所だけでもそれなりに整えなければと、片づけに取りかかりました。文書類ではなんといっても、情報公開請求で得たものが積み重なっています。先日の委員会傍聴で気になっていたことに関係する文書が出てきました。

 3月11日の建設水道常任委員会で町清掃工場の補修・改修・保守点検にかかる費用の多さについて委員から質疑がありました。清掃工場の施設、特に普段目にする事が出来ない焼却炉の関係については、私も常々同じ思いでいましたので注目して聞いていました。残念ながら具体例も出されること無く、通りいっぺんの質問だったので答弁もそれなりに終わってしまいました。

 今年の1月20日に町長は議会に対して「清掃工場2号炉炉壁一部欠落について」と題した文書を送っています。「12月27日に炉内の耐火レンガの欠落に気づきました。29日に炉を止めて、コンサルと職員で点検しました。レンガだけでなくほかにも欠落が認められました。また欠落の可能性がある箇所もあり、あわせて補修工事をします。約4百万円で、ユニチカに委託します。その間1号炉のみで操業します。そのために夜間運転及び電気計装管理業務委託もユニチカとします。1月17日に2号炉の運転を再開します」ざっとこのような内容でした。

 私が大いに引っかかったのは、レンガの欠落に気づいた12月27日の僅か2週間前に、同じ2号炉の耐火材補修工事の完工検査が行われている点です。試運転報告書には、全て「合格」と記されています。これは工事をした箇所のみならず、負荷運転後のはく離・欠落等についても「異常なし」「合格」とされています。この補修工事は、H15年度に調査委託をして、16年度に6,930万円もの費用をかけて行った工事の中に入っています。僅か2週間で崩落するなら、その前兆は絶対に現れていたはずです。工事をしたユニチカに説明を求めるべきです。これでは町は無駄なお金を使っているのでは?と思われても仕方がない状況です。

 さらには、この“突発的”な崩落が、仕事納めの前日12月27日に起った点です。まるで用意をしていたかのように、事務決済が行われています。29日のコンサルとの合同内部点検を待たずして、全てを27日僅か1日で済ませています。29日の職員の点検はなんだったの?ということになります。点検の結果を経ずしてユニチカの見積もりが出されたり、夜間運転業務委託も含め、随意契約の事前審査を行って、しかも支出は補正予算の専決処分の必要がない予備費や入札で出た差額のお金で対応する・・・約1年先の16年度決算審査まで分らない予算の使い方・・・これって正しい事務執行のあり方なんでしょうか?ちなみに、夜間運転業務委託等に支払った金額は約131万円です。したがって、工事費の約400万円と合わせると、2号炉の”突発的な耐火レンガ崩落事故”に要した総額は、約530万円になります。大きいお金です。議会の審議を経ないで支出された私たちの税金です。

 でも、議会は何も言わない。最も議会への「お知らせ」は私への情報公開決定通知をしたのと時を同じくしていますから、本当なら行政は黙っていたいところだけれど南部に知られちゃったんだから、議会にも黙ってはおけないだろうということではなかったのでしょうか。議会も甘く見られたものです。(まあ、このあたりは私の推測ですが、そう思われても仕方がないですね)

 選挙が目の前に迫っているのに、こんなことに拘っている場合かと、お叱りを受けそうですが、私は「こんなこと」をはっきりさせる為にも、これからの4年間地道に頑張っていきたいと思っています。

 夫や次男に家具の移動をしてもらって、とても素敵な事務所になりました。これで明日から作業もやりやすくなります。感謝、感謝です。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

ドキドキの朝街宣

(2005年3月14日 月曜日 晴)

 何故なんでしょうか?別に悪い事をするわけでもないのに、久しぶりの街頭演説はドキドキです。7時、ハンドマイクを持って水無瀬駅に立ちます。

 ボリュームは小さめに、のぼりの類もなし、シンボルカラーのオレンジ色も身につけず、ただ、立つ位置は桜の木の下にひっそり佇むのではなく、駅広場のぐっと真ん中に進みました。「あーあ月曜日、今日からまた仕事か」の人たちに、更なる不愉快の追い討ちを掛けるようで申し訳ないですが、しゃべり始めます。

 新人立候補予定者のNさんが「聴かせてもらいます。お互いフェアに頑張りましょう」と近寄って来ました。

 話の中身は、市町村合併をせず、小さい自治体として自立の道を選択した島本町の財政事情を中心に話しました。「なんぶ」の名前を言ったのは最初と最後の2回だけで、宣伝には程遠かったでしょうか。チラッと見て足早に改札口に急ぐ人が殆どで、まだまだ私の存在は薄い薄い紙のようなものでしかありません。

 随分温かくなったとはいえ、30分すると鼻水がポタポタ落ちてきます。鼻をかんで再び話します。約1時間の初街宣でしたが、手足の凍えに春はまだもうちょっと先を実感しました。

 午後からは、作業の為に3人の方が集まってくれました。以下のご挨拶文を添えて「なんぶ由美子の週間日記」を発送しました。

ご     挨     拶


 桜前線が私たちの街に到着するのは今月末のようですが、まだまだ季節は行きつ戻りつジグザグと気まぐれです。
 皆様、お変わりなくお元気でいらっしゃいますか。

 さて、桜の花が吹雪となって舞う頃に島本町の選挙が始まります。4月12日(火)から16日(土)の5日間が選挙運動期間中で、4月17日(日)が投票日です。

 4年前の選挙に際しましては、私は自身の議員4期目を目指しつつ、新しい市民派議員を増やすための活動に全力を傾けていました。

 ところが、選挙告示日まで1ヶ月もないある日から、あれよあれよと言う間に町長選挙に立候補しておりました。結果は皆様のご期待に応えることができなかったのですが、私に悔いは無く「人生の宝」を得たと思えるほどの価値ある経験でした。あの年あの春の桜吹雪は「なんぶ由美子」のシンボルカラー、オレンジ色で染まったと言われた程、皆様の元気が結集した選挙でした。町長選への皆様のご支援は今も熱く胸によみがえり、本当に感謝してもし尽くせない思いでおります。

 この4年の間、私は認知症のお年寄りを介護するヘルパーや保育サポーターの仕事をしながら、町政のチェックを続けてきました。議会の傍聴は一度も欠かしませんでした。また、請願等で町の施策充実に対し具体の要求も行ってきました。さらには、JR新駅設置に係る駅西側の農空間の保全・創出への構想の提言、高槻市との合併問題については「合併財政シミュレーション」を作成し、合併による財政メリットはないことを明らかにしました。

 しかしながら、一住民の立場での発言や行動は本当に微々たる力でしかないことを、幾度となく実感してまいりました。また議場の傍聴席では、長年活動を共にしてきた澤嶋・平野両議員の懸命の頑張りが、いつもの数の力で押し流される現実も目の当たりにしてきました。

 「”市民力”がまっとうに届く議会にならなければ、住民にとって真に幸せなまちづくりはありえない」、そのために私はなにをすべきか・・・4年間ずっと自問自答を重ねてきました。

 その問いに対する答えを、本日お手元にお届けいたしました「なんぶ由美子の週間日記」から、お汲み取り頂ければうれしく存じます。

 3人の草の根市民派女性議員が連帯しつつ自在に議員活動を実践していくことは、町議会や町行政に対し大きな実効ある力を及ぼすに違いありません。ありがたいことに平野・澤嶋両議員からは早い時期に賛同を頂き、どれほど心丈夫だったか知れません。議員定数削減の中で市民派議員がいかに住民の支持を得て、議席を確保していくか、今回の町議選は正念場です。

 どうか、ご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。



 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

仮称「“お店づくりは街づくり”協議会」ができるといいな

(2005年3月15日 火曜日 晴)

 4年前に町議会議員の選挙に出るために買った(高かった!)電動自転車を夫に譲って、新しい自転車を今度の選挙用に買いに行きます。私のテーマカラーであるオレンジ色を、お財布と相談して決めました。選挙運動期間中のお弁当温め用に、一番安い電子レンジも買いました。ピンナップ用の大きいコルク板も買いました。間接的な費用も積み重なると、結構な金額になっていきます。

 午後からは支援してくださる方と、オーガニックレストランで情報交換を兼ねお昼ごはんを。そのあと、島本センター内の空き店舗を活用した手づくり作品のお店をのぞきます。毎月15日に開くことから、「一五市」(いちごいち)と名づけたお店には、贅沢に手間暇掛けた素晴らしい作品が並んでいます。お値段も手が届かない金額ではなく、いろいろおしゃべりしながらの冷やかしだけも大歓迎と、オーナーたちは親切に作品の説明をしてくれます。4月の市の時は選挙戦終盤で、私はとても行っている場合じゃありませんが、みなさんどうぞ一度覗いてみてください。

 センター、モール街をはじめ駅周辺の店舗の活性化は島本町の大きな課題です。空き店舗が増えることはあっても減ることがない現状を、町はちゃんとした消費者調査を行い、分析すべきです。街づくりの大きな要素である島本らしい魅力ある店舗づくりに当事者は勿論ですが、行政の実効ある支援がぜひとも必要です。一般住民も参画する開かれた話し合いの場を、先ず行政がセッティングしてはどうでしょうか。

 私は、町がJR新駅構想の中で打ち出している「新駅周辺の商業機能集積構想」は再考すべきと考えています。また山崎方面での「買い物が不便」の声もあります。これらの問題をズルズル放っておかずに、仮称「お店づくりは街づくり」との名称なんかで、住民参加の協議会はどうでしょうか?改選後の町長に求めたいと思います。

 今日は(今日も?)人権施策審議会も議会運営委員会の傍聴もパスをして、気分転換を兼ねたホット息抜きの一日でした。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

やったー!3千件のアクセス

(2005年3月16日 水曜日 晴)

 ついに私のホームページ「こんにちはなんぶ由美子」のアクセス数が3千件に達しました。お正月明けからアドレスを公開して、約2ヶ月少したちましたが、1日40から50件の訪問をいただいたことになります。本当にありがとうございました。さらには感想や、アドバイス等瞬時にお返しくださる方もいて、有難く参考にさせていただいたことも多く、感謝申し上げます。

 いまだに「なんぶニュース99号」をネットに載せることが出来ず(つまり書いていないということなんですが)、「週間日記」を更新してきたに過ぎないのですが、それだけでも開いていただいていたなんて、本当に幸せなことです。

 「いやー、なかなかおもしろいよ」「議会や、役場のことよくわかる」「必ず、なんぶさんの意見が述べられているから、なんぶさんがどんな人か判断できる」好意的なご感想ばかりではありません。「日記なんだから、もっと短くてよい。読むのがしんどい」「毎日更新していないから、折角アクセスしても空振りが多い。そんな時は、もう見たれへんぞと思う」(これ、長期出張先でアクセスしている長男の苦言です)等々です。

 最近は特に、選挙関係の事に時間をとられる事が多く、日記がドンドン溜まっていきます。本当に申し訳ありません。3月一杯までは遅れ遅れでも、日記は継続いたします。選挙運動期間中は公職選挙法の関係で一切の図画の配布が禁じられていますので、安全圏をみて4月に入ると更新はお休みさせていただきたいと思います。お許しください。

 「こんにちはなんぶ由美子です」の再開第一声が、皆様にとっても?!私にとっても!喜び溢れる幸せな言葉で綴られますようにと、願うばかりです。

 3月18日に開会する今期最後の議会における一般質問の通告項目をお知らせします。

来仙議員

1 続々・「大阪府への拡張要求されたい、JR新駅設置予定東側自転車駐輪場までの府道西京高槻線」

2 島本町何区画増えるか、「大阪をたがやそう」府が申請で。  

本間議員

1 町有林の現状認識と将来の展望について

2 カラーバリアフリー対策の確立について

3 庁舎内・庁舎近辺に郵便局の設置で住民の利便性の向上を

4 図書館利用者の利便性の確保について

5 青色回転灯を装着した自動車での自転車での自主防犯パトロール実施について

岡田議員

1 脳ドック助成制度について

2 JR東海道本線西谷踏み切りについて

3 火葬料金の助成について

河野議員

1 保育の公的責任を守れ〜府の公私間格差是正制度改悪、町はどうする。

2 若山台・百山〜役場周辺地域に銀行・郵便局ATM設置を。

3 JR西日本との協議の進捗を問う。

平野議員

1 原子力災害に対する安全対策・防災対策について

2 パブリックコメント制度について

澤嶋議員

1 『住民票の大量閲覧』の禁止を〔その3〕〜町長は本気で住民のプライバシーを護ってくれますか?

2 監視システムは本当に「安心・安全なまち」を生むか

3 島本町にとっての農業の価値とは〜JR新駅西側などまとまった農地をどうまもるのか?

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

どんなポスターになるのでしょうか?

(2005年3月17日 木曜日 雨)

 選挙ポスター用の撮影に出かけます。私の3回の町議会議員選挙用ポスターは何れもイラストで、似顔絵を知り合いの人に書いてもらっていました。毎回公約に沿った背景のデザインも楽しく、デフォルメされた私の顔だけは「実物の方がいいんと違う?」と身びいきしながらも、お気に入りのポスターでした。

 4期目の立候補を予定していた4年前も、同様のポスターがほぼ出来上がりかけていました。ところが、急遽町長選に出馬との事態になりました。あれよあれよというまに、スタジオに連れられプロのメーキャップの人が顔中塗り込めていきます。まつげだってカールさせて、マスカラで増量していきます。「あんまり効果あるとは思いませんが」と恐る恐る訊ねてみると「いいえ!写真に写ったときには、ぜんぜん違います。目に力が宿ります」と返され、あとは撮影終了まで、私であって私でない状態でした。おしまいには笑ったつもりが顔が引きつるだけになってしまいました。はい、出来上がった写真はバッチリ“りき”がはいっていました。

 今回は「なんか、もっとほわーっと普通の状態で撮影してもらわれへんのかしら」と思っていました。“自然に撮ります”的な所を紹介してもらって、雨の中出かけました。お化粧だって自前だし、直ぐ済みました。それでも疲れて、まっすぐに帰宅しました。「写真を撮られるのが好きな人ってどんな人なんやろう?」次男が言いました。「そら、美人に決まってるやんか」。そりゃそうだ!

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

来仙議員をはじめ“引退”の議員がたへ「ご苦労様でした」

(2005年3月18日 金曜日 晴)

 3月議会の後半が本日開会です。今期4年間の最終の議会、町長も引退する議員も有終の美を飾ってもらいたいと思います。私は残念ながら午前中は抜けられない用事があって、午後からの傍聴になりました。

 私はそれぞれの議員の支持者が、たくさん傍聴にみえると思っていましたが結局傍聴者の数はたったの4名でした。せめて引退する議員の支持者は万難を配し、だれか一人ぐらいは傍聴して当たり前だと思いました。特に政党や組織の支持を受けない、住民とダイレクトな関係を持つ”市民派”議員の最後の発言をなぜ聴いてやらない、聴かせてもらわないのかと私は怒っていました。これじゃ「住民と共に歩め」「住民参加させろ」といくら言っても“うどん屋の釜”(湯=言うばっかり)とおんなじやんか!

 幸い一般質問は午後から始まり、私はトップバッターの来仙議員に間に合いました。来仙さんとは長い間障害者運動を共にしてきました。私が一足先に議員になり、私の2期3期目は共に会派を組みました。お互いを拘束することなく、自由な会派のありかたは町議会で初めてだったと思うし、その形は澤嶋・平野両議員の会派スタンスとして受け継がれています。

 来仙さんは私より10歳年長ですから、引退も致し方がないかと思いますが、人柄そのままの議員活動を時には頑固なまでにつらぬいて、十分に職責を全うされたと思います。本当にお疲れさまでした。誤解の無いように申し添えますが、現議員の任期は4月29日まであります。従って私たちはまだまだ現議員を使っていいのです。来仙さんもそのことを強調しておられました。

 一般質問の中から数点、私のアンテナに引っかかった中身を列挙します。

* 高槻市との図書館相互利用が今だ実施されていない。・・・「へーっ、なんで」と思いました。広域行政のひとつとして挙げられ、高槻市の審議会でも認めていたものが、チャラになっていたなんておかしいです。

* 役場に設置のりそな銀行ATMが3月末で撤退するが、そのあとを郵便局も引き受けない。・・・若山台や新開発の百山住民の利便性はそがれるでしょうね。

* 高槻市営火葬場の町民使用料金は6万円に値上がりした。・・・従来は3万6千円でした。町の答弁は、H14年度から町規格葬儀の補助を6万7千円から10万円にアップしたので、火葬の値上げ分を新たに補助する考えはないというものでした。(補助の中身が火葬料に及ぶものか、調べてみます)

* パブリックコメント制度の導入を・・・H17年度の導入に向け検討を進めているとの答えがありました。しかし、同年に改正が予定される個人情報保護条例への制度適応はしないと後ろ向きの答弁がありました。

* 住民基本台帳の大量閲覧は禁止すべき・・・これまで以上の制限を行う。また閲覧要領の改正を早期に行うとの答弁がありました。

 いつの間にか傍聴人は私一人だけになってしまいました。今日は閉会に際しての町長挨拶を聞くのが礼儀だと思っていましたから、きっちり最後まで居ました。

 今期最初の議会で平野・澤嶋両議員を議会に送り、市民派議員を増やしたとの自負と長年の友人である彼女たちの新しい門出へのエールとで、胸いっぱいになった私が昨日のことのように甦って来ます。二人の議員の健闘をたたえて、私の4年間の傍聴も終わりました。さあっ!次なる目標に向って、3人のゴールに向って、互いに頑張りましょう!

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

みんなが幸せになる介護の話が弾みました

(2005年3月19日 土曜日 晴)

 今日は「週間日記」発送の作業に3人の方が朝から来てくれました。一応これで全部送る事が出来て、かさだかい冊子の山が消えたのと一仕事が済んだことで、ホットしました。皆さんやる気まんまんで「もうすることないの」と催促されます。「これからまだまだ忙しくなりますから、余力を残しておいてください」と伝えて、お茶にしました。

 3人のうち2人が介護ヘルパーの仕事をされており、私も過去形ですが同じ仕事をしていましたので「きつい、きたない、きけん」とも称される介護職の話になり「うん、うん、そうや」の相槌が飛び交いました。誰もが厳しい仕事の中で、お年寄りの心のひだに涙してきた経験を持ち、最後にはみんなの目がウルウルして「せつないね〜」とそれぞれがつぶやいておりました。

 全てのヘルパーが「お元気になってよかったですね。これからも住み慣れた我が家で暮らせますね」或は「あなた様らしくお幸せな最期を迎えられて、よかったですね」と介護をさせて頂いた方々に対して心から言える、そんな日を待っています。そんな政治を待っています。私の小さな小さな力も、そんな政治に向かって注ぎたいと改めて思いました。

 夕方にポスターの打ち合わせに印刷屋さんが来ました。2案のうちのどちらかを選んで返事をしなければ「もう間に合いません」と言われています。すまし顔と思いっきり笑っているのと両極端の写真です。どちらが皆さんに気に入ってもらえるかしら、どちらが効果的かしらといろいろ迷いましたが、最後は「こっちの方がお母さんらしいやん」との息子の一言で決まりです。勿論笑っている方です。キャッチコピーは「やっぱり!議会になんぶが必要!」にしました。「ちょっと厚かましいかな?」とは作者の私自身も思っておりますが・・・。

 ドイツからの友人が宿泊するかもしれないので、古くなった畳を取り替えるよい機会でしたが、新しい琉球畳が出来てきて、印刷屋さんと畳屋さんが鉢合わせです。バタバタぶりにますます拍車がかかる毎日になってきました。ふ〜っ!

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

生協前でも街宣開始

(2005年3月20日 日曜日 晴)

 今日から、夕方に生協前で街頭演説をすることにします。演説なんていうと大げさですが、私の考えていること、これからの島本町のまちづくりへの係わりなどを私の言葉で話させてもらいます。ただそれだけのことなのですが、朝の駅前街宣と同様やっぱり最初は緊張します。

 夕方の買い物をする人たちには、やはり知り合いの方が多く注目をしてくださいます。中には手を振ってくれる人もいて、そんな時はうれしいし励みになって話に熱も入ります。

 今日は島本町の財政状況と見通しについて話しました。「財政」なんて表現は出来るだけ避けて「島本町のお財布事情」と言い換え、私たちの家庭と対比させながら、3月議会に出された「財政収支見通し」より数字もあげながら話します。数字の羅列は意味を持ちませんが、やはり「何円」とつく具体の数字にはある種の説得力があるのではないかと私は思います。

 どんな話でもそうですが、通りがかりの人が瞬時に理解をされるなんて無理です。「なんか、町の財布もしんどそうやな。こんな時には厳しくチェックできる議員が必要や」と思ってもらえれば、ありがたいなと思っています。約30分ほど話していると、やっぱり鼻水がタラタラ出て寒かったです。

 向かいの道を現町長と前収入役が連れだって歩いていました。役場を退職した幹部職員が現町長の応援にしゃかりき係っているようです。理屈から言うと、元の仲間を応援して何の不都合も無いわけですが、なんかいまだ主従関係を引きずっているような感じがします。こういう場面を見ると、町の職員互助会を通して退職職員の団体である「緑水会」に税金が使われているのは、余計におかしいなと思います。現町長の選挙事務所が生協の斜め向かいにプレハブで出現しています。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

町長の退職金多すぎませんか

(2005年3月21日 月曜日 晴)

 生協前街宣2日目です。5時過ぎ舗道が丸く広くなっている所に立ちます。昨日の財政問題にサラリと再び触れて、今後財政を圧迫してくるJR新駅事業について話します。

 今日も町長が歩いています。町長は非常勤の特別職ですから、条例上は何時に役場に来ても何時に帰ってもいいわけです。従って役場の勤務時間中でも、どこで見かけてもおかしいことではありませんが、住民から見ると何となく違和感があります。常時街中に飛び出して、住民と話したりしている町長なら、多分そうは思はないでしょうけれど。

 蛇足ですが町長の任期は4月21日まであります。また、任期終了後支払われる退職金は1千600万円です。村田町長は3期助役を務めていますから、3回助役としての退職金をもらっています。助役になるときには総務部長の退職金ももらっていますから、今までに7千万円をゆうに超える退職金が私たちの税金から支払われています。これは島本町の法律である条例に沿ったものですから、もらう側からすれば当然の、正々堂々の受取りです。

 ただここで問題なのは、この条例の中身は変えることが可能な事です。町長自らの提案は残念ながら任期中にはありませんでした。今回の改選にあたって、削減の公約を打ち出してくるでしょうか。ここで黙っているようじゃ、住民に対する説得力は、はなはだ弱いものになります。

 私は議員であった時、おそらく議会で初めてこの問題を追及した議員だったと思いますが、1998年9月の総務文教常任委員会で取り上げています。その事を私の議会報告「なんぶニュース」79号で記事にしています。その当時とは係数の変化等もありますが、根本の所は変わりません。残念ながら、記録を持っていませんのでどんな答えが返ってきたかお知らせする事が出来ないのですが、多分現状肯定の答弁だったに違いありません。このときから7年経って、町の財政状況の悪化や各地の首長が退職金削減に動き出している今、現町長の意思が改めて問われます。

 以下に当時の「なんぶニュース」の記事をお伝えいたします。皆さんのお考えの参考になれば幸いです。

町長、助役の退職手当は高過ぎる?

 町長、助役、収入役は特別職で給料、手当は職員とは別に定めがあります。(教育長も別途ですが収入役と同額、同率です。)97年度決算で町長に1,738万円、助役に1,088万円の退職手当が支出されています。共に4年の任期ですが再任されても4年間の退職金が出ます。計算式には自治体各々の係数があり、町長は100分の550、助役は100分の400、収入役は100分の350で、月々の給料、町長は86万5千円、助役74万5千円、収入役69万円に上記の係数を掛け、さらに任期年数を掛けた額が退職手当となります。例えば町長が4期を重ねると現行給料で計算すると約7千万円になります。16年で7千万円とは、住民感覚からは高額すぎると感じます。同列にはなりませんが、例えば一般職員が4年間で退職すれば、その率はわずか2.4ヶ月なのです。現町長の給料なら、346万円となります。実際に支払われたのは、実にその5倍にもなります。係数には法の定めはなく、根拠がないのに、いつまでも継続していくのはよくありません。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

K元議員の嫌味な言葉

(2005年3月22日 火曜日 雨)

 朝一番清掃工場へゴミを持ち込みます。昨夜頑張ってクローゼットを整理をしましたが、驚くほどのゴミで、とても収集の日には出せない量でした。たまたま息子二人の休みが合致していたので、そのまま家族で買い物に出かけます。今朝の飛行機でドイツからの友人が着いているはずです。彼女の好きなかたいパンや春らしい和菓子などを買いました。

 帰宅すると玄関ポストに川口議員の町長選へのマニフェストらしき文書が入っていました。政策集というより、町長としてのスタンス、つまり何をやるかという事よりどうやるかを主にした内容でした。

 夕方は生協前での街宣です。K党のK元議員に出会いました。町議選への私の意思を確認した後言った言葉が「もうええんとちがうのん?」つまり「まだ議員をやるつもりか?もうやめといたら?」と言っているのです。「大きなお世話です」と言いたかったけれど「いやいや、4年間議会を傍聴していると、まだまだやらなければならない事が見えてきましたので」とニッコリ笑って返しておきました。

 今日の街宣のテーマはハコモノ公共事業、つまり「ふれあいセンター」「水無瀬川緑地公園」「新町営住宅」に加え新たな公共工事である新駅事業の借金が延々続くことと、その事業によってもたらされる住民満足度をよく比較してみようといった内容で話しました。K氏の嫌味発言のおかげで、少々ボルテージの上がった話が出来ました。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

雨の中励まして下さったかたがた、ありがとうございます

(2005年3月23日 水曜日 雨)

 昨日来日したドイツの友人を囲んで、ごく内輪のランチパーティーをします。長男も夜勤明けの休みを利用して帰ってきました。子どもたちにとっては、もう一人のお母さんみたいな人なので、5年ぶりの再会を抱き合って喜んでいました。澤嶋さん、平野さんも来てくれました。彼女は私たち3人が議員候補になることを、とても喜んでくれました。そして当選したら3人でドイツを訪問することを私たちに約束させました。

 夕方近くまで尽きぬ話が飛び交いました。あとかたづけをしてから、街宣に行きます。今日は、高齢者への町の福祉サービスと介護保険制度の改正などについて話しました。途中で、中年の女性が私に何か手のひらサイズの白い四角い物をくれました。貼り付けるカイロでした。ポケットに入れると、ほわ〜っと温かさが体に伝わりました。

 また雨の中、数メートルの至近距離で聞いてくださる年配の女性の方がいました。真っ直ぐに私と向き合って、時折頷きながら最後まで聞いてくださいました。私が話し終えると、深いお辞儀をして去っていかれました。私はもう一度マイクを持って、「ありがとうございました」と後ろ姿に向かってお礼を言いました。こんなことは初めてで、感激で涙が出そうになりました。

 帰宅すると夫が地図帳と格闘していました。住宅地図を丁目ごとに張り合わせてくれています。私の苦手な作業なので助かります。

 雨は上がりましたが、強風で寒くなりました。でも私はホカホカと温かい気持ちで一杯でした。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

島本は素敵な人の街、私もその一人になりたいです

(2005年3月24日 木曜日 曇のち雨)

 朝から選挙葉書の推薦人になってくださる人への確認の電話かけをします。そのあと高槻へ出て駆け足で数点用事を済ませ、駅スパ(阪急高槻駅下のスーパーマーケット)で買い物をします。ここはスパイスの種類が多く、カレーを大なべに作っておこうと思ったので寄ってみました。出口の花売り場でムスカリの鉢植えを見てしまい、値段も安かったので3鉢買ってしまいました。薄紫の粒つぶが棒状について、ゆらゆらしている様は可愛らしいです。

 夕方印刷屋さんが来ました。ポスターの試し刷で、完成品と同じ物が出来上がってきました。いい感じに仕上がっていてホッとしました。引き換えに葉書の最終原稿を渡します。時間勝負の印刷物に、よく無理を聞いてくださって本当に感謝です。

 生協前の街宣に出かけます。雨よりも風が強くて、ビニールの傘がアッと言う間に2本とも壊れて骨だけになってしまいました。1本はスピーカーの雨よけにと持っていった分です。雨に打たれて話していると「この傘、どうぞ使ってください。私は家が近いので」と言いながら女性の方が寄って来られました。私も家は近いし雨なんて平気なので、ご好意だけ頂きました。

 昨日も、今日も私に関心を寄せてくださる方々がいらして、しかもその気持ちをさりげなく行為にあらわされる・・・私の心はウルウルになりながら、島本町の人びとの素晴らしさに触れた思いで幸せ一杯になりました。そして、私もそんな素敵な人のひとりになりたいなと思いました。

 夫が作っている住宅地図は全部張り合わされて、たたみ3畳分くらいの大きさになっていました。夜、辻元清美さんから電話がありました。私が送った「週間日記」のお礼と「選挙で手伝う事があったら、いつでも言うてね」とおっしゃってくださいました。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

疲れるゎー、選挙関係の印刷物作り

(2005年3月25日 金曜日 晴)

 選挙ポスターと葉書の最終構成が終わってホッと一息ですが、まだまだリーフレットの作成と選挙公報の原稿と「なんぶニュース99号」の発行が残っています。これらは少々気合を入れなければ出来ないので、続いては軽めの作業、選挙葉書の書き方の注意ビラと葉書を入れて返送してもらう料金別納の封筒の印刷原稿を作ります。

 夕方5時に生協前で街宣します。私の目の前を前収入役が歩いています。私が軽く会釈しているにも係わらず、無視していきます。まあ、彼は役場に居る時から挨拶しない人“御三家”に入っていましたから、別に驚く事ではありませんが・・・。でもこの選挙時、彼に応援されている候補者にとっては得にならないわよと、人ごとながら心配したくなります。

 街宣の内容は、第3次行政改革実施計画の中身について話しました。町の財政がしんどいなか、行革は進めなければなりません。合併せずに自立の道を選択した島本町の“生きる道”は“入るを図って出るを制す”つまり始末するしかないと思います。

 しかし「チョット待って」と言いたいのは、特に子どもに係る施策で、H18年度に町立保育所を1箇所民間へ委託、H19年度には町立幼稚園を1園民間委託する計画があります。もしもこれらの計画が“始末する”だけが目的のものなら、頷くことは出来ません。子どもが育つ過程では経済性のみ重視した施策展開はしてはならないと思います。

 帰るとポストに現町長の後援会のチラシが入っていました。しっかり読ませてもらいましたけれど、太田大阪府知事と握手している写真って効果あるのでしょうか?

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

どの候補者があなたのそばに立ってくれる人か、よく見てよく聞いてみましょう

(2005年3月26日 土曜日 曇)

 朝一番に山崎郵便局に行きます。選挙葉書の返送用封筒に、料金受取り人払いの承認をもらう為です。あらかじめ電話で問い合わせておいた事と窓口の対応が違うので、押し問答になってしまいました。職員の説明では2度も局に行かないといけないことになります。私は車を待たしていたし、理屈に合わないので“丁重”に文句を言っていると、こちらの希望通りになりました。

 帰ってドイツの友人とお茶をします。午後からは選挙カーおよび駐車場の打ち合わせをして、選挙リーフレットの内容を考えます。あさっての月曜日午前中に原稿を出せば、なんとか間に合いそうです。

 夕方5時、生協前街宣です。いつもは30分くらいなのですが、今日は45分もしゃべってしまいました。合併を見送った事への評価、しかし合併の計画が復活するか分らない町長のあいまいさを指摘したあと、単独でやっていく町財政の厳しさを伝えます。今こそ本気になって“住民参加”つまり住民との協働を進めていかなければ、町政のスムースな運営は不可能であること。議会や行政が旧態然とした“知らしむべからず、寄らしむべし”の姿勢であるならば住民自治は育っていかない事を伝えました。

 今回の選挙は白黒つけなければならないような大きな争点がない選挙と言われています。こんな時こそチャンス、いままでの住民参加の意味やシステムを根本的に見直すことが訴えの大きなポイントに出来る選挙です。議会が、議員がどれだけ住民の皆さんの「生活者の視点」に立った住民参画の意識を持って活動するのか、或は行政言いなりの議会で行くことを良しとするのかを見極めるチャンスだと私は思っています。

 「どうか投票に行ってください」といつもの言葉で締めくくって街宣を終わりました。そのまま生協のクリーニング屋さんに行くと「ここに居ても(ガラス戸の中)よく聞こえましたよ」と言ってくれました。聞こえたけれど「話がよかった」までの評価はなかったので、もっと頑張らなくてはいけないなと思いました。

 エレベーターホールの郵便受けに平野さんの議会報告が入っていました。選挙の準備で忙しい時ですが、良く頑張ってニュースの発行をしたと拍手です。私も見習いますと自分自身に約束して、しっかりと読ませてもらいました。「たかがニュース」ピラピラッと見れば終わりなのですが、その発行過程はしんどいものです。私には良くわかります。だからどなたのニュースに接しても「されどニュース」だと私は思うのです。

 今夜のおかずを作りながら、同時にカレーを大なべに仕込んでおきます。ついでに生鮭のマリネも、これでいつでもカレーパーティーが出来ます。今夜は選挙のリーフレット作りに専念します。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

えらそうな事を言っていますが「なんぶニュース99号」発行へたどり着けないワ・タ・シ

(2005年3月27日 日曜日 曇)

 今日は一日中家にこもっています。選挙のリーフレットを作るためです。参考のため今までの「なんぶニュース」を全部、ざっとですが目を通します。やっぱり「記録は大事だな」と改めて思いました。いつ何が起きたのか、何をしたのかがニュースの数行の文字から甦って来ます。我ながら様々な困難に立ち向かっているやん、また町政の課題解決のためにいろんな提案もしてきているで〜等々、しばし自分自身への再評価を与えるひと時でした。

 そして私のニュースには、私が何を思ったのかが書かれている、このことは当たり前のようですが、えてして事実報告のみに囚われているニュースだと、記事から抜け落ち場合が多いです。住民の皆さんは「広報しまもと」や「議会だより」で書かれている事と同じ内容を議員の活動報告に求めているのではないと、私が読者ならそう思います。

 住民は議場のセレモニーの再現ではない、時には狐と狸の化かし合いのようなありさまも含めて議会の様子が知りたいし、何よりも自身が選んだ議員の“生”の活動が知りたいと求めていると思います。それには継続が大事ですし、議員の息遣い(鼻息と違いますよ)が感じ取れる身近な活動報告の発行が増えるといいなと思います。

 夕方、リーフレット作りはひとまず置いて生協前の街宣に出かけます。Hさんがバイクで通りかかりました。1級ヘルパー資格取得の研修の帰りだとか。よく頑張っておられます。“サクラ”さんになって拍手してくれました。「葉書まだ出来てへんの?知り合いに渡したいし」と催促があります。「ごめんね、火曜日には出来上がってくるので」と謝ります。あーぁ、いつも土壇場であがいている私です。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

どうしょう!風邪引いちゃった?

(2005年3月28日 月曜日 雨)

 雨ですが、7時駅前街宣に行きます。始める前には必ず阪急の駅員さんと売店の方に挨拶します。何れもニコヤカに応じてくださいました。

 帰宅すると同時にクシャミと鼻水がボタボタ落ちてきました。花粉症か?昨夜の徹夜がたたって風邪をひいたか?いずれにしても困った!直ぐに薬を飲みますが、寝るわけにはいかず、選挙カーの事での連絡や、リーフレットの印刷出しやいろいろとやらなければならない事がめじろ押しです。ほんと、選挙運動期間中に入ったほうが体は楽じゃないかしらと思います。

 3時から6時迄の作業に2人の方が来てくれました。小さな子どもを連れて本当に感謝です。

 夕方澤嶋さんが、久しぶりの議会活動報告ニュースを入れてくれました。私も澤嶋さんのニュースを待っていた一人なので、ホッとしました。また川口さんのシンポジュームのビラもはいっていて、4月9日高石市の阪口市長の講演があるようです。川口さんと阪口市長とは親しいようですが、私から見れば2人の政治スタンスはちがうんじゃない?と思っていますが・・・。

 鼻をかみ続け良くならないので、今夜はゼーンブほったらかしてベッドに入ります。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

印刷屋さんに感謝です

(2005年3月29日 火曜日 晴)

 10時、保育サポーターの集まりに行きます。今後「連絡協議会」の形式で発足するための準備会です。お昼に終わって、久しぶりの役場で用事を済ませます。3月議会の議事録(ただし反訳原稿です)ももらいます。

 午後、選挙ポスターと推薦葉書の印刷物が搬入されました。なかなか良い出来栄えです。苦労した甲斐がありました。あとはリーフレットの印刷です。印刷屋さんと何度も何度も連絡を取り合います。

 夕方6時から7時まで駅前街宣です。役場の職員や共に働いていたヘルパー仲間が通ります。町職員は見ぬふりをして通り過ぎるので、私は「お仕事ご苦労様でした」とマイクで聞こえるように言っています。ヘルパーの同僚とは、懐かしくてマイクを切り、少し話し込んでしまいました。私の子どもよりも若いヘルパーが多かったのですが、みんな良く働いていい人でした。

 夜、朝日新聞の記者から取材依頼の電話がありました。女性の立候補予定者が全員当選すれば、女性議員の数が再び全国一になることから、関心を寄せてきたのです。取材日を4月4日に設定しました。その日は私の選挙に係ってくれる人たちに集まってもらい、ドイツの友人の話を聞きながらの選対会議にしようと思います。

 印刷屋さんとのやり取りは、結局午後10時過ぎまでかかりました。担当してくれているのは女性ですが、遅くまでの残業にも丁寧で親切な対応でした。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

本日は超忙しい日でした

(2005年3月30日 水曜日 晴)

 朝一番に昨夜の片づけで出たごみを清掃工場に持ち込みます。以前よりも工場内が随分綺麗に片付いている印象を受けます。帰って直ぐ電話機を買いに行きます。なんだか調子が悪くて変だと思っていたら、ついにダウン。仕方がないですが、このところ重なる出費でお財布はドンドン軽くなっていきます。予算オーバーでしたが、世界で一番小さいと宣伝している電話機を買いました。

 今日は次男が休みなので、ドイツの友人を招いてお昼ごはんにします。2時に朝日新聞の取材を受けます。途中でAさんがおにぎりを持ってきてくれました。取材のあと、選挙関連書類の事前審査のため選挙管理委員会へ行きます。ポスターがパスしたぐらいで、まだあと何度か審査を受けなければならないでしょう。

 夕方、長男が”必勝達磨”を持って帰ってきました。インターネットで求めたという達磨さんは、買い手の好みに応じて作ってくれるそうです。普通赤い達磨が、私のシンボルカラーであるオレンジ色になり、「なんぶ由美子」の文字も入れてありました。お守りやおまじないの類を嫌っていた長男が、達磨さんを買った行為がおかしかったです。また付加価値で買い手の要望にきめ細かく応じるネット上の買い物もなかなか面白いと思いました。付いているシールの目玉を右目に入れました。(正確には貼りました)

 6時から30分間、駅前街宣をしました。急いで帰って夕食パーティーの準備をします。澤嶋さんも忙しい中、来てくれました。友人は子どもたちに会えてとても喜んでいました。

 


 前の日へ トップへ戻る 次の日へ

春はいいですね。

(2005年3月31日 水曜日 晴)

 ペイオフ対応の為高槻の銀行に行きます。ついでに選挙用のオレンジ色のジャケットを探します。「いいな」と思ったのは高くて手が出ません。バーゲンの会場でやっと目的にかなう上着があってやれやれです。今は買い物を楽しむゆとりはないのですが、それでもデパートの春一色のディスプレイを見ていると、心が軽やかになります。案外こういう息抜きは大切かもしれませんね。

 夕方はいつも通り、生協前で街宣をします。話し終えると、年配の男性が拍手をしてくれました。そして私の名前を聞き直されます。やっぱり次からは、名前を書いたノボリを持ってこようと思いました。チョット恥ずかしくて玄関にずっと置いていたのです。

 駅前に移動しましたが、すでに川口さんが街宣していました。少し聞かせてもらいましたが、声が小さくて何を訴えているのかが聞き取れませんでした。戦術なら変えたほうがいいです。現職の村田町長も演説はそんなにうまくありません。だから街宣は攻略のチャンスに出来る場面だと思います。あぁ、私が言う事ではありませんでした。また、わが身を振り返ればもっと私自身上手な街宣をしなければならないのですから。

 帰ると同時にMさんが庭の草花を素敵な花束にして持ってきてくれました。可愛いマグカップに入れて。添えられたアイビーやハーブの緑が映えて、とてもやさしい春の使者に出会ったようです。この小さな花々がこれからの数日、私を幸せにしてくれることでしょう。私はお花もお団子も両方大好きです。

前の日へ トップへ戻る 次の日へ